未来への手紙で、自分と向き合う時間を。 素直な気持ちを表現できる世界へ。

東京・蔵前で、1年後の自分への手紙を書くことができる場「自由丁」を運営している小山さん。自分の素直な気持ちを言葉にすることがためらわれる社会に、息苦しさを感じていたと語ります。小山さんが、未来への手紙文化をつくることで夢見る世界とは。お話を伺いました。

小山 将平

こやま しょうへい|自由丁オーナー/株式会社FREEMONT代表取締役
1991年、東京都葛飾区生まれ。東京理科大学理学部卒業後、デジタルハリウッド大学の講座を受講し、そこで出会った仲間と株式会社FREEMONTを起業。旅行ガイドアプリを製作する。2018年に未来の自分に手紙が送れるウェブサービス「TOMOSHIBI POST」を立ち上げ。2019年には東京・蔵前にて実店舗「自由丁」を構え、オリジナルのレターセット「TOMOSHIBI LETTER」を提供している。

物理学のロマンに惹かれて


東京都葛飾区で生まれました。いわゆる東京の下町育ち。自宅はマンションの一室で、周囲に高いビルがなく、自分の部屋から飛行機が見えていました。天気がいい日は富士山も望めたんです。空を眺めることが生活の一部でした。

おばあちゃん子だったので、学校が終わると、実家の向かいにあるおばあちゃんの家でよく遊んでいました。おばあちゃんは段ボールや厚紙を集めてくれていて、弟と一緒に絵を描いたり、カードゲームを作ったりしていましたね。感情の赴くままに創作をするのが好きでした。

小6で千葉県にある中高一貫校を受験しました。選んだ理由は、校庭が広かったから。学校見学に行ったときに衝撃を受けたんです。そこに立って空を見上げると、普段眺めているものと比べものにならないくらい空が広くて。直感的に惹かれて、受験を決意しました。

中高では学校行事に打ち込みました。僕自身は積極的に手を挙げるタイプではなかったんですが、クラスメイトから学級委員長や実行委員に推薦されたんです。何事に対しても楽しもうという姿勢だったからでしょうか。目立つことは嫌ではなかったし、楽しかったです。

企画を考えるのも好きでした。普通にやるのはつまらないと思い、文化祭ではカジノをしました。景品としてお菓子をあげるだけの簡単な形式でしたが、皆が笑って楽しめるものを考えるのが面白かったですね。

高3のとき、塾の先生の影響で物理学にロマンを感じました。物理学は、簡単に言うと、世の中の仕組みや自然の法則を、シンプルな式で表そうとする学問です。例えば、りんごが落ちるのと飛行機が飛ぶのとは、まったく違う現象に見えるけれども、同じような式で表せるのではと考えます。そんな唯一の法則を発見できたら、世界はどんな風に見えるんだろう。ロマンのある学問だなと思いました。

物理学を学んだことで、物事の考え方も変わりましたね。それまで僕は、受験勉強のような詰め込み型に違和感を覚えていたんです。暗記することになんの意味があるのだろうと。でも物理学では「考えれば、物事は解決できる」と言えます。覚えるものだと思っていた数式や理論も、すべて理由がある。考えれば考えるほど、物事の理解が深まっていくことに納得感がありました。

自然体な感情のままに生きる


大学入学後は、ほとんどの時間を物理学に打ち込みましたね。軽音楽サークルにも入っていましたが、勉強が楽しかったんです。

3年生になると、フェスを運営する学生団体にも参加。世界中の国に関する雑貨屋さんや飲食店を呼んで、最大1万人を動員するフェスを開催しました。頭で考えて、誰でも分かるような論理を積み重ねることで、プロジェクトは動くし、人を巻き込むことができる。ここでも、とにかく考え続けました。

このように大学生時代の僕の考えや行動は、「考えれば、物事は解決できる」という思想が軸でした。でも実は、徐々に絶望を覚えていたんです。頭を使ってひねりにひねり出した結論が、開始10分で思いつくような、代り映えもしない誰もがひらめく内容だったみたいなことも多くて。要するに僕は天才ではなかったんですよね。

一方で、世界に目を向けたフェスの経験などを経て、将来は同世代の仲間とともに、地球をよくする活動をしたいと考えました。ただ、このままの自分で何ができるのだろうかと疑問を感じたんです。実際には、黒い髪で同じような服装をして就職活動をする人たちしか知りませんでした。グローバルな社会のために役に立ちたいといっても、僕が見ている世界はまったくグローバルではなかったのです。

世界のたった一部しか知らない僕が、世界中の人と共に問題を解決することなんて到底できる気がしない。まずは自分の視野を広げ、主体的な判断ができるだけの材料を集めようと、シアトルに1年間留学することに決めました。

シアトルは都市部ではありますが、豊かな自然にもあふれている場所です。特に、ワシントン湖はまるで海のような広さで。その湖をはさんで2つの都市があるんです。湖をわたって毎朝この広大な景色を見て通勤している人たちは、東京の満員電車に揺られるサラリーマンよりも、自由で開放的な気持ちでいられるだろうなと感じましたね。

ある日、地元では有名なミュージシャンである、ホストファミリーの息子の野外コンサートへ行きました。

そこで見た光景は衝撃的なものでした。芝生一面に座り込んでいる満員の観客。大勢の人たちを前にして、彼は目をつぶってギターを弾きながら歌っていました。その姿はすごく楽しそうでした。彼は本当に音楽が大好きなんだと、しみじみ思いました。

のちにあるインタビュー記事で、彼は「なぜ音楽を作るのか」という問いに、「自分が聴きたいと思う音楽を作っている。だから僕は、自分の曲が大好きです」と答えていました。「楽しい」「好き」という自然体な感情のまま、彼は生きていたんです。

同時に、その生き方を許容する街のあり方にも惹かれました。日本の音楽業界は、メジャーとインディーズがはっきり分かれています。一方でシアトルは、地元のミュージシャンやアーティストたちを歓迎する文化があります。留学の最後の3か月は地元のNPOでローカルのアーティストの支援をしていたので、地元の人たちとライブの設営を手伝いながら、どんな生き方も受け入れる文化をひしひしと感じましたね。

それぞれの「好き」を自然体で表現できる地盤があるからこそ、みんな自分がやりたいことを言える。そのことを実感しました。僕にとってもストレスがなくて、精神的にも楽でしたね。僕も素直な気持ちにあふれる文化を作りたい。自分の成し遂げたい夢が決まりました。

過去の自分からの手紙


日本に帰国後、あらためて統一性を求める日本の社会に違和感を覚えました。「いい会社に入る」「将来苦労しない」みたいな社会的通念を重視して、素直な思いで人生を歩む人を異端とするような社会を息苦しく感じました。

就活では「素直な気持ち」を軸に相性のよさそうな企業を選んだものの、新卒で入社したIT企業はすぐに辞めました。マニュアルばかりで、年功序列の日本企業的な在り方に違和感を覚えたからです。自分を押し殺すより、素直な気持ちで生きられる場を自分でつくりたいと考えました。

それからいろいろと試行錯誤しました。まずは、シアトルに旅行し、自分の気持ちと向き合う時間を過ごしました。それから1年間友人の会社で働いた後、プログラミングスクールに通い、そこで出会った友人何名かと起業。旅行ガイドアプリを作り始めました。でもうまくいかなくて。どんどん仲間も離れて、これからどうしたらいいかも分からなくて、どん底の状態に陥りました。

失意の中、これからどうしようか模索しました。そんなとき目に入ったのが、これまで書いてきたエッセイや詩、メモの山。昔から自分の気持ちを書き留めておくことは、ずっとしていたんです。それらをすべてプリントアウトして、軽井沢のホテルに1泊することにしました。過去の自分が何を考えていたのかを知ることで、本当にやりたいことは何なのか考える材料にしようと思ったんです。

一つひとつ読み返していると、我ながらすごく感動しました。過去に自分が書いた文章なのに、「こいつ、いいこと言うな」と思えて。新たな発見ばかりでメモが尽きなかったんです。過去の自分は、もはや他人。いつしか積み重ねられた文章の山が、過去の自分から今日の自分にあてた手紙のように感じられたんです。過去の自分からエールをもらっているような、そんな気持ちになりました。

そのときふと、「今落ち込んでいる自分は、未来の自分からどう見えているんだろう」と思いました。たぶん未来の自分は、今の悩みをなんとか解決して、また別のことで悩んでいるんだろう。そう思うと心が楽になりました。同時に、今自分が励まされたように、自分も未来の自分に言えることがあるのではないかと思ったんです。

1年後の自分に、気持ちを伝える


そこで、まずは自分自身のために、未来の自分に手紙を届けられるウェブサービスを立ち上げました。僕が目指していたのは、シアトル留学後と変わらず、素直な気持ちにあふれた社会。素直な気持ちを書いたものは、すべて「手紙」だと定義しています。普段押し殺している感情をさらけ出す第一歩として、手紙は良い練習になると思います。

今の社会は、0か1の答えを求めて意見を発信し、議論する人たちが目立ちがちです。でも一方で、0なのか1なのか「分からない」と感じている人も大勢います。その人たちのほとんどは、自分の思いを表現できず、心の奥底に閉じ込めているかもしれない。
僕もそのうちの一人でした。いろんな社会問題をニュースで見るけれど、「本当にそうなの?」「実感が湧かないな」と思うことがよくあって。でもそれを発言できる場所は全然なくて、自分で閉じ込めていました。

本来、自分と向き合う時間は、人生にとって大事なはずです。周りから見たらなんのためになっているか分からなくても、向き合わないことで積もり積もっていく苦しさもあります。自分と向き合い、「分からない」という気持ちさえも素直に表現できる機会として、未来の自分への手紙は、第一歩になるのではと考えました。

どれくらい先の自分に向けて書くのかは、当初「1年後」と設定しました。想像がつきやすい長さだと、自分の具体的な気持ちだったり、人生のことだったりを素直に書けるんです。なので1年がぴったりだと思いました。僕自身、未来への手紙を書くときは、今の気持ちを書いて終わることが多かったですね。1年後に読み返すと、「ああ、あのときの自分はこんなことを考えていたんだな」と嬉しくなりました。過去の自分だけど、まるで他人のようで。年賀状をもらうかのように、心がほっこりしたんです。

利用者も人それぞれ、手紙を書く理由も背景も異なります。誕生日の記念に書く人もいれば、何気ない日常を綴る人もいました。目的は違えど、「書いてすっきりした」「届いた過去の自分からの手紙に励まされた」とのお声をいただけるのが、嬉しいですね。

ただ、サービスを提供する中で、徐々に課題を感じるようになりました。ウェブの二次元の世界は、本当に自分に向き合う場を提供できているのだろうか、と。もっといい環境をつくることも大事なのではないかと考えたんです。

素直な気持ちで生きる人を増やす


現在は「自由丁」という、東京・蔵前の実店舗をベースに、「素直な気持ちと日々を味わう」のブランドスローガンのもと、未来の手紙を書くカルチャーづくりをしています。はじめは手紙と便箋だけを渡していましたが、徐々に改良。自分と向き合うために、テーマを定めた質問リストをつくって渡したり、僕が毎日書いているエッセイを渡したり、その気分にあったお茶やコーヒーを提供したり。素直な気持ちになるための場づくりを進めています。

自由丁という名前には、「町」の意味も込めています。町のいいところは境界線がないことです。出入りが自由で、来たかったら来ればいいし、去りたかったら去ればいい。とはいえ、誰かを疎外したりはしません。「自由丁ならば素直な気持ちで過ごせる」と思えるような、拠り所のような存在であれたらと思います。

将来的には手紙以外の機能を増やしたり、実店舗を増やしたり、バーやカラオケボックスを運営したりすることもあるかもしれません。どうしたら素直な気持ちで生きられる世界になるのか、模索していきたいですね。

僕は大学の3年間、「考える」ことに専念しました。一方でシアトルでは「思う」ことに集中しました。「考える」とは、論理的に説明できるもの。「思う」とは、うまく言葉にできなくて、根拠がないけれど、でも湧き上がってくるような感情。本来「思考する」とは、両面のことを指します。とはいえ、「思う」は「考える」に比べて根拠に欠ける分、自信をもって発信しづらく、バランスが保てていない人も多いのでは感じます。そういった面でも、自由丁の活動を通して「思う」機会を提供することで、バランスのある「思考」をお手伝いをしていきたいですね。

僕の夢は、みんなが素直な気持ちで過ごせる世界を、この目で見ること。そしてその中で僕も健やかに暮らすこと。そこではアートに打ち込む人もいるかもしれないし、働くことに精を出すかもしれないし、いいお母さん、お父さんになることを夢見る人もいるかもしれません。一人ひとりが自由に、素直な気持ちで過ごす。それを周りも許容する。そんな世界について、今から想像を膨らませています。

2021.08.16

インタビュー・ライティング | 林 春花
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