誰かにとっての「目印」になりたい。単なる美容師でなく、商人としてめざすもの。

24歳の若さで美容師として独立し、現在は飲食店の経営も行う河野さん。どんな思いで独立に踏切り、今後の展開に何を目指すのか。「商人(あきんど)」として目指す姿について、お話を伺いました。

河野 建

こうの たける|美容院・飲食店経営
学芸大学駅の美容院・アトリエROYM、飲食店・ダイエットバル カロパ食堂 BANCHOUの経営を行う。

アトリエROYM

初めて見つけた居場所


僕の両親はどちらも美容師で、僕が生まれるのと同時に美容室を開きました。
そのため0歳の頃から保育園に預けられていたせいか、とにかくいつも寂しかったんです。
寂しかったからこそ人が大嫌いで、それを埋めようとやんちゃな1匹狼みたいに育ちました。

高校生になってもその性格は変わらずでした。

ある日、当時付き合っていた女の子が陸上部の大会のために髪を切ると言っていたのですが、
すごく可愛い子だったので「君はどんな髪型でも似合うよ」と楽しみにしていました。

ところが、翌日彼女はすごく浮かない顔をしていたんです。
彼女の新しいヘアースタイルが理由だということは一目でわかりました。

そんな彼女を見て「俺が切る」といって、授業をさぼって、
「アトリエ」と呼んでいた、美術の先生が僕に貸してくれていた備品室に連れて行き、
彼女の髪を切りました。

僕の髪はくせが強く、自分で切らないと納得できないたちだったんですが、
人の髪を切るのはそれが初めてでした。

でも、実際に切ってみると、彼女が喜んでくれただけでなく、
彼女の後輩、僕のサッカー部の後輩も髪型を絶賛してくれて。

次第に他の周りの人の髪も切るようになっていきました。

そんなふうに求められることがすごく嬉しかったですね。
そこに自分の居場所を見つけたような気がしました。

そんな背景もあり、高校卒業後は、東京の美容学校に進学することを決めました。
美容師の道に進むことに対し、親からは、

「お前は大学に行ける環境にあるんだから」

と反対されましたが、

「俺の人生は俺が決めます」

と断固として譲らなかったですね。

青山から下北沢を経て、銀座へ


専門に行くと決めてから、絶対に東京に行こうと決めていました。
地元の横浜にはない刺激や、新しい環境を求めていたこと、
東京という土俵に立たないと、美容師として勝負できないと考えていたこともありました。

実際に、専門では同じ志をもち、野心的な仲間に出会うことができました。
自分ではっきり意見を言うことで、同じような仲間が集まってきたような感覚はあります。

周りと夢を語る中で、年齢は決めていないものの、自分でお店を持とうということは決めていましたね。
そのためにも、とにかく派手でかっこいい所で働こうという気持ちが強く、
卒業後は、青山の美容院に就職しました。

技術はどこに行っても盗める自信があったので、かっこ良くてモテそうだからという理由で選んだこともあります。(笑)

結局その後、青山から下北沢、銀座と三つの美容院を渡り歩いたのですが、
忙しいだけで技術がろくになかったり、技術は高くても、組織がぐちゃぐちゃだったり、
良い面だけでなく、悪い面もたくさん見ました。

そんな中で、3つ目の銀座のお店で、美容師としての技術も、人としても尊敬できる方に出会えたんです。

そのボスは職人肌で男気があり、とても厳しかったため、周りのスタッフは辞める人も多かったのですが、
ちゃんと真正面から人と向き合い、厳しくても愛で溢れているような人だったんですよね。

すごくきつかったし、大変だったけど、楽しい毎日でした。

全てのスイッチを入れた24歳


ところが、2年程務めた折、新人の離職率を低くするため、
半年間は怒らないように、というお達しが本部から来たんです。

それを見て、もうここにいてはダメだなと感じたんですよね。
尊敬するボスが独立するなら、そのままついて行こうと決めていたのですが、
話を聞いてみると、まだしばらくは続ける意志があるとのことでした。

それならば、「このタイミングだろう」と思い、自ら独立することを決めたんです。
24歳のことでした。

もともと、スイッチを入れるときは全部入れてしまいたいタイプだったこともあり、
同じく24歳で結婚することも決めました。

横浜で育ち、東京で働いたため、その間をつなぐ東横線で、
一駅30分、ホームを調査し、良いなと思った駅は実際に練り歩き、
最終的に、学芸大学に店を構えることに決めました。

ゼロからの挑戦ではあったものの、技術で答える自信はあったので、
とにかく多くの人と出会い、その縁を大切にできるよう動き回りましたね。

正解もわからない中、自分で考えて決めて、
とにかくお客さんが喜んでくれるかどうかを優先して店を作っていきました。
全て自分で判断して進めていく中で、怒ってくれる人がいたことの幸せを感じましたね。

「目印」になりたい


店の名前は、ドイツ語で「灯台」の意味の「ロイム」という言葉に、
自分の中で「向き合う場所」という意味を持たせている「アトリエ」を足して、
「アトリエ・ロイム」と名付けました。

今の時代、日本全体が迷走していて、その中でも、
これからを担う若い世代が、まるで海にモヤモヤ浮いているような状態だと思うんです。

実際に、美容師の仲間達も、頑張り屋でいい人ばかりなのに、
社会的な地位も低いし、どこかみんな寂しがりやなんです。

僕はそんな人たちの「目印」になりたいんですよね。

3つの店舗を経験した中で見てきたものがあるからこそ、
伝えられることもあると思うんです。

そのために美容師というのは一つの手段でしかなく、
人が集まれる場を創るために、飲食店もオープンしました。

でも、店舗展開がどうとか、お金儲けがどうという思想ではなくて、
たくさんの人と会い、影響力を与えたいという気持ちに尽きるんです。

だから、つまるところは大商人として日本や若い世代に貢献するというのが、
僕の目標なんですよね。

2014.07.10

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