大切な人を想う気持ちが、ものづくりの原動力。 豊かさを分かち合うクリエイティブを。

外資系の広告会社で、様々な企業の商品やサービスのプロモーションから、事業の立ち上げまで携わるクリエイティブパートナー、吉富さん。幼い頃から興味を抱いていた広告業界でいま様々なものづくりに取り組む、吉富さんの原動力とは。お話を伺いました。

吉富 亮介

よしとみ りょうすけ|株式会社マッキャンエリクソン クリエイティブパートナー
1984年茨城県生まれ。広告クリエイティブに関わる企画開発を専門領域とし、日系・グローバル企業問わず多数担当。社内グループを横断したイノベーションチームMcCANN MILLENNIALSの立上げから運営をリード。現在は企業の新規事業部と共に事業開発をサポートするパートナー組織を立上げ、責任者を務める。ALS患者支援活動を行う一般社団法人END ALS メンバー、深圳市越境EC協会日本支部 理事、大企業の若手中堅社員の実践コミュニティONE JAPAN クリエイティブ担当幹事等。

人の気持ちを想像するのが好き


茨城県常陸太田市で生まれ、その後すぐ、父の仕事の関係でオーストラリアに引越しました。3歳くらいまでオーストラリアで過ごし、日本に戻ってきてからも引越しを繰り返していましたね。

幼い頃は、絵を描いたり何かを作ったりすることが好きでした。小学校低学年のときは、先生にお願いして厚紙の方眼紙をもらい、なんだかよくわからないロボットを作っていました。厚紙で作ったブロックを爪楊枝で繋ぎ合わせ、手足が自在に動くようにしたり、外してほかのパーツと入れ替えたりできるようにしていましたね。自分で工夫して作ったロボットをずっと眺めておきたくて、机に置いたまま授業を受けていました。

勉強では、国語が好きでしたね。テストで出題者の気持ちになりきって答えを導いていくのがおもしろかったです。よく「文章を読んで登場人物の気持ちを答えなさい」という問題がありますが、「実際にどう思っていたかなんて分かるわけがない」と思っていて。だから、「きっとこう答えてほしいんだろうな」「これを選ばせたいんだろうな」と出題者の気持ちの方を想像して答えを見つけ出していきました。意図を汲み取って問題を解くと、間違えることはほとんどなかったですね。

そういう意味では数学の文章問題も同じような理由で好きでした。最後に出てくる数字は間違っているかもしれないけど、こういう過程で考えたよ、と出題者と共有する感覚がおもしろかったです。

チームでのものづくりの楽しさを知る


高校は、地元茨城にある学校の普通科に進みました。ものづくりが好きだったので、選択式の芸術科目では美術を選びました。しかし、同じように美術を選んだ人の中には美術部の人が多くいて、自分より何倍も上手に絵を描いていたんです。そのとき「“絵を描く”という分野で自分が頑張る意味はない」と感じたんですよね。自分より絵が得意な人がいるのなら、その人に絵を描いてもらったほうがいいし、自分が力を入れて取り組むべきことではないと思いました。

中学では剣道部でしたが、少し遠い高校に通っていたこともあり、運動部は疲れちゃうので、1年生のときは部活動に所属しませんでした。しかし2年生のとき、仲の良かった友達に誘われ、放送委員会に入ることに。放送委員会は、毎日放課後に集まり映像作品を作っていて、メンバー6、7人で、脚本を書いたり、撮影をしたりしていました。

皆で一台のパソコンに向かい合い、撮影した素材を入れては、見よう見まねで編集をする。自分たちが想像しているものに近づけるにはどうしたらいいか、考えて工夫しているときが一番楽しかったですね。

また、チームで一つの作品を作り上げていくとき、自分とは違う他人の視点が入ってよりよいものができることもおもしろかったです。一人で絵を描いたりものを作ったりするのも好きでしたが、複数人で作り上げていく楽しさを知りました。

アイデアを形に。広告業界への憧れ


大学は、映像学科のある東京の大学へ進学。大学1年生のときの授業で、個人制作の映像作品を発表する機会がありました。そこで企画内容を発表したとき、周りからの反応がすごく良くて。しかしその後、自分で撮影して編集した作品を発表すると、思うような反応が得られなかったんですよね。一方、隣にいた友達は、企画の発表はイマイチだったのに、完成した作品はとてもおもしろく仕上がっていたんです。

自分の作品は、ほかの人と比べてアイデアはおもしろいかもしれないけれど、撮影や編集の技術が足りないと痛感しました。自分はアイデアを出す側の人間。出したアイデアを形にしていく撮影や編集は、ほかの人に任せたほうがよりよいものが作れるだろうと感じました。

授業以外でも、友達と映画サークルを作って、16ミリフィルムで映画を撮っていました。皆でネタ出しをして撮影をするんです。チームでのものづくりのほうが、自分の力を発揮できるし、いいものが作れると思うようになりました。

大学卒業後は、広告業界に進みたいと思っていました。幼い頃、親戚が集まる場で、大手の広告会社に勤める叔父から話を聞くことがあったんです。「広告会社はいろんなものを作れて、亮介みたいな人間にとってはとても楽しい場所だろう」と言っていたのを覚えていて、漠然と広告業界に憧れを抱いていました。

広告の、商品やサービスの良さが詰まっている点も好きでした。特に海外のCMは、まるで一本の映画のように、商品やサービスの物語が凝縮されたものが多くて。直接的に「こんな機能があってすごいんです」とか「とてもおいしいんです」と言っているわけではないのに、役者の表情や演出の中で、ちゃんと伝わってくるんですよね。

広告業界を目指して就職活動をし、インターネットの広告代理店と、広告の制作会社から内定をいただきました。インターネットの普及が進んでいる時期で、ネット広告業界は右肩上がりに成長していました。これからもどんどん広がって、おもしろい経験ができそうだと思い、インターネットの広告代理店に就職しました。

相手を想う気持ちが原動力に


入社後はデザイナー、その後ディレクターとして、バナー広告やウェブページのデザイン、動画制作などに携わっていました。業務は楽しく充実していましたし、同僚も尊敬できる人ばかりでしたね。

あるとき、入社して間もなくから担当していた企業の担当者と話をしていました。ふとした会話で、その人が自分のことを、下請けとして利用しようとしているのではなく、パートナーとして一緒に走り切ろうと思ってくれているんだと感じたんです。仕事の受発注を超えた関係を築くことができた感覚がありました。「この人のことが好きだなぁ、この人とならずっと一緒に仕事をしたい」と思えたんです。ただ依頼されたからやるのではなく、相手のことを想う気持ちが、仕事をする上での原動力になりました。

入社して6年が経った頃、もっと自分の仕事の幅を広げたいと思うようになりました。ただ、僕が働いていたのはインターネット広告代理店。お客さんと一緒にいろいろな仕事をしたいと思っても、インターネット上のマーケティングの範囲内でしか仕事をすることができず、歯がゆさを感じていました。

ちょうどその頃、外資系の広告会社の日本法人に転職した先輩から声を掛けられました。人を募集しているから来てみないかと誘われ、話を聞いてみると、幅広い仕事ができておもしろそうだと思いましたね。28歳のとき、転職を決めました。

若手にもチャンスのある環境を作る


転職後は、インターネット広告を使った宣伝活動や、SNSを使った発信、テレビCMとインターネットを連動させたプロモーション、リアルなイベントなど、幅広く担当しました。テレビCMの制作などにも広く携わるようになり、前職よりも仕事の幅が広がって充実していましたね。

一方で、その頃社内では、よく知る優秀な若手社員の何人かが、辞めてしまって。様々な理由があったと思いますが、話を聞くと、「上司に言われた仕事をこなすだけで、自分自身の能力を発揮できない」、「もっとおもしろい仕事だと思っていた」ということがあって。とてももったいないな、と感じていました。

広告代理店の仕事は、広告主からの発注があって初めて成立するものばかりです。ただ上司から割り振られたことだけをやっていても、いつまで経ってもやりたいことはできないし、新しいことも生まれません。若手が新しい発想で自主的にものづくりをしていけるよう、バッターボックスに立つ機会を増やすべきだと考えました。そうすることで、会社にも新しい何か生み出すことができるはずだと思ったのです。

そこで29歳のとき、そんな話を一緒にしていた同世代の同僚2人と一緒に、社内有志団体「McCANN MILLENNIALS」を立ち上げました。日本オフィスだけではなくアジア各国横断で、1980年代から2000年代前半生まれのミレニアル世代のメンバーで構成された組織です。これまでの世代とは異なる価値観や能力を持っていると言われていたミレニアル世代だけで、自由に挑戦できる環境を作りたいと考えました。

まずは、立ち上げた3人で何かものを作って、ほかの若手メンバーに背中を見せようと思って。それでおよそ半年かけて作ったのが、世界初の人工知能クリエイティブディレクターです。商材や訴求したい内容を入力すると、どのような要素をCMに盛り込むべきか人工知能が導き出します。それをもとに、人間がCMを作るのです。

取り組みに興味を持ってくださった大手企業がスポンサーになり、CMが発表されると、プロジェクトはテレビや新聞、雑誌など多くのマスメディアで取り上げられ話題となりました。ちょうどAlphaGOというAIが人間の囲碁棋士と戦って勝ったというニュースが出た頃で世の中の関心が高まっており、そこに「AIを社員として採用した」という発信をしたことなどが重なり大きなインパクトを出せました。

このプロジェクトのおかげで、社内での団体の認知度が上がり、動きやすくなりましたね。次々と新しい発想でものづくりをしたり、ほかの企業と合同で教育プログラムを作ったり、経営会議に参加して社内の課題解決をしたり。若手社員が、会社から言われて行う業務以外のチャレンジをする場所になったのです。

また、大企業の若手中堅社員を中心とした有志団体の実践コミュニティ「ONE JAPAN」にも団体で参加するようになりました。メンバーそれぞれ、所属している業界は違っていても、自分のいる場所で少しずつでも行動を起こせば大きな動きとなり、世の中が変わっていくかもしれない。ONE JAPANのそんな思いに共感して活動を始めました。

クリエイティブで、豊かさを分かち合いたい


現在は、ニューヨークに本社のある広告会社マッキャンエリクソンの日本法人で、クリエイティブパートナーとして働いています。

広告代理店は、広告主からのプロジェクト概要説明を受けて、その解決策やプロモーションの企画を提案、実行する仕事がメインだと思います。しかし、その構造に対して「もっと根本から関わりたい」という思いがあって。企業の方々と対等な関係で仕事をする方法を模索しています。その一つとして、企業から依頼されたプロモーションの支援だけではなく、事業の立ち上げから一緒に作り上げるパートナーとしての仕事を始めています。

例えば、ONE JAPANを通して出会った日本郵便の同世代の方々と一緒に「マゴ写レター」というサービスを企画・開発しました。お孫さんが、スマートフォンからウェブサイトにメッセージと写真、住所を入れて申し込むと、往復はがきに印刷され、おじいちゃんおばあちゃんに届きます。はがきを受け取ったおじいちゃんおばあちゃんは、印刷されたお孫さんの写真を手元に残しつつ、返事を書いて返送することができるコミュニケーションサービスです。

これは自分自身の祖父との体験が原点になっています。コロナ禍で実家に帰省ができず、いつもだったら会えていた祖父に会うことができなくて。そんな悔しい思いをしたのは僕だけではないと思うんですよね。大好きなおじいちゃんおばあちゃんに「元気だよ、落ち着いたら遊びに行くね」と伝えたい。一通のマゴ写レターは、離れて暮らす家族との会話が生まれるきっかけにもなります。

また、マゴ写レターを受け取ったおじいちゃんおばあちゃんは、手紙を「読む」、返事を「書く」、ポストに投函するために「歩く」といった行動を自然と起こします。家族とのコミュニケーションに加え、行動によって認知症の予防も期待できるサービスなんです。

大好きな祖父に喜んでほしいという思いでアイデアを出し、形になりました。自分が大切に思う人に、豊かさを感じてもらえるようなものづくりを目指しています。こういったクリエイティブを通して、様々な企業のパートナーとして、一緒に立って、並んで進んでいけたらと思っています。

McCANN MILLENNIALSに関しては、運営を若手のメンバーに引き継ぎ、いまは相談役のような立ち位置で関わっています。ONE JAPANでは、クリエイティブ領域を監修していますね。ロゴなどデザイン全般に関して、ブランディングの責任者としての役目を担っています。

これからも、クリエイティブのスキルを生かし、僕が大切にしたい好きな人たちのために仕事をしていきたいですね。「好きな人」とは、金銭のようなビジネスライクな繋がりだけではなく、お互いの想いに共感でき、心の部分で繋がっている人のことです。好きな人のために頑張ることが、原動力になっています。人生は有限。自分が楽しいと感じられる仕事をして、相手と豊かさを分かち合っていきたいです。

2021.10.11

インタビュー・ライティング | 宮武 由佳
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