予防医学で腸から人を健康に。 旅で広がった好奇心で研究を。

腸から人を健康にしたいと、株式会社bactericoを創業した菅沼さん。学生時代は、決断力がなく行動に移せない自分が嫌いだったと言います。そんな菅沼さんが自ら行動を起こして予防医学に取り組むようになったきっかけとは?お話を伺いました。

菅沼 名津季

すがぬま なつき|株式会社bacterico代表
1989年生まれ。愛知県出身。明治大学農学部生命科学科卒業後、国立名古屋大学創薬科学研究科博士前期課程入学・修了。江崎グリコ株式会社に入社し、健康科学研究所に配属される。その後、ネクストイノベーション株式会社で新規事業部で働く傍ら、株式会社bactericoを創業。現在、慶應義塾大学薬学部の助教も務める。

塾の先生との出会い


愛知県名古屋市で生まれました。幼少期は、興味を持ったものに猪突猛進で向かっていくような子でした。「月はなんで追いかけてくるの?」と聞き続けたり、公園で遊んでいる子を見つければ「何して遊んでいるの?」と年も性別も関係なく突っ込んでいって話しかけていましたね。

通っていた塾の前にあったアリの巣が気になると、塾に入るまでの時間、大きな石を置いたり、砂で埋めたり、チョコや飴をあげたりと、ありとあらゆることをやって観察していました。一つのことに興味をもつと、ずっとやり続けていられたんです。

一方で、家の教育が厳しかったので、自己肯定感が低かったです。勉強は嫌いで、小学校を卒業したら働きに出ようと思っていました。

しかし中学に入って、塾で素敵な先生に出会ったんです。どんな小さなことでも、やったことに気付いて「頑張っているね」と認めてくれるような先生で。褒めてもらえることがすごく嬉しくて、勉強を頑張るようになりました。

偏差値が上がってきたのと、先生が理数系の担当だったこともあり、将来は人の役に立てそうなお医者さんになりたいと思うようになりました。

予防医学で現状を変えたい


高校時代に、病院で職場体験する機会がありました。そのとき、40代の男性の方が亡くなった病室で、奥さんと娘さんが泣いているのを見たんです。衝撃を受けました。人ってこんなにはやく亡くなってしまうんだ。そんなの誰も幸せじゃないと感じました。

病気になってから治すことも大事だけれど、その前に病気を予防することの方が大事なんじゃないか。そうしたら、こんな風に悲しむ人を減らせるんじゃないか。この現状を変えるために、予防医学をやらなきゃと思いました。

ちょうどそのころ、大学に実験に行けるプログラムがあって、面白いと思って応募。そこで、遺伝子学と出会いました。遺伝子を組み替えることで生物の見た目が変化したり、病気になったり、逆に病気にならなかったりすることを知って、面白いなと実験をしていました。遺伝子を組み替えることで病気を予防できるのではと考え、遺伝子学を学ぼうと決めました。

海外好きな祖父母の影響もあり、進路を決める上では留学も考えました。しかし、留学したいと思いつつも、親の目が気になってその願いを口にすることができませんでした。やりたいことがあっても言えない、行動できない自分が嫌いでした。

行動したら何かが変わる


結局、国内の大学の生命科学科​​に進学しました。親の希望する大学も受験しましたが落ちてしまい、落ち込みました。しかし結果的に、自分が学びたい遺伝子学を学べる大学に通えることになったのです。

一人暮らしして、県外の大学に通うことになりました。家を出て自由にできることが嬉しくて。社会人になる前にたくさんの経験を積みたかったのでアルバイトを5、6個掛け持ちしたり、いろんな大学の研究室に潜り込んで実験をしたりしていました。

実験は何をやっても全てが面白かったです。東大の研究室での稲の研究をお手伝いした経験がとても印象に残りました。稲の染色体のAという遺伝子がBに変わるだけで、一本の稲から作るお米の量が2倍に増えるんです。収穫量が上がるし、すごいなと思いましたね。こんな風に研究が応用されて私たちのもとに届くんだと感じ、「全ての基盤になっているのは研究所なのかな」と考えるようになりました。

大学院は、創薬科学という薬学分野に進みました。大学では農学部で食の方面から学びましたが、一方で、薬も予防のために重要だと思っていたんです。大学院では薬の方面から学び、食と薬と両方わかる人になりたいと思いました。

研究をする中で、生体のメカニズムを解明していきました。薬学を学ぶ過程で、食が人の体を作り、健康を保っていることをより強く感じるようになりました。薬は数々の研究の結晶で素晴らしいものだけど、自分はやっぱり食からアプローチしたいと考えるようになったんです。

そんな中、大学院の終わり辺りで、大きな失恋をしました。初めてお付き合いした人だったのですが、別れることになってしまって。研究室でめそめそ泣いていると、それをみた友人が「泣いていても何もプラスにならないから、今しかできないことをやったら?」と言ってくれたんです。

研究室に、小柄な体に大きなリュックを背負って世界をバックパックで旅している憧れの先輩がいました。そこで私も旅に出てみようと思い、初めて一人で海外、台湾に行きました。

行ってみて、「世界はこんなに広くて、いろんな人がいて、いろんな価値観があるんだ」と知りました。一人でバスに乗れない時、現地の女の子が声をかけてくれたり、いろんな人に助けられながら旅をして、「自分の悩みなんてちっぽけだな」と思えました。

それまで、自分に自信がなくて、自分は不出来な子だという思いが常にありました。だから、自分がやりたいと思っても行動に移せなかったり、やりたいと言えずに諦めることが多くありました。やろうと決められない決断力のない自分も、コミュニケーションを取るのが苦手で人に話しかけられない自分も、嫌いだったんです。

でも、こんなに世界が広くていろんな人がいるのなら、行動したら何かが変わるのかもしれない、と思えました。なりたい姿があるのなら、そこまで頑張ってみようと。

帰国すると、自分を変えていくために、自分にテーマを課すようになりました。例えば、「今回の旅は決断力を上げるためにこれをやってみよう」「誕生日には何か一つ新しいチャレンジを始めよう」など。そうやって、徐々に、決断し、行動できる自分に変わっていきました。

人が好きだと思える自分に


大学院卒業後は、大手食品会社に入社しました。食で人を健康にしようとしている会社で、それが自分の中ですごくしっくりきて。この会社しかないと思い、入社しました。

腸内細菌を研究しているチームに配属になりました。人は何を食べると健康になるのか、どんなお腹の菌の状態であれば健康でいられるのか、食品に入っている菌はお腹の中でどんな働きをしているのかを、研究して解明していく仕事です。それまで、腸内細菌の状態がいろんな病気に関わっていると言われていましたが、あまり信じていませんでした。しかし、実際に研究してみると、腸って本当に大切で、お腹の中に住んでいる菌がいろんな疾患と関わっていることがわかりました。

まず自分の体で試してみたいと思い、腸活をやってみたんです。実はそれまで便秘がすごくて、週末に一回しか出ないのが当たり前だと思っていました。いろいろ勉強する中で、自分が便秘であり、それが当たり前ではないことに気付き、お腹の中の菌が喜ぶ食事をとるように気をつけるようにしたんです。しばらくすると、便秘が良くなり、悩むことがなくなりました。さらに、気になっていたニキビもなくなっていったんです。お腹のなかの菌が整っていることが大事だと身を持って体験しましたね。

また、会社に入って土日を自由に使えるようになったことから、旅行に出かけるようになりました。一年に数回、赤い大きなリュックを背負って通勤し定時に退社。そこから直行で空港に向かうような生活をしていました。そして旅先で、腸に良い発酵食を探して食べるようになったんです。日本国内、世界各地で発酵食を食べ歩いていたら、気付けば5年で47都道府県、世界33ヶ国を回っていました。

旅先では、新しい出会いがあり、面白い世界が広がっていて。行くたびに気付きがあって、好奇心が掻き立てられました。

現地で食べるものは、その国の昔の文化に繋がっているんです。例えばヨーグルトの発祥はトルコ。諸説ありますが、木桶などに残しておいた羊の乳がいつの間にか発酵して酸味のある飲み物に変わっていた…という偶然の代物が、ヨーグルト誕生の瞬間だったそうです。昔の人がシルクロードを旅していた光景を想像したり、そこから食文化が広まったことを考えたりするのがすごく面白かったですね。

加えて、旅を続けて様々な人とコミュニケーションを取る中で、自然に人と話すことが楽しいと思えるようになりました。海外の人は自分の意見を主張するのが上手な人も多く、会話をするうちに自分の意見も言えるようになりましたね。

27歳になると、シェアハウスに入りました。いろんな国の人が住んでいて、毎日家に帰るのが楽しくて。みんなすごく優しくて、遅くなった日にはご飯を作って置いておいてくれることも。人が好きだな、人と接することって幸せだなと思えるようになりました。

自分の思いに従い起業


職場の同期から当時話題になっていた『ライフシフト』と『ワークシフト』という本を貸してもらい読みました。そこには「終身雇用が崩れ、会社の看板ではなく、個人の看板で仕事を取らなければいけない時が来る」というような内容が書いてあり、「そんな時代が来るのかなー?」と半信半疑でした。

しかし、海外を旅する中で、企業に属さず、自力のスキルを生かして様々なプロジェクトにジョインして働き、生活している人に多く出会いました。それを見て日本も変わっていくんだろうなと感じ、私も定年後に自分で食べていけるスキルを身に着けたい、と考えるようになったんです。

これがやりたいということは決まっていませんでしたが、働きながら3年ほど、将来に備えて準備をしました。マーケティングを学んだり、人とのつながりを作ったり。一つの場所に縛られるのではなく、どこででも働けるよう、そして「会社」ではなく「私」と一緒に働きたいといってもらえるようになりたいと思っていました。もともと人と話すのが苦手だったので、1ヶ月で30人の新しい人とあって話すなど自分でノルマを決めてコツコツと積み重ねていきました。

土台が整ってきた頃、社内で経済産業省が主催する次世代のイノベーションの担い手を育成するプログラムの案内が社内であり、やってみたいと手をあげ、参加できることになりました。

プログラムでは、参加者が自分のビジネスプランを作り発表していきます。受講する中で、どんどん気持ちが変わっていきました。

これまでは、安定した企業で健康に携わる仕事をしつつ、副業で好きな人と好きなことをやっていきたいと考えていました。でも私が高校生の時から、人生をかけてやりたいと思っていたのは「世界の人を健康に幸せにすること」。その頃の想いを呼び覚ましてもらったんです。私の夢に、大企業ならではの安定や安心は必要だったのか。改めて考えると、それは必要ないものだとわかりました。大きな企業だからこそできることもありますが、母体が大きいからこそ小回りがきかずなかなか進まないこともあります。大きな企業内で動くのが難しければ、そこを出て、はじめは小さくても良いから予防医学で腸から人を健康にすることをやっていこうと決めました。

人が生涯健康で笑って過ごせる世界を創りたい。その想いを軸に、事業もブラッシュアップしていきました。これまで私は何をやってきて、いま何ができるのか。腸内細菌に関しては、人よりも実験も勉強しており、そのポテンシャルを知っている自信がありました。その知識を生かし、オーダーメイドで腸内環境を整えるサービスを作ることにしたんです。ビジネスプランを発表し、評価を得ることができました。

周囲の人の助言もあり、勉強のためまずはベンチャーという会社と新規事業の立ち上げを学ぶことに。大手企業を退職しベンチャーの新規事業部へ転職しました。その後、自分のプランを形にすべく、株式会社bactericoを設立しました。

腸から人を健康にしたい


現在は、腸から人を健康にするために、3つの活動をしています。1つ目は、自分の会社、株式会社bactericoでの活動。妊婦さんや生まれてくる子どものために、腸内細菌の研究をしたり、食事指導をしたりしています。

腸内環境は本当に1人1人全く違うんです。ヒトの腸にはおよそ1000種類、100兆個にも及ぶ腸内細菌が生息してると言われています。人の細胞が60兆個といわれてるのでそれよりも多いんですよね。

そんな腸内細菌は、お母さんから子どもへと受け継がれます。子どもが生まれた後は、子ども自身が周りの環境から細菌を取り入れていきます。お母さんも育つ環境も食べるものも人それぞれですから、お腹の中の菌も千差万別になるんですよね。

なので、完全にオーダーメイドで一人ひとりに合ったものをお届けしようと取り組んでいます。本当に手間もお金もかかりますが、その分、本当にその人に合ったものをとどけられたら良いなと思っているんです。

2つ目は、オンライン診療ベンチャー企業のお手伝いです。特に婦人科系に特化していますね。働く女性が生き生きと働ける世界を作りたいなと思い、個人向けに提供していたサービスを法人向けにも拡大したりと、様々な取り組みをしています。

3つ目は、大学の教員ですね。ここでの研究を、活動に生かしています。

目指すのは、腸から世界中の人を健康にすること。その中で今は特に、産前、産後のお母さんとお子さんを対象にしています。産前・産後は生活習慣が変わるきっかけにもなりますし、食べたものが赤ちゃんの栄養にもなるので、食がとても大切です。お母さんの腸内環境が、赤ちゃんの腸内環境の土台にもなります。

しかしこれまで個人に合わせたサポートをしていくサービスはなく、食に関する情報がありすぎて困っている方も多いと聞き、この取り組みをはじめました。一人ひとりに寄り添ったサービスを提供することで、お母さんも生まれてくる赤ちゃんも元気に過ごしてほしいと思っています。

また、近年の研究で腸内環境が精神疾患とも関わってきている事がわかってきています。特に産前産後の妊婦さんは10名に1名がうつ病になるとも言われており、大きな社会問題になっています。腸内環境を整えることで、妊婦さんはもちろん、世界で暮らす全ての方がうつ病になるのを防いだり、近年多くなってきている自閉症の子の重症化を防いだりとメンタルヘルスの分野に繋げていきたいと考えています。

今はまだ、日本からの小さなスタートですが、まずは日本を元気にして、次は世界を元気にする。活動をどんどん広げていきたいです。


2021.10.28

インタビュー・ライティング | 高橋 明子
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