血液がんの経験と、海外で得た学び。 ファッションを手に、自分ができることを。

ファッション業界に憧れ、その道を志してきた鈴木さん。高校で国際学科に進んだことで、資本主義や平和にも関心を持つようになりました。18歳で血液がんを患った鈴木さんが、ファッションを学び続けて、実現したい世界とは。お話を伺いました。

鈴木 明日香

すずき あすか|服飾系専門学生
1998年生まれ、神奈川県出身。文化服装学院4年生。高校にて国際学を学んだ後、文化服装学院へ。入学後、悪性リンパ腫の一種、ホジキンリンパ腫と診断され、投薬治療を経験。卒業後は、アパレル企業のブランドマネジメント職として働くことが決まっている。

キラキラしたファッションの世界


愛知県で生まれ、神奈川県横浜市で育ちました。幼い頃は肥満児ということもあって、いじめられていたんです。幼稚園に入る前はやんちゃだったのに、「太っている」という理由でいろいろ言われて、急におとなしくなってしまいました。

ただあるとき、いじめっ子とは別のグループの子と遊んでいたら、その子が「私たち親友だから」って言い出したんです。「親友って何?」と思いましたね。太っていることなんて関係なく、こうやって一緒に楽しく遊んでいれば、友だちになれるんだと気づいた瞬間でした。

小学校に入っても、最初はおとなしかったですね。男の子に消しゴムを取られても、何も言い返せないような子でした。そんな自分が少しずつ変わっていったのは、ファッションに興味を持って、憧れを抱き始めたから。

ファッションを意識した元々のきっかけは、6歳くらいの頃叔父からもらっていた「ご近所物語」という漫画でした。デザイナーを目指して専門学校に通う女の子のストーリーです。そのキラキラした世界に惹かれましたね。「こんな素敵なドレスがこうやって出来ているんだ」って。太っていた自分には「こうなったらかっこいいな」と思える、憧れの世界でもありました。その頃からドレスの絵などを描くようになり、次第に友だちも増えていったんです。9歳の頃には、強さを取り戻していました。

国際人を育てる高校へ


中学を卒業したら、ファッションの専門学校へ行きたいと考えました。でも親や先生に「その歳で人生を決めてしまうのは早い」と言われて。反抗心から普通科には進学したくなかったので、国際学科のある学校へ行くことを決めました。海外の子ども向けドラマを見て育ったので、その華やかな衣装や洋楽、アメリカが好きだったんです。海外への漠然とした憧れがありました。

「英語を勉強しよう」くらいの気持ちで入学した国際学科。しかしその学校は、ちゃんとした国際人を育てるところだったんです。社会情勢や国際問題について勉強し、ただ英語を話すだけでなく、「何を話すか」を学びました。部活はダンス部に所属し、ダンスの練習と英語、国際学の勉強に明け暮れる毎日でしたね。

高校2年生の夏休みには、アメリカに3週間滞在する留学プログラムに参加しました。そこで驚いたのは、日本とアメリカの平和に対する考え方の違いです。日本人の多くは、戦争しないことが平和だと考えていますが、アメリカ人の中には、自国が武力を持つことを平和だと考えている人もいて。自分の当たり前が、実は当たり前じゃないんだと気づかされました。

あるとき、留学プログラムの一環で、平和についてディスカッションする機会がありました。平和のために武器を手にしたオランダ軍の司令官の話を例に、「あなたは平和のために何を持ちますか?」と問われたんです。私はその場で上手く答えられず、その問いについて考え続けることになりました。

帰国後、平和や資本主義について関心を持ち、勉強するように。世界の中で、自分が経済的に強い立場にいることも分かりました。そして学ぶうち、大好きなファッションの世界に、児童労働や過酷労働が存在していることを知ったんです。最初はショックでしたね。ファッションの道へ進むことを辞めようかと考えたくらいです。

でも私の中には、留学プログラムのディスカッションで投げかけられた問いがありました。「平和のために何を持つか」。その答えを、ずっと探し続けていたんです。そして、やっぱり私はファッションを勉強し、ファッションを手に、できることをしたいという思いに至りました。

この留学では、他の参加者からも大きな影響を受けました。帰国子女が数人いたのですが、普段あだ名としてミドルネームで呼ばれている子が、アメリカで自己紹介するときには、ミドルネームではなく日本名を名乗るんです。そして、日本人としての自分をつくり上げていました。理由を聞くと、「日本人として見られたいし、日本人としてここにいるから」と言われて。自分のアイデンティティをしっかり持っている彼らが、すごくかっこよく見えましたね。だから私も、自分らしいアイデンティティをしっかり持とうと思いました。英語を話すにしても、日本人らしい部分を伝えるために話そう、と。

帰国後の学校での人間関係にも、変化がありました。もともと私は、自分のことを勘違いされやすかったんです。意地が悪い人に思われがちで、自分のことを隠そう、隠そうとしていました。でも留学で自分を出す人たちと出会ったことから、「周りに自分を『予想』されるから駄目なんだ」と気づいたんです。そこで、何を考えていてどんな人間なのか、自分からちゃんと発信しようとしてみました。そうすると、次第に人間関係が上手くいったんです。最終的には、クラスのメンバーは家族のような存在になりました。

入学後に発覚した悪性リンパ腫


高校卒業後は、服飾の専門学校に入学しました。過酷労働などファッション業界の現実について知った私は、服をつくることよりも服のビジネスに関心を持ちました。それで、ファッション流通科に入ったんです。消費者と売る側の両方にアプローチできる、流通関係の仕事に就き、「安ければいい」というファッション業界の構造を変えたいと考えました。

ところが入学後すぐの健康診断で、身体に異常が見つかりました。高校生のときから「腰が痛いな」と感じていましたが、ダンスの影響かなと思っていて。痛み止めで治るので、気にしていなかったんですよね。

病院で精密検査を受けたら、「悪性リンパ腫」の疑いがあるとのこと。医師からは検体検査の必要があること、腫れている部分を手術で取らなければならないことを告げられました。私は、どういう状況なのか、あまり理解できていませんでした。でも親が泣き出したときに「これはやばいことになった」と察して。「あぁ」って落ち込みましたね。ネットで症状や病名をめちゃくちゃ検索しました。そして検査後、血液がんの一つ「ホジキンリンパ腫」だと診断されたんです。

そこから学校を休学し、自宅と病院を行き来して投薬治療を受ける日々が始まりました。投薬は2週間に1回。薬を入れて4日間は体調が悪くて何もできず、5日目からなんとか座っていられるように。全部で2週間の回復期を経てまた投薬して…そんな日々を繰り返しました。

ただ、実は治療が始まる頃には、暗い気持ちは切り替わっていたんです。「治療が始まるなら大丈夫だ」と。休学が決まったときに思ったのは、「これから永遠の夏休みが来るぞ!」ということ。課題に追われず、好きなときに寝て、やりたいことをやる自分になるぞって、ワクワクしたんです。服も、普段よりお洒落しようとしていました。

だから、薬の影響で髪が抜けてしまうことは辛かったですね。それに治療中は、免疫が落ちてくると金属アレルギーになったり、化膿が悪化したりするので、ピアスを塞がなければいけないと聞いて。あまりに哀しかったので盛大に泣きじゃくっていたら、ピアスを塞がずにすみました。人生初の泣き落とし成功でした。

それでも、一緒に状況を「楽しんで」くれる友だちがいたことがありがたかったです。同情したり、腫れ物に触るような態度を取ったりする子もいました。でも元気なときに「どこか行こうよ!」と誘ってくれる子もいて。「私は同情されるより、一緒に楽しんでくれる人がほしいんだ」と気づきました。

また、病気になってから、いろんな人を「命」だと思って接したいと考えるようになりました。先進国でも過酷労働の問題がありますが、働く人を「命」として見ていない場合があると思うんです。それって、とても悲しいこと。自分も相手も「命」だから、丁寧な言葉遣いをすること、無理しないようフォローすること、そんな働き方ができる大人になりたい、という想いが生まれました。

復学し、二度目のアメリカへ


半年に渡る治療は順調に進み、学校には一年生から再入学することが決まりました。復学にあたり、ファッション流通科からグローバルビジネスデザイン科へ転科することに。その理由の一つは、高校のときから学んできた国際学を継続して学びたかったということ。日本で経過観察をしなければならず、海外留学は難しかったため、日本に居ながら国際的な学びを得られる学科を選びました。

もう一つの理由は、自分でビジネスをしてみたいと考えたからです。そのきっかけは、病気になってファッションに困ったことでした。がん治療者の中でも、若者はマイノリティ。若者向けのファッションがあまりなかったんです。例えば治療者のためのケア帽子は、地味な色が多く、海外のデザインは日本人の顔に合わない。私はカツラも、かぶるならすごい色のをかぶりたいと思っていたので、いいものがなくて。そういうニーズに応えるビジネスを自分でできたら、と考えました。

復学後、夏休みに一か月だけニューヨークへ行きました。海外に住んでみたいという夢があったので、期間限定でチャレンジしたんです。語学学校に通いながら、ファッションブランドの仕事の手伝いもしました。引越しをしたり、髪を染めに行ってみたり…。高校生のときの留学プログラムでは、連れて行かれるがままでしたが、今度は自分の足で歩いて、暮らしてみると、また見えてくるものが違いました。

ヒスパニックの友人とも再会しました。その子からは、自分は何もしていないのに、見た目で社会的な立場が決まってしまうこと、上に行こうとしても行けないという話を聞いて、胸が痛くなりましたね。人種の壁をより強く感じた旅でもありました。

ただ、旅全体を通して印象的だったのは、ニューヨークの「みんな違って、みんなどうでもいい」という雰囲気。高校時代に来たときは、私も周りを気にしていました。でもこのときは、周りを気にせずにいられて、それが心地よかったんです。

帰ってきてしばらく経った頃、日本でユニバーサルファッションに関するイベントがあり、「みんな違って、みんなどうでもいい」世界が理想だという話が出ていました。ニューヨークで私が感じていた空気感が、まさにそれだと思いましたね。

地球の裏側を想像する


今は、文化服装学院の4年生です。国際的な視点を持ちながら、服を売る技術など、ファッションに付随する物事を学んでいます。ファッションの文化について学ぶうちに、服を着ることの面白さや価値を、もっと高めたいなと思うようになりました。

例えば服の原料や歴史、そこに付随する機能性を知っていると、服選びはもっと変わってくると思います。みんなが着ている安い服を買うのではなく、どんな動機であれ、その服に本気で恋をするような気持ちで買えれば、服を着る価値も変わってくるんじゃないかと。

卒業後は、ファッションのインキュベーションカンパニーと言われる会社への就職が決まっています。国内のデザイナーに投資しながらブランドを育てていく会社で、日本のデザイナーによる商材を、海外へ売り出そうとしています。

この会社でやりたいのは、国内ブランドを手がけるデザイナーの魅力を伝えること。別の会社でインターンを経験したときに、初めて知ったことがあります。それは、国内のデザイナーさんたちが、昔からサステナビリティや環境問題に、自然に取り組んできたことです。さらに、風合いやデザインの面白さ、クラフトマンシップを追求してものづくりをしてきたこともわかりました。同じような値段で量産品を購入している人たちに、こういったいいものづくりを広められたらと思っています。

それから副業として、自分のブランドをやってみたいですね。がん治療中のファッションに困った経験から、直近ではヴィンテージスカーフを売りたいと思っています。日本にはスカーフを身につける文化がないので、まずはSNSなどを使って、その文化づくりから始めたいです。ゆくゆくは、スカーフに合うノンアレルギーのピアスもつくりたい。がん治療をしている方、脱毛症の方だけではなくて、みんなが人生のどんなフェーズにいても、いつも通りにファッションを楽しめるようなものにしたいと考えています。

自分のブランドを副業で考えているのは、やっぱり企業にいた方が世の中に大きな影響を与えられると思うからです。私の根本にあるのは、今の資本主義を変えたいという思い。そのために、まずは私たちが、経済的に強い立場にいることを理解すべきだと思っています。なぜ100円で物が買えるのか。日本にいながら、地球のどこかの誰かに思いを馳せることが、本来のグローバルだと思うんです。地球の裏側を想像するということですね。

大量生産、大量“消費”の時代ですが、服は「消して費やす」べきではないです。長く着て誰かに受け継ぐぐらいのスパンで、みんなが服を大事にできるようになればいいですね。そのためにはどうすればいいのか、勉強したいです。いろんな人が、もっと服を愛する世界ができたら、と思っています。

ファッションの世界に惹かれ、国際学を学び、病気を経験し…その時々で、自分は変化してきました。この人生の積み重ねが「自分らしさ」だと思います。「自分らしさ」は一つじゃなくていい。他人に「明日香っぽくないね」と言われても、その人が多面的な私を知らないだけ。私はいろんな格好をしますが、その全部が自分らしさなんです。ファッションは私にとって、そんな自分を表現する絵の具のようなもの。まだまだこれから、私の「自分らしさ」は変わっていきます。

2021.07.26

インタビュー | 伊東 真尚ライティング | 塩井 典子
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