人との繋がりが前向きな力をくれた。 当たり前ではない幸せを大事に生きる。

日本郵便株式会社で中期経営計画を担当しながら、社内外有志団体でも積極的に活動している矢野さん。人生の根底には、幼少期の辛い経験を経て気づいた「当たり前は当たり前ではない」という感覚があるといいます。過去に辛いことがあっても、人生に大きな野望がなくても、今幸せだと語る矢野さんは、どのようにして前向きな考え方を手に入れていったのか。お話を伺いました。

矢野 夕梨子

やの ゆりこ |日本郵便株式会社 経営企画部 係長
1989年生まれ、東京都出身。新卒で日本郵便株式会社に入社し、郵便局、営業部、持株会社の経理部、郵便の業務改善などを経験。2021年4月からは、経営企画を担う部署に所属する。また並行して、社内有志団体「P∞(ピース)」や、大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニティ「ONE JAPAN」にも参加。

真面目だけど活発な子ども時代


東京都新宿区で生まれました。一人っ子で、外で遊んだり運動をしたりするのが好きな活発な子どもでした。美少女戦士に憧れ、よく人形を使って悪と戦っていたそうです(笑)。

小学校からは、自由な校風で著名人の卒業生も多い小中高一貫校に入学しました。母が、自立・自律した子どもになってほしいという思いで選んでくれました。受験のためのスクールにも通っていませんでしたが、たまたま合格することができたんです。

独創性を伸ばすことを目的にした変わった授業が多くて、のびのびとした学校でしたね。敷地内の公園のような場所で、土器やペーパーナイフを作ることも。そのおかげか、外に出かけて活動することが好きになりました。基本的には真面目なタイプでしたが、遊んでいる最中に親指を骨折するような、おてんばなところもありましたね(笑)。

その一方で、家で本をじっくり読んだり手紙を書いたりすることも好きでした。低学年から高学年にかけて、親同士が仲のいい友だち3、4人と手紙交換をしていて、ポストを開けるのがいつも楽しみでした。

ただ、家庭内ではいろいろと悩みがありました。両親の不仲や、二世帯住宅で同居する叔父との関係性があまり上手くいかず、そのうち、母とわたしは家を出て伯母の家で暮らすことに。その後引っ越して、母と調布で二人暮らしを始めましたが、「なんでパパはいないんだろう」と寂しさや悲しさを感じながら日々過ごしていましたし、「今まで当たり前だと思っていた生活や父の存在は、実は当たり前ではなかったんだな」と感じるようになりました。

失った自己肯定感と手に入れた想像力


中学生になってからも、相変わらず運動が好きでした。勉強面では、教科書ではなく先生たちが考えた独自のカリキュラムで学ぶのですが、それがとても楽しかったですね。「先生が授業のために頑張って準備してくれているのに、寝たりサボったりとかありえないでしょ」と思って真面目に勉強していました(笑)。

一方で、家庭ではもう一度やり直すために、母と一緒に父のいる家に戻ることになりました。叔父はそのときもういなかったので、家族3人の暮らしがスタートしたんです。しかし、やっぱり上手くはいかず、家庭内では会話がなくなってしまいました。それによって思い詰めてしまったのか、父は生きる気力を失くしてしまったこともありました。

その時、自分の存在が「父が生きる理由」になれなかったことに強いショックを受けてしまったんです。親って子どもさえいれば、生きようとしてくれるものだとなんとなく思っていたけれど、父はそうではなかったんだなって。どうしても重く捉えてしまって、自己肯定感が一気に下がるのを感じました。

でも学校では、わたしの家庭がそんな状況であることを当然知らないクラスメイトの女の子たちが、思春期特有の父親の愚痴で盛り上がっている。それを見て、「お父さんがそばにいるだけで羨ましいけどな」と思うと同時に、「人間って目の前の人の状況を想像するのが難しいものなんだな」と感じて。だからこそ、逆に自分は「相手の置かれている立場が、自分が想像するものとは別かもしれない」という想像力を、できるかぎり持つように心がけようと思えるようになったんです。

父の件があって以来、両親には幸せになってほしいからこそ「別れたらいいのに」と思っていました。結局両親は離婚し、わたしは母と一緒に家を出てまた二人暮らしに。中学3年の時には母が再婚したので、新しい父親と3人での生活が始まりました。

わたしも母も、お互いがいなかったら生きていけなかったなと思いますし、親子というよりも戦友みたいな関係になりましたね。

ようやく報われた必死の大学受験


家庭問題がひと段落し、そのままエスカレーター式で高校に入学しました。学校自体はあまり受験という雰囲気ではありませんでしたが、一貫校は高校までで終わりなので、わたし自身は進路を意識するようになりました。動物が好きだったので、高卒でペットトリマーになろうかなと考えていたのですが、母は反対。「頼むから大学に行ってほしい」と言われて、大学受験を決意しました。本当は化学が好きだったので理系に進みたかったのですが、数学が全然できなくて(笑)。金銭面でも浪人はできなかったので、苦手な理系は避けて文系に転向しました。

具体的に何を学びたいかと考えた時に、浮かんだのが「人間」についてでした。中学時代の父の一件があって以来、人間そのものや、生きること、死ぬことについてたくさん考えるようになっていました。それを学問として学びたいと思ったんですよね。だから、人間や哲学について学べる大学を探して志望校を決めました。

小学校からずっとエスカレーター式で進んできた上に、進学校ではなかったので、外の世界に行った時に、自分は全然実力がないだろうなという自覚があって。だから、普通の人が東大に行くレベルで勉強しないとダメだと思い、自分を追い込んで猛勉強しましたね。

クリスマスプレゼントとして親に買ってもらった音楽プレーヤーの裏には、「No pain, No gain(痛みなくして得るものなし)」と刻印していたくらい(笑)。しかも、受験が終わるまでの間、中に入れていたのは英語のリスニング教材と、百歩譲って英語が聴ける洋楽だからと自分に許したロックバンド・QUEENの音楽だけでした。そのおかげか、模試での成績もぐんと伸びていきました。

人生で初めて馬力を出して頑張った結果、当初の志望校よりもさらに偏差値の高い私立大学に合格。成績の話を全然していなかったので、母は最初全然信じてくれませんでしたが、入学手続きの案内が届いてようやく実感したみたいでした。

これまでずっと自分はダメダメだ、井の中の蛙だと思いながらやってきたけど、大学受験に合格したことでようやく報われたなって。客観的な評価が得られて、幼い頃に下がったままだった自己肯定感が少し回復するのを感じました。

やっぱり郵便局が好きだと思った


興味の幅が広かったので、大学では自分の学部の授業も受けつつ、開放されている他学部の授業もたくさん取って勉強しました。ゼミ選択では、実践倫理学を学べるところを選びました。

「人は生きるべきだ」とか「動物はかわいそうだから守るべきだ」とか言われるけれど、本当にそうなんだろうかというような“当たり前”を疑って仲間と議論を交わすゼミでした。そこにいたことで、「当たり前は当たり前ではない」と、改めて強く感じましたね。それに、そもそも当たり前は存在しないということに、いつも自覚的であろうと心掛けるようになりました。

それから世の中は就職活動の時期に。わたし自身、勉強したいことはたくさんあるのに、就職することに対しては全く前向きになれませんでした。「みんなは何ですぐに、人生でのやりたいことを見つけて就活できるんだろう」と不思議で、羨ましかったんです。もちろん、選択肢は一般的な就活をするルートだけではないとわかっていたものの、やっぱりそれに乗るのが暗黙の内というか。就職しないと人生が終わってしまうのではないかという不安もありましたし、もやもやを抱えたままの活動は、心理的にかなり辛かったです。

そんな中、自分を取り繕わず、自らの意志で行ってみたいと思えたのが日本郵便でした。小学生の頃から手紙を書くのが好きだったこと、高校生のときに人生初のアルバイトで郵便局の年賀状の区分をしたこと、大学生のときによくおつかいに郵便局に行ったこと。そういったことからも縁を感じていましたし、それらの中で社員の方の優しさを感じて、わたしはやっぱり郵便局が好きだなと思ったんですよね。

正直、お堅い職場なのかなとも思っていたのですが、就活のイベントで社員さん同士がすごく気さくに喋っているのも自分の目で見て、いいなあって。自分が就職というものに対してずっと腹落ちしていなかった中で「この会社は好きだな」と素直に思えたことで、日本郵便に就職することを決めました。

部署を転々としながら始めた有志活動


日本郵便に入社し、研修を終えると実際に研修生として町の郵便局で窓口業務やバックオフィス、年賀状配達などを1年間経験しました。いざ働いてみて思ったのは、お世話になった社員の人たちがすごくお客さま想いで、ユーザー側として見ていた郵便局の印象と大きな差がなかったなって。お客さまも、窓口でおしゃべりしていく方とか、局長さんに「久しぶり」と挨拶をして差し入れしてくださる方とかがいらして。そういう郵便局とお客さまの関係性を肌で感じられたのは、すごくよかったですね。

他にもマンションに年賀状の配達に行くと、集合ポストの向こう側からちっちゃい男の子の声で「パパ、まだ年賀状が入っていない!」と話すのが聞こえてきて。わたしは「今配っているから待ってね」と言いながら順番にポコポコ入れていくんです。わたし自身、小さい頃から手紙が届くのを待ち遠しくしていたから、やっぱりそうやって待ってくれている人がいるんだなと感じられたのもうれしかったですね。

2年目からは本社の営業部に配属されました。郵便局の営業の基盤作りに携わり、現場への支援策を考えたり、数字の推進のために奮闘していましたね。ですが、本社の仕事は明確な区切りがないというか、どこまでも突き詰めて走り続ける分野。自分で仕事の区切りをつけて休ませてあげるということがうまくできなかったので、いろいろと考えすぎてしまったこともありました。

それから、自ら希望して持株会社の経理部に異動し、会計管理と決算の公表を担当しました。営業とは異なる分野の仕事にも携わってみたいと思ったことと、学生時代から数字はめちゃくちゃ苦手でしたが、だからこそあえて仕事で扱えば強くなれるかなと思って、数字の海に浸かることにしたんです(笑)。そのおかげで、外部の証券会社やアナリストからの会社の見え方を知ることができました。コーポレート部門で仕事をするのも初めてでしたが、決算業務を通して、会社全体を見る視点が身についたり、社会の仕組みや世の中の反応を知ることができたりするようになったのは、一つ大きな経験になりました。ちなみに、数字は苦手なままでした。

3回目の異動で配属になったのは、新技術を使って郵便配達を改善する新しい部署でした。今までは歳の離れた先輩たちと仕事をすることが多かったのですが、ここは同世代も多く、新鮮でした。難しい仕事ではありましたが、尊敬するメンバーとともに楽しくやっていましたね。

そんな中、社内では意見交換や社内コミュニケーション、人との繋がりを目的にした有志団体「P∞(ピース)」が発足。営業部時代に先輩に誘われた社内勉強会がきっかけで、立ち上げ当初からメンバーとして呼んでもらうようになりました。定期的に開かれるランチミーティングで意見交換をしたり、会社の幹部をゲストスピーカーに招いて、今までの人生や仕事について話してもらったりしていましたね。

P∞自体は日本郵便内での有志活動でしたが、「ONE JAPAN」という様々な大企業の有志団体が集まる組織に加盟し、さらに活動の幅が広がりました。また、以前P∞の代表だった方がONE JAPANの幹事になったことがきっかけで声を掛けていただき、広報担当者としても携わることになりました。

ONE JAPANのメンバーは、やりたいことがはっきりある人が多いように感じるのですが、その中で活動していると、わたしはリーダータイプではなく、フォロワータイプなんだなと気づきました。就活の時もそうでしたが、正直わたしは何か大きくやりたいことが明確にあるわけではないんです。ただ、目の前の誰かが自分を犠牲にしてまで頑張る姿を見ると、支えたくなってしまう。

表舞台に出るのに慣れすぎると、裏方の苦労がだんだん見えなくなってしまうと思っていて。だからわたしは、どんな企画でも誰かが頑張って手を動かし汗をかいていることに気づこうと、心掛けるようになりましたね。

小さな幸せを見逃さずに生きていく


現在は、日本郵便の経営企画の部署に異動し、中期経営計画の策定の担当をしています。まだ異動して間もないのですが、すでに怒涛の日々を越えて中期経営計画の公表を終えました。これからは、公表したものの進捗状況の確認や、年度の経営計画の作成を進めていく予定です。

入社後いろんな部署を渡り歩いて、毎回転職したかのごとくゼロからやってきました。今いる経営企画部は、会社のさまざまな情報が集まってくる場所なので、各々でやってきたことや見てきたこと、教えていただいたことが繋がって、役に立っているなと感じています。

それにP∞をやっているおかげで、今ではどの部署にも大抵知り合いがいる状態で。仕事の中で他の部署に依頼をすることもたくさんあるのですが、相談もしやすいですし、有志活動でできた社内の繋がりにかなり助けられています。

ONE JAPANでも引き続き広報を担当しています。活動をいいと思ってもらえるように、仲間と一緒にFacebookでの認知拡大などに取り組んでいます。有志団体での関係性は、会社と友人のちょうどいい中間にあると思っていて。会社の人とも古くからの友人とも今さらできないような真面目な話を気軽にできる人たちが集まっているので、そこはすごくいいなと。

ただ、やっぱりわたし自身に大きな野望があるわけではないんですよね。でも最近自分なりに考えて思うのは、結局わたしは郵便局が好きだから、世の中の人たちにも同じように好きな場所で在り続けてほしいなって。その良さを作っているのはフロントに立つ局員さんたちなので、彼らが大事にしているお客さまに対して、前向きに接客できる場所づくりをしていきたいというのが、わたしの本音なのかなと思います。

良い意味で仕事を最優先にしない人ではありたいんです。やらなきゃと思ってやっているのではなく、自分で選んでやりたくてやっているという風でありたい。何事もできるだけ前向きに捉えたいですね。過去には家庭で辛い思いをしましたし、それ以外にも、周りの人に迷惑や心配をかけたこともいろいろとありました。ただ、そうした中でたくさんの人に支えていただいて、これまで生きてこられたので、本当にありがたいなと感じています。

「当たり前を、当たり前だと思わないようにしよう」と心に決めた経験があるからこそ、小さなことでもありがたく感じるし、そのスタンスでいると、ありがたいことにいろんな人が助けてくれるんですよね。自分の人生は、周りの人たちの繋がりや支えによって存在しているなと感じます。だから、そういう当たり前ではない小さな幸せを見逃さず、大事にしながら生きていきたいですね。

2021.08.23

インタビュー | 伊東 真尚ライティング | むらやまあき
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