負けすらもポジティブに。 好きを極めて辿り着いた職業・プロゲーマー。

格闘ゲームのジャンルで、日本人プロゲーマーとして活動するボンちゃん。高校を中退し、まだ日本では珍しかったプロゲーマーという職業に辿り着くまでには、さまざまな出会いと取捨選択があったのだそう。好きだと心から思えることを続けてきた過去とこれからについて、お話を伺いました。

ボンちゃん

ぼんちゃん|プロゲーマー
1987年生まれ、東京都出身。高校を中退後、雀荘での勤務を経て、2015年よりプロゲーマー。格闘ゲーム「ストリートファイター」で活躍し、国際大会での優勝も多数。近年、全国各地でファンとの交流イベントを行うなど、ゲーム業界の発展に向けた活動にも力を入れている。

対戦することで強くなれる面白さ


東京都東久留米市で生まれました。幼稚園児の頃から体格がよくて、サッカーや野球をやっていました。運動自体は好きではありませんでしたが、「一度始めたら中途半端にやめるな」という親の言葉を守って、続けていましたね。その分、家の中ではゲームをやることが好きで、2歳年上の近所のお兄ちゃんによく遊んでもらっていました。

小学校高学年になると、もらったお小遣いを持って毎月ゲームセンターに通いました。対戦ゲームをするとすぐにお金を使い切っちゃうから、強くなるまでは一人用の台で練習していましたね。少しずつ力を付けて、中学では同じ塾の繋がりで知り合った友人と、よく対戦するようになりました。彼らは同じくらいのレベルだったので、ゲームをするといつでもいい勝負になるし、自分も強くなれるんです。

一緒に対戦する友人ができたことで、格闘ゲームの面白さが一気に跳ね上がりました。強さというものは、いくらでも伸びしろがあることを知ったし、天井がどんどん高くなっていくような気がして、すごく楽しかった。一人で遊ぶRPGとは明確に違いましたね。

しかし、高校では学校に格闘ゲームをやる友人がなかなかいなくて。もちろん、中学からの友人と引き続きゲームをやることはありましたが、代わりに麻雀をやる時間が増えていきました。麻雀も4人でやりますし、相手が強ければ強いほど面白い。格闘ゲームの面白さと似ていたのもあって、みんなの分のゲーム代を自分が出してでもやりたいというくらい、麻雀への熱が高まっていきました。

一方、学校では必要な単位数を落としてしまい、退学せざるをえない状況になってしまったんです。どうしようかと考えた結果、熱中していた麻雀で生きていくことを決め、18歳で池袋の雀荘で働き始めました。

雀荘で出会った格闘ゲーム界の神様


高校を辞めてからは雀荘で週5〜6日働いて、息抜きにゲームをするという生活が始まりました。接客の他、人数が足りないお客さんの卓に混ざって、実際に麻雀を打ちながらスキルを磨いていましたね。麻雀で生活していくためにも、本気でプロの雀士になろうと思っていたんです。しかし、いざ実際プロの方とお会いして話を聞いてみると、収入の面でも時間の制約の面でも、プロになる魅力を感じなくなってしまって。

そんな中、雀荘の同僚から「君って格ゲーやるんだよね」と聞かれて頷くと、「うちの店に格ゲーの世界チャンピオンいるよ」と言われました。はじめは懐疑的だったのですが、蓋を開けてみたら本当に、格闘ゲーム界の神様とも呼ばれていた「ウメハラ」こと梅原大吾さんだったんです(笑)。

彼は一度格闘ゲームを離れていたのですが、僕はどうしても一緒にゲームをしたくて、毎週仕事終わりに対戦してもらうようになりました。もちろん強いんだけれど、僕が勝てることもあってすごく楽しかったですね。麻雀に傾いていたことで少し離れていた格闘ゲームに、もう一度のめり込むきっかけになりました。

その後、ウメハラさんを始め、知り合いの格闘ゲーム仲間たちが日本のプロゲーマーとして活動し始めました。それまで日本ではプロゲーマーという職業が存在しなかったので、僕は正直あまりピンときていなかったんです。業界自体どうなるかわからないし、危うい世界だなという印象。「遊びの延長じゃない?」という気持ちもありました。ただ、彼らの活動を見ていて面白そうだなと、興味は持つようになっていきましたね。

ゲーム一本で生きていくと決めた


雀荘で働きつつ、また格闘ゲームを熱心にやるようになると、プロゲーマーの知人の一人が、週に1回練習相手として、僕を呼んでくれるようになりました。彼は、海外の大会に出場するたびに、優勝トロフィーやメダルをいくつも獲得して帰ってくるようなプレイヤーでした。僕も強い相手と対戦できるのは嬉しいので遊びに行っていたのですが、彼の一日のスケジュールや時間の使い方を目の当たりにして、すごく驚いたんです。

僕が練習相手になる時は、1つのゲームで2時間みっちり対戦するのですが、彼はプロとして5〜6個の格闘ゲームをプレイしているので、その後も2時間刻みで全部のタイトルをこなしていくんです。「何だこれ…」みたいな(笑)。良い試合だったらそのぶん疲れも溜まるはずなのに、次々とこなしていました。さらに、合間に体を動かすためにジムへ行ったり、プレイのスケジュールを徹底的に管理したりしている姿を見て、「これは遊びではなくて仕事なんだ」とすごく納得できたんですよね。胸を張って「ゲームをやっている」と言えるなって。

そんな彼の近くにいたこともあって、自分もプロのゲーマーとしてやりたいと思うようになりました。ですが、格闘ゲームに関わる人口はまだまだ少ないから、プロゲーミングチームも個人スポンサーもほぼない。プロになること自体、かなりハードルが高かったんです。それでも、プロになるためにさまざまな大会に出場しましたね。世界大会で準優勝できたことで、プロになるオファーもいただきました。でもその時はお断りしたんです。理由は、自分の安売りは絶対にしたくなかったから。

もちろんプロゲーマーになりたい気持ちはすごくあったけれど、プロになるなら「ゲーム一本で生活しています」と胸を張って言いたかったんですよね。結局バイトをしないと生活できない状態で、プロゲーマーを名乗るのは嫌だったんです。

だから、その後も何度かオファーをいただくことはありましたが、よりよい条件でプロになるために機会を待ちました。そして、2015年にエナジードリンク最大手の会社と契約を結び、プロゲーマーになりました。待ってよかったなと思うし、ようやくプロを名乗れるようになってうれしかったですね。

僕はプロになる以上、自分がそのゲームタイトルの代表として見られる立場になることを、強く意識していました。偏ったゲーマーのイメージを持たれることが、すごく嫌でした。いい成績が出た大会でのコメントはしっかり受け答えできるようにしようとか、きちんと襟を正して活動していこうと気合が入っていましたね。

「負け」も必ず経験値にする


プロ契約後は、年に15~20回ほど海外の大会に出場するようになりました。一つの大会で、勝敗が決まるのは約10分ほど。その10分間で最高のパフォーマンスをするために、一日に何時間も練習し、週に2~3回はジムに行って体力づくりをするんです。毎回片道15時間ほどかけて海外渡航して結果を残すには、体力と集中力が不可欠なんですよね。

また、スポンサードしていただくとはいえ、渡航費用は年間数百万円かかります。だから試合に負けてしまうと、莫大な時間とお金を無駄にすることになってしまう。それがすごく嫌だし、そこで何も得るものがなかったというのは言い訳にならないので、常に最高のパフォーマンスをできるように準備していました。

それに、仮に負けてしまったとしても、きちんと経験値にできればいいと思うんです。結果が出ないのは自分のせいだと自覚して試合を見直したり、次の戦いに向けて、過去の動画や相手の選手の傾向を見て練習をしたり。自分にとっての良い練習や価値を高めるものは何か、常に考えるようになりました。格闘ゲームも含め、対戦ゲームを競技として捉える際に「eスポーツ」と呼ばれますが、本当にスポーツと同じですよね。映像を見返して、自分の動きの反省点を後から見つけられますし。負けたことから目をそらさず、それすらも楽しんで前向きに取り組み続けることが大事だと感じていました。

そうして実績を積み重ね、プロゲーマーとして生活ができるようになりました。もし家族がいたらプロゲーマーには絶対にならなかったし、ひとりだからこそ好き勝手やっていたけれど、この業界にきちんと身を置いたことで、結婚や子どもを授かりたいと思えたんですよね。そして2019年に結婚し、双子の子どもを授かりました。

でも、生まれたばかりの頃は本当に大変でしたね。選手生命に危機感を抱くくらい(笑)。僕はもともと疲れを感じるとパフォーマンス力が落ちるので、練習を止めていたんです。でも、子育て中はずっとその状態が続くと割り切ってからは、どう上手く付き合っていくかにシフトして考え方も変わりました。子どもが成長するにつれて、仕事とプライベートのバランスが取れて、楽しくなっていきましたね。日々子どもたちの成長を見ているのも嬉しいですし。それからは、非効率だったり上手くいかなそうだなと思ったりしても、とりあえずやってみようとチャレンジ精神を持って、楽しめるように努力していますね。

プロゲーマーを誰もが認める職業に


現在は、引き続きeスポーツの中の格闘ゲームのジャンルでプロゲーマーとして活動しています。国内外の大会に出場していますが、新型コロナウイルスの影響でほとんどがオンライン開催ですね。今はオンラインがどんどん発達して便利にはなっているけれど、やっぱり知り合いと一緒に、ああだこうだ喋りながら戦うのがゲームの面白い部分。もっと面白くゲームができるんだよと、若い人にも知ってほしいです。

そういう思いもあって、コロナ禍になる以前は、毎年海外大会の合間に国内で数回、ファンとのオフラインイベントをやっていました。僕らプロゲーマーは、応援してくれる人がいてこそ活動できます。普段の活動の様子や配信を見て応援してくれるファンの皆さんが、たくさんいるんです。彼らの期待に応えたいという気持ちが強いですね。

今の目標は、プロゲーマーを笑われない職業にすること。プロゲーマーの人口も、ゲーム一本で生活できる人も増えてきています。プロ野球やサッカーのように、誰もが認めるメジャーなスポーツと同じくらい、プロゲーマーを職業として確立させることが、僕の目指すゴールかなと思います。

実は、僕たちの格闘ゲームのプロゲーマーにはまだ、年齢を理由に引退した人がいないんです。今も42歳の方が現役プロゲーマーとして活躍されていますし、若ければ有利というジャンルでもない。だから僕も年齢ではなく、自分が勝ちたいと思ったときに、自分の理想のプレイで勝てなくなったら、やめるんだろうなと思います。今まではプレイヤーしか頭になかったけれど、将来的にはゲームに関わる他の仕事も考えるようになりました。一般的にeスポーツと呼ばれるジャンルには、コーチという職種があるのですが、格闘ゲームには一人もいないんです。今はプロゲーマー同士がお互いに情報を共有している状況なので、コーチがいてもいいんじゃないかなって。

ゲームも麻雀もそうでしたが、自分は、本当に楽しいと思えないと続けられない性分。今の自分の立場も、好き勝手する中で、その都度生き方の取捨選択をしてきただけなんですよね。好きなことをやっているときが、一番自分の人間力が出せると思うから、これからも変わらずそうやって生きていきたいですね。

2021.07.15

インタビュー | 伊東 真尚ライティング | むらやまあき
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