本音を言えなかった過去と、教育への想い。 子どもがやりたいを見つけ、やってみる世界へ。

子ども向けコーチングサービス「nanamenta」を企画した高谷さん。その背景には、自分の本音を誰にも話せなかった、子ども時代の経験がありました。教育への想いをずっと温めてきたという高谷さんが今、新しいサービスを通して実現したい世界とは。お話を伺いました。

高谷 友貴

たかや ゆうき|株式会社NTTドコモイノベーション統括部
1993年大阪府茨木市生まれ。同志社大学大学院理工学研究科情報工学専攻。在学中は定期的にハッカソンに参加し、さまざまなサービス開発に関わる。2019年NTTドコモへ入社。入社後は、プログラミング教材「embot」の開発やマーケティングを担当。現在はイノベーション統括部にて、自身が企画した新サービス「nanamenta」のプロジェクトに携わっている。

味方がいなかった中学受験


大阪府茨木市で生まれました。双子の妹がいて、喧嘩ばかりしていましたね。双子でも、性格が真逆だったんです。妹は、我が道を行くタイプ。一方僕は、周囲の顔色を窺いながら周りが求める姿を演じるタイプ。やんちゃな面もあったけれど、親や先生が求める「良い子」になろうとしていました。

小学校では、委員長などを率先してやることが多く、リーダー的存在。野球もやっていて、キャプテンを務めていました。野球が好きというよりは、チームでプレーするのが楽しかったですね。

学校の勉強で苦労したことはありませんでした。そんな様子を見て、親から「中学受験してみる?」と聞かれたんです。中学受験がどういうものなのかはよく分かっていませんでした。でも、受験する人なんて同級生の中でもごく少数です。「なんかかっこいいかな?」くらいの感覚で「やってみる」と答えました。

家庭教師を付け、本格的に受験勉強を始めたのは、小学6年の夏休み。他の受験生に比べると、随分遅いスタートでした。学校の勉強は余裕だったのに、いざ受験勉強を始めてみると、やってもやっても成績が上がらないんです。特に算数と理科は苦手で、ボロボロでした。「え?こんなにしんどいの?」と思いましたね。

受験勉強のために学校は休みがちになり、たまに行けばクラスメートから「なんで学校に来ないんだ?」と聞かれる。受験することは、みんなに言ってなかったんです。そのせいで、周囲から浮いてしまっていました。

両親も、やるとなったからには必死だったんでしょう。成績が上がらないことに小言を言われたり、問題を間違えるとしかられたりもしました。家でも学校でも、周りはみんな敵に見えましたね。味方がいないのが、一番つらかった。僕の味方になってくれたのは、飼っていた犬のれもんだけです。れもんと触れ合うときだけが、僕にとって安らげる時間でした。ストレスで過呼吸になり、本気で自殺することまで考えました。

それでも、「やめたい」とは言い出せなかったんです。家庭教師を付けたからお金がかかっているだろうし、僕の勉強のために妹は放っておかれている状態。「やめるなんて言えないよな」と。そんな状況になっても、空気を読んでましたね。周りに迷惑を掛けたくないという気持ちが強かったです。

ここですべて決まるわけじゃない


結局、第一志望校には受からず、滑り止めで受けた学校へ行くことになりました。受験勉強から解放された嬉しさは大きかったです。過呼吸も一気に治って、すっきりした気持ちで新生活が始まりました。先生や友人に恵まれ、中学に入ると成績もまた上がり出したんです。成績が上がると、勉強するのも楽しくなりましたね。

電車で1時間半の通学時間は、誰にも干渉されない自由な時間でした。ゲームにハマっていたので、友達とゲームをするためだけに、遠回りする電車に乗ったこともあります。授業中もよく隠れてゲームをしていました。

中学卒業後は、公立の進学校へ。周りが優秀な人ばかりだったので、高校では一転「勉強できないキャラ」になりました。委員長などに手を挙げる人も多く、「自分が頑張らなくても誰かがやってくれる」と思うようになりましたね。自分を殺して生きていました。野球も続けていましたが、熱意があったわけではなく、ただ「学校へ行く」だけの日々でした。

唯一楽しかったのは、中学時代の友達とのオンラインゲームです。ネットを繋いで毎晩ゲームしていました。ゲームそのものより、友達と話す時間が何より楽しかったです。

やがて高校3年になり、進路を考える時期に。その高校は、生徒のほとんどがトップクラスの大学を受けるような学校でした。僕も「みんな受けるから」と、関西トップの国立大学のみを受験。しかし受からず、浪人生活を経て、京都の私大へ行くことになったんです。

天才ハッカーのドラマに影響されて、情報系の学部を選びました。でも、国立大学へ行った同級生へのコンプレックスは根強かったですね。何を言われたわけでもないのに、「恥ずかしい」と思っていて。同窓会にも行けませんでした。

コンプレックスから投げやりになり、「サークルでも入って楽しくやるか」と開き直っていたんです。そんなとき、高校時代の同級生と再会する機会がありました。彼は僕が落ちた国立大学へ通っていたのですが、近況を聞いてみると「今の自分とそんなに変わらないかも」と感じたんです。そこから、「どこへ行こうと、自分が動かなければ意味がないんだ」と思い直しました。

だらだらしている自分を「なんか嫌だな」と感じましたね。このままではずっと負けっぱなしのような気がして。大学だけですべてが決まるわけじゃない。みんなと同じスタートラインに立てるチャンスはまだあると思いました。

そこから何か動こうと、やり始めたのは、プログラムを書くことです。プログラマー達が集まって短期間でシステム開発をするイベント「ハッカソン」を見つけては、参加するようになりました。ハッカソンでは、イベントごとにテーマが与えられ、そのテーマに沿ってアイデアを出し、チームで開発に取り組みます。出来上がったものは審査員に評価してもらえるので、やりがいがありました。

チームで協力して一つのものをつくり上げるのは楽しかったですね。みんなで徹夜しながらコードを書いて、「動かねぇ、動かねぇ」とか言って。それが最終的に動いて形になったときは、めちゃくちゃ嬉しかったです。漁るようにハッカソンに参加して、在学中に10以上のシステム開発に携わりました。

あのときの自分と似ている


在学中は、個別指導塾で塾講師のアルバイトもしていました。子どもは好きだったし、生徒から指名してもらうこともありましたね。一緒に働く人達もいい人ばかりで、休みの日にはみんなで遊びに行ったりもしました。「この塾をどう成長させていくか」「生徒をどうやって伸ばすか」と、チーム一丸となって頑張っていたんです。ここでも、チームで一つのものをつくり上げるのが、自分にとっての喜びでした。

時には、勉強の指導だけでなく、生徒の進路相談に乗ることもありました。あるとき、私立に行きたい学部があるのに、学校の先生から他の大学を勧められているという子と話したんです。自分は私立受験だけでいいと思っているのに、「先生からセンター試験を受けて国公立を受験しなさい」と言われていると。その話を聞いて、自分の中学受験時代の記憶が蘇りました。本音を言えず、誰も味方になってくれる人がいなかった記憶が。

授業後、保護者の方が迎えに来たときに、その生徒も交えて3人で立ち話をしました。「本当にこれでいいのか」と。その結果、保護者も生徒も納得した上で、本人が希望する進路へ進むことになったんです。その子の笑顔が、嬉しかったですね。「救えた」と言ったらおこがましいかもしれません。でも本人が納得いく道を選べて、笑ってくれたこと、その一助になれたことが嬉しかったんです。

それ以来、勉強を教えるだけではなくて、目の前の子が楽しく過ごしていくにはどうすればいいのかを、考えるようになりました。漠然と、「教育」に関わってみたいという想いが生まれたんです。

天狗の鼻を折られた


大学3年生になり、とりあえず就職活動をしようと、NTTドコモのインターンシップに参加しました。インターンできる企業を検索して見つけたんです。僕が参加したのは、チームを組んで、3日間で何かつくり上げるというハッカソンでした。

これまで多数のハッカソンに参加してきたので、他の学生に比べれば開発はできる方だろうという自負がありました。ところが、その会社にはすごく技術力の高い先輩がいたんです。質問すれば、何でも即座に答えてくれる。そしてぱぱっとつくり上げてしまう。近くでその仕事を見ながら、「なんでこんな人がいるんだろう」と、ずっと思っていました。

その先輩はインターン生の指導者でもあって、メンバーの行動もよく観察していました。僕が言われたのは、「チームメンバーを見ながら、コミュニケーションを取れているところは良かった。でも、マイルストーンを置いて管理できるともっと良かったね」ということ。「マイルストーン」を知らなかったので後で調べたら、中間目標という意味の、進捗管理に使うマネジメントの用語だと分かって。マネジメントの領域にも興味が湧きましたね。

技術力もすごいし、マネジメントもできる。この人と一緒に働きたいという気持ちが大きくなりました。でも同時に、今の自分のままでは無理だとも思ったんです。自信があったのに、「つくる」という観点では何もチームに貢献できなかった。自分の実力を知り、力のある先輩を目の当たりにして、天狗になっていた鼻をぽっきりと折られた気分でした。

そこで、すぐに就職はせず、先輩と働くことを目指して、大学院で力を付けることにしました。大学院に入って1年目の冬、今度は別企業のインターンに参加したんです。アプリの開発チームで、2カ月間働くことになりました。

以前のインターンでの経験以来、自分なりに成長してきたつもりでした。全国の就活生の中でも一番優秀なんじゃないか。それくらい頑張ってきた自信があったんです。ところが、他の学生のアウトプット力の高さに驚きました。全社で使われるようなシステムを開発した人や、短期間でリリースまで漕ぎつけた人もいて。「自分はこの2年間何をしていたんだ?」と思いましたね。しかもこんな実力で自信満々になっていたなんて、めちゃくちゃ恥ずかしいな、と。そこからもう少し謙虚になろうと、自分の自信を抑えるようになりました。

そんなにゆっくりやってていいの?


大学院を卒業後、念願だったNTTドコモに入社しました。憧れの先輩が所属していたのは、イノベーション統括部という、主に新規事業の創出に関わる部署。内定の時点で「ここに行きたいです!」と希望を出し、そこに配属されたんです。

塾講師のアルバイトで芽生えた「教育」への想いも、胸の内にはありました。先輩が関わっている仕事は教育とは無関係でしたが、「関心があるなら自分で立ち上げられるよ」と言われて。じゃあそうしよう、と思ったんです。先輩の元で開発に携わりながら、社内で新規事業立ち上げのコンテストがあれば、企画を出すようにしていました。

入社して1年ほど経つと、プログラミング教材の開発チームに入ることに。そこでは開発だけでなく、企画やマーケティングにも携わりました。今まで開発ばかりやっていたので未知の領域。勉強になることは多かったですね。業務で得た知見はすべて、自分の企画に注ぎ込みました。インプットとアウトプットを忙しく繰り返す日々でした。

そんなあるとき、新ビジネスに関わるイノベーターが登壇する、オンラインイベントを視聴したんです。そこで、ゲストの起業家の方の「すべての人は覚醒できる!」という言葉を聞いて、「うわーっ!」となったんです。今の自分に「そんなにゆっくりやっていていいの?」と喝を入れられた気分でした。

入社以来、積極的に企画を出して、動いているつもりになっていたけど、足りなかった。謙虚でいようという気持ちから、また周囲の空気を読んで、求められる自分を演じていたところがあったんです。小さくまとまっていた火に、燃料を注がれましたね。「もっと動かないと!」と。視聴後すぐ、感動した想いをそのまま、イベントの主催者にメールを送りました。考えるより先に、手が動いていました。

イベントを主催していたのは、スーパーイノベーターと呼ばれ、活躍している先輩社員です。「そう言ってもらえて嬉しい、ぜひ仲間に!」と返信をくれて、それがきっかけで、僕も裏方でイベントを手伝うことになりました。さまざまな起業家の方の話を聞きましたし、イベント終了後は直接お話する機会にも恵まれました。自分の世界がすごく広がりましたね。企画に注ぎ込む熱量も、以前に比べて断然大きくなったんです。

2021年7月、ようやく僕の出した企画が社内で認められました。コンセプトは、子ども向けのコーチングサービス。最初に企画を出してから約一年が経っていました。始めから本気を出していたら、もっと早く通ったのかしれません。でもやっと通ったときは、やっぱりすごく嬉しかったです。社内に応援してくれた方、力を貸してくれた方もたくさんいました。「とりあえず、やっとここまで来た」という想いと、未知の領域へ踏み込んでいくワクワク感でいっぱいになりました。

やりたいと言える子どもを増やす


今は、NTTドコモのイノベーション統括部で、企画した新サービス「nanamenta」に関わっています。「nanamenta」は、子どもを対象にした1対1のコーチングサービス。「日本中の子ども達がやってみたいを見つけ、やってみると言える世界」を目指しています。

具体的なステップとしては、まずコーチが子どもとオンラインで対談し、やりたいことを引き出します。このステップでは、「やりたいこと」を100個書き出すのが目標です。小学生だと、「釣りをしたい」「忍者になりたい」「ギネス記録を出したい」などの目標が出てきますね。一人で100個出すのは難しいかもしれませんが、対話する中で「やりたいこと」が出てくればと考えています。

次に、その中から重点的に取り組みたいものを子どもに決めてもらい、行動計画を立てます。最終的には、行動計画に沿って実行してみて、子ども自身が振り返り、保護者の方にもフィードバックを送るというものです。

決めた目標は、絶対達成しなければいけないわけではありません。100個あるので、失敗したら次の目標へ移ってもいい。目標を達成することよりも、そこへ到達するまでの過程を大事にしていますね。やりたいことを書き出すことで、日常的に「やってみたい」に意識が向くし、小さなことでも実現できれば、自己肯定感が上がります。大人になっていく中で、こうした経験が役立つときがきっと来ると思っています。

このサービスを立ち上げた背景にあるのは、僕自身の「本音を言えなかった」経験です。やりたいことを言っても、「まずは勉強をちゃんとやってからね」と言われてしまう。そのうちに、「やりたい」と言えなくなっていったし、何かを「やりたい」とも思わなくなっている自分がいました。そんな状態で、いざ就職活動するときに「あなたのやりたいことは何ですか?」なんて聞かれても、答えられないですよね。

今、親も先生も忙しくて、子ども達がちゃんと話せる相手がいないんじゃないかと思うんです。親だから話しにくいことも、あるかもしれない。それなら第三者の大人が、一対一で子どもの話を聞けたら、と、このサービスにたどり着きました。最初は緊張するかもしれませんが、打ち解けると、友達のように学校生活の悩みまで話してくれる子もいます。そうやって気持ちを言葉にすることが、自分自身を見つめ直す機会にもなると思うんです。コーチングをする大人は、特別な資格を持った人ではなくて、相手の子に興味を持って、しっかり話を聞いてくれる人にしたいと考えていますね。

特に自分と同じような道を歩んでいる子ども達に、このサービスが届いて欲しいなと思います。本音を言えなかった時期がつらかったので、同じ思いをしている子がいるなら、少しでもそういう子を減らしたい。「親や先生がこう言うから」ではなくて、自分が納得できる人生を過ごして欲しいです。

ゆくゆくは、このサービスをもっと大きくして、日本中の子ども達に届けたいですね。みんなが小さくても「やりたい」ことを見つけられたら、一人ひとりにとって、もっと楽しい世界になるんじゃないかと思います。「やりたい!」を口に出して、チャレンジしまくる子どもが増えていったら、10年後、20年後の日本はめちゃくちゃ楽しくなるんじゃないでしょうか。

僕自身も、フットワーク軽く動くことを大事にしています。昔は声を掛けられても「忙しいから」と引きこもってるようなタイプでしたが、今は行動するよう心掛けています。思い立ったら、すぐ行動してみる。子ども達に「やってみよう」と言っているのに、自分がやらなかったら意味がありませんから。動けば、何かが変わると思っています。それが自分にとってプラスになるかマイナスになるかは分かりません。でも、動くことで世界が広がっていくと信じています。


2021.10.14

インタビュー・ライティング | 塩井 典子
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