一人で抱え込む挑戦者に、お節介を。 人と情報のハブになる「コネクタ」の役割。

「コネクタ」として、社会を変えたいと志す人たちに、人のつながりと情報を届ける日比谷さん。この仕事をはじめた背景には、自らが抱えていた生きづらさがあったと語ります。日比谷さんがコネクタとして目指すこととは。お話を伺いました。

日比谷 尚武

ひびや なおたけ|kipples(キップルズ)代表
1999年、新卒でNTTグループに入社。2003年、株式会社KBMJで取締役を務める。2009年より、Sansan株式会社に参画し、マーケティングと広報機能の立ち上げに従事。並行して、Open Network Labの3期生(Pecoq)、PR Table創業、日本PR協会広報委員など、各種社外活動に参画。2016年12月に独立。コネクタとして、さまざまな活動を手がける。

自分の気持ちには蓋をしよう


東京都渋谷区に生まれました。父は半導体の研究者で、ちょっと癖がある人でした。たとえば家族みんなで隅田川の花火を見ているとき、「きれいだね」「次はどんな花火が来るかな」と盛り上がっている横で、「この白色は、マグネシウムの割合が」と専門的な話をぶつぶつと喋り続けるんです。どこか協調性のない姿を見て、自分はこんな大人にはなりたくないと感じていました。

しかし、自分も父と同じような側面があるのではと悩むようになる出来事がありました。小学5年生で学級委員をしていたときのこと。運動会の練習でなかなかポーズが決まらなくて、先生は「揃うまで帰らせない」と怒っていました。僕はその様子を見て、「みんな、ちゃんとやろうよ。先生だって怒っているじゃん」とクラスメイトに呼びかけました。すると誰かが「うっせえな。そんなこと分かってるよ。できないから困ってるんじゃん」とこぼしたんです。

その言葉に、すごくショックを受けました。正しいことを言っているはずなのに、なぜ煙たがられないといけないのか。もしかしたら、僕は父と同じように空気が読めない人間になってしまったのかもしれない。そう思いました。

悩んだ僕は、心理学の本を手に取りました。そこには「人にはいろんな考え方がある。本人でも自分の気持ちは分からないから、他人は分かるはずがない」と書かれていました。自分の思っていることを表に出しても、どうせ伝わらないから、言わないでおこう。一方で、周りの人の考えていることはなるべく察せるようにしよう。そう決意しました。

中学生で始めたバンドでも、自分の好みは言い出せませんでした。本当は古い年代の音楽が好きでしたが、趣味が合う友人がいなくて、自分の気持ちを押し殺して友人たちが好きな音楽を演奏しました。音楽ができて嬉しい反面、どこか冷めた気持ちもありました。

バンド活動では、ライブの企画など裏方の仕事も必要になります。ライブで良いステージを取るために、文化祭実行委員会に入りました。その仕事をしているうちに、いつしかバンド活動よりも裏方が楽しくなってきたんです。舞台の袖から、全校生徒1800人くらいがステージを見て一喜一憂している様子が見えて。自分が仕掛けた企画で、多くの人たちの感情が動いていることに、大きな達成感を抱きました。

大手企業で修行するも、焦りが


大学に入る頃、インターネットが普及しました。子どもの頃からプログラミングをやっていたこともあり、ますますITの世界に興味を持ちました。次第に、大学生ながらフリーランスとして、企業のIT推進のプロジェクトを仕事として手伝うようになりました。プログラミングだけでなく、デザインやプロジェクトマネジメントなど、幅広くやりました。大学卒業後は、独立しようと考えていました。

しかし、あるプロジェクトに参画したとき、大手企業の方から、「学生気分のままだと、これから苦労するぞ」と言われました。確かになと思いましたね。

周りにも学生起業した友人がいましたが、どこかゆるい雰囲気があったんです。そのままフリーランスになるよりは、一度は会社に入って修行すべきだと考え、4年間を期限として、大手IT企業に入社しました。

修行のつもりで、あえて問題があるプロジェクトに志願して、さまざまな仕事を経験しました。しかし、心の中にはずっと葛藤がありました。ベンチャーブームが起こり、友人が入った会社がどんどん大きくなっていたのです。ブームに乗り遅れた焦りと、今は修行としてやりきるべきだという想い、両方を抱えながら4年間を過ごしました。

周りの人をもっと頼ってみよう


その後、後輩がはじめたベンチャー企業に取締役として入社しました。前職で修行したとはいえ、あくまで一社員。マネジメントや営業、人事制度など、会社経営全般を学んだわけではありません。見よう見まねで経営者の仕事をしました。会社の規模が大きくなるにつれ、プレッシャーはどんどん大きくなりました。しかし経営者である以上、自分でなんとかしなければならないと、人に頼るという発想はありませんでした。

あるとき、経営会議でメンバーと意見がぶつかりました。溜まりきったものが爆発し、カッとなって、その場で会議室を後にしました。

帰り道、気持ちが少し冷静になり、これからどうしたらいいか考えました。このまますぐ戻っても、また言い争いになる。それならば、少し時間を空けていつも通りに戻る方が、波風が立たず、周りにとってもプラスなのではないか。そう考えて、音信不通になり、2週間家で引きこもり生活をすることにしました。

その期間は、家でDVDを見たり、ビールを飲みながら、自己分析をしました。なぜ自分の感情が爆発してしまったのか、冷静に振り返ったのです。すると、「こうあるべき」といった一般論ばかりを重んじて、自分の考えを周りに伝えずにいたことに気づきました。また、悩んでいることを、周りに一切相談せずにいたことにも気づいたのです。

これまでも、さまざまな場面で自分の思いを押し殺してきました。しかしそれで人間関係がうまくいったわけではありません。誰にも相談しないから、ストレスが溜まり続けて、ずっと生きづらさを感じていました。

今回も思っていたことを誰にも相談せずにいたことで、溜まりきったことが爆発してしまったのです。これから社会人として生きていく上で、この生きづらい考え方は変えなければいけない。これからはもっと周りに相談して、かつ自分の意見をしっかり示していこうと決めました。

会社に戻り、社内外問わず周りに悩みを打ち明けてみると、「もっと早く相談したら良かったのに」と多くの人から言われました。周りに相談しつつ、自分の意見をしっかり言うことで、これまで感じていた生きづらさが解消し、かつ物事がスムーズに進んでいくことを実感しました。

つながりに大きな手応え


その後、中高の同級生から起業したいと相談を受けました。ゼロから新しいサービスをつくるチャレンジに惹かれ入社しました。

そこでは、広報とマーケティングの仕事を担当しました。ただ、自分は広報もマーケティングも知識がありません。とにかく外に出て、いろんな人に話を聞きに行きました。

外に出ると、広報やマーケティングに限らず、会社にとって有益な物事が転がっていました。僕は外交官のように、連携ができそうな会社を探したり、転職希望の人を連れてきたり、有益な情報を必要な人に与えたり、会社のためにつながりをつくっていきました。いつしか僕自身がハブとして、さまざまな人をつないだり、情報の受け渡しを担うようになりました。

それが大きな成功につながることもありました。たとえば、米国大使館が日本の起業家を応援するプロジェクトを開催していると聞きつけ、エントリー。その結果、採択され、ネットワークがひろがりました。つながりにより、成果が生み出せることに手応えを感じました。

さまざまな分野にアンテナを張り、そこで得た人やモノの情報を必要としている人たちにつないでいくことを「コネクタ」と名付け、広報とマーケティングの仕事を辞めて「コネクタ」に専念することにしました。自分でも、こんな仕事が成り立つのかと不安でしたが、結果的に周りから「面白い玉を拾ってきたな」「普通だったらたどり着けないところにアクセスできたな」と評価してもらえることが増えて。つながりは、自分の武器にできるんだと自覚しました。

つながりが増える中で、社外での活動もどんどん増えていきました。僕と同じように人に頼れずに悩んでいたり、いいアイデアを持っているのに荒削りで、失敗してしまいそうな人を見ると、ついついお節介を焼いてしまうのです。いつしかそれは、悩みになりました。どの活動も中途半端になっているように感じたのです。本気ですべての活動に向き合いたいと考え、2016年に独立しました。

社会を変えるチャレンジを応援する


現在は、kipples(キップルズ)代表として、人と情報をつなぐコネクタの仕事をしています。向き合いたいのは、社会を変えようとがんばっている人たち。がんばってはいるけれども方法が分からなかったり、支援の手がなくて困っている人はたくさんいます。その人たちに対して、ちょっとだけ社会が分かっている人間として、有益な情報をシェアをしたり、もっと知見のある人たちをつないだりして、成功に向けてサポートするのが自分の仕事です。

仕事の幅は非常に幅広く、自分の専門領域である広報、マーケティングのほか、官民連携活動などさまざまな領域でサポートしています。ほかにも、応援したいと感じたプロジェクトでアドバイザーを務めたり、理事として経営に参画したり、ベンチャー企業に出資したりなど、あらゆる手法で支援をしています。

どれも共通するのは、利己的な利益だけを求めるものではなく、社会を変えようとするプロジェクトであること。かつ、それを達成することに、僕自身が面白いと感じられることです。

一番やりがいを感じるのは、変化に立ち会えたとき。コネクタの仕事は、ボクシングのセコンドのようなものだと思います。荒削りだけれど見込みがある選手を探して、その人に練習方法などを伝授して、最終的にはリングサイドで活躍する姿を見る。その瞬間が一番の喜びです。

現在は僕1人で活動をしていますが、今後はチームとして活動できればと考えています。広報やマーケティングであれば、僕自身の専門性でカバーできるけれども、その他の領域では知り合いを紹介するに留まってしまうからです。また専門的な知識を持っている人たちの中には、もっと周りの役に立ちたいけれども活かす場所がないと悩んでいる人もいます。チームとしてリングサイドを充実させることで、もっとチャレンジャーを支えられるのではと思います。

僕の仕事は、簡単に言うとお節介です。昔の僕と同じように周りに合わせていたり、自分を押し殺したりしている人を見ると、手を差し伸べたくなってしまうんです。

究極のことを言えば、頼れるものは自分しかいません。でも、生き抜くための方法や共にがんばれる仲間を手に入れることができたら、もっと生きやすく、そして成功に近づくはずです。これからもさまざまな人たちと情報をつなぎ、社会を変える活動を応援していきたいと思います。

2022.06.02

インタビュー・ライティング | 林 春花
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