SEから事業開発へシフトしてプロジェクト推進。 強みを補完し合うチームと共に挑戦を続ける。

システムエンジニアから、プロジェクトマネジメント、そして今では事業開発に挑戦している諸藤さん。一人の技術のプロフェッショナルから、「今をみんなの思い出に」をモットーに、チームで一人ひとりが楽しめるようプロジェクトを進めることになったきっかけは。お話を伺いました。

諸藤 洋明

もろふじ ひろあき|日本電気株式会社 ガバメント・クラウド推進本部 ソリューション企画グループマネージャ
1984年、東京都練馬区生まれ。2007年に日本電気株式会社へ入社し、システムエンジニアとしてデジタル・ガバメントを担当。2013年、プロジェクトマネージャーに転身。2017年、社内有志団体「CONNECT」を立ち上げる。2018年、経済産業省主催の事業開発プログラム「始動」に参加。2019年にマネージャーに昇格し、事業開発、ビジネスデザインの領域にも挑戦。2021年から現職。大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニティ「ONE JAPAN」では、有志団体活性化担当幹事を務める。

完成形を想像して必要なものを探す


東京都練馬区で生まれました。幼い頃は、変形させたり合体させたりできるロボットでよく遊んでいましたね。ロボットがどういう仕組みで出来上がっているのかを探りながら、組み合わせていくのが楽しかったんです。

プラモデル作りもよくやっていました。ある日、祖母の家に遊びに行くときに、買ってもらったことがあって。簡単に組み立て終わってしまうと、私がすぐに新しいものをねだるので、親からは「祖母の家にいる間は作ったらだめだ」と言われていました。なので、二週間くらい毎日のように、プラモデルの完成形の写真と、まだ枠組みから外していない状態のパーツを見比べていましたね。完成させるためには、どのパーツをどういう順序で組み合わせるか、頭の中でシミュレーションをするんです。そして、家に帰ってから作成に取り掛かっていました。

ロボットやプラモデルがどうやって出来上がっているか、仕組みを知るのが好きだったんです。そして構造や仕組みが分かる状態になると、なんとなく落ち着くような感覚がありましたね。

相手の言葉の真意を観察する


中学生のとき、水泳部に入部しました。スポーツではほかに、マラソンや長距離走が得意でしたね。ほかの人に合わせる必要がなく、自分のぺースでできる運動が好きでした。

ゲームでは、シミュレーションゲームが好きでした。例えば、格闘ゲームだと、対戦相手の動きを考えなければなりませんが、シミュレーションゲームだと、自分のペースでいくらでも考えて楽しむことができます。誰かに振り回されるよりも、自分が主導権をもって動いていける状態が心地よかったんです。

中学1年生のある日、突然、仲の良かった友達が口をきいてくれなくなりました。いろいろ考えてみても、原因はよくわかりませんでした。かなりショックで、人と深く関わればまた嫌われて傷ついてしまうのではないか、と考えるようになってしまって。これを機に、人との距離感にかなり気を遣うようになりました。

高校生になっても、自分から友達の輪に入っていくことはなく、誘われるまで待つ、というような一匹狼の状態。「面白そうだね、俺も混ぜてよ」といった会話はできませんでした。相手が何かを言ったときに、「その言葉の真意は何だろう」と人の声や表情の観察をするようになりました。常に周りの人を意識して行動していたんです。

チームで行うものづくりの楽しさ


ビジネスに興味があったので、大学は政治経済学部を専攻しました。

大学2年生のときからは、学園祭の運営スタッフとして活動していました。まず初年度の仕事は、学園祭の参加団体とコミュニケーションを取ること。団体向けの説明資料を作ったり、説明会では自分なりに工夫して伝えたりしていました。そして二年目には、総務局長として、スタッフ300人の福利厚生や、情報交換の整備を行いました。

スタッフ一人ひとりが、後から振り返ったときに「本当に楽しかった」と思い出してもらえるようなチームを作りたい。そう思って活動していましたね。福利厚生として合宿や飲み会を企画し、強いチーム作りに興味が湧くようになりました。

自分自身が作ったもので、人に喜んでもらえる。そういった経験を通して、将来も自分の能力を生かしてものを作り、世の中に届けたい、と思うようになりました。また、強いチームと共にものづくりをすることで、大きなことができるし、大きな感動を得られる。だからこそ、チームでものづくりができる仕事に就きたいと思いました。

また、ものづくりに携わるからには、プロフェッショナルとして技術を極めていきたい、という思いもあったんです。世の中は、ICカードや携帯電話の普及など、ITの力によって人々の生活がより便利になっていました。社会に必要不可欠な仕組みを、ITを使って作っていきたい。そう感じて、情報システムを作るような業界への就職を決意しました。

プロジェクトマネジメントの必要性


大学卒業後は、日本電気株式会社に入社。システムエンジニアとして、デジタル・ガバメントと呼ばれる領域に携わりました。主な仕事は、政府や自治体が提供する行政サービスをデジタル化し、人々の利便性を高めるためのシステムを作ることでした。

上司からは、新しいことに挑戦していくためには、「成功を繰り返さないことが大事」だと言われていました。一度成功したことを、自分で繰り返すのではなく、その成功体験は、ほかの人に渡していきます。そして自分の力は新しいことに挑戦するために使うんです。例えば計算ドリルで同じページを永遠に解いていても成長しません。一度解けるようになったら次のページをめくり、解けたページはほかの人にやってもらう。そうすれば自分も相手も成長できる。「成功を繰り返さない」という言葉には、そんな意味が込められていました。

仕事はチームで進めていくもの。成功を繰り返さないことを続けていけば、チームは強くなっていくんだと教えてもらいました。いつもその教えを心に留めて働いていましたね。またこの頃、IT技術のプロフェッショナルになりたくて、資格をたくさん取ったり、書籍を読んだりと勉強を積み重ねていました。

28歳のとき、大学時代の友達が都議会議員選挙に出馬することになりました。選挙戦では、友達が集まって応援することに。私はプロジェクトマネージャーのような立ち位置で、全体の指揮を執りました。どんなチームにしていくか方向性を決めたり、いつまでに何をするべきかスケジュール通りにチームを動かしたり。集まった友達はそれぞれ違う得意分野を持っていましたが、プロジェクトマネジメントを遂行して、選挙戦を成功させることができました。

プロジェクトマネージャーは、まさに成功請負人だと感じましたね。入社してからずっと、システムエンジニアとして技術を高めていくことばかりに集中していて、プロジェクトマネジメントは、どこか自分と関係のないことだと感じていました。しかし、どんなに高い技術を持った人が集まっていたとしても、チームが一つになり、スケジュールを意識しなければ、プロジェクトは成功しないのだと気づきましたね。

個人の持つ技術よりも、その組み合わせによってプロジェクトを成功に繋げられる。プロジェクトマネジメントという仕事に価値を感じ、自分が力を発揮できると思えたんです。会社でもプロジェクトマネージャーに転身し、チーム作りに注力するようになりました。

また31歳のときから、労働組合の執行委員を2年間務めました。労働組合で従業員を取りまとめて幹部と議論をする中で、横断的に会社を見る視点が身につきましたね。実は、それまではプロジェクトマネージャーとして、自分が携わっている事業の部門だけを見て仕事をしていたんです。社内のいろんな立場の人と関わり、組織の殻を破ることができたと感じました。

チーム作りで大切なのは、スキルの色


社内で開かれる大学のOB会に参加したとき、知人から、大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニテ ィ「ONE JAPAN」の活動に誘われました。ONE JAPANの活動を通して、大企業で働きながらも、自分の想いを持って行動を起こしている人たちの話を聞き、感銘を受けましたね。

大企業にいると、上から降りてきた指示通りに仕事をする、という考え方のもと、組織の歯車のようになってしまいがち。しかしそれが続くと、「あなたの目指す姿は何」と聞かれたとき、答えられなくなってしまうんです。組織を越えて情報交換をしたり、交流したりして、視野を広げる必要があると思いました。そんな想いもあって、32歳のとき、社員二人と一緒に、社内の有志活動団体「CONNECT」を立ち上げました。

立ち上げた三人は、性格や適性がそれぞれ全然違っていて、とても刺激を受けましたね。私は慎重派で論理立てて物事を進めます。ですが一人は、ビジョンを掲げて、スピード感のある行動をします。そしてもう一人は、恥ずかし気もなく楽しそうに、リーダーシップを持ってプロジェクトを進めていくんです。

チーム作りで大切なのは、スキルの高低よりも、スキルの色の違いだと改めて感じましたね。ほかの二人は、自分にはないものを持っていて、その領域では勝てないと痛感しました。チームで動くときには、全てを自分一人でやるのはやめよう、と思ったんです。

その後CONNECTでの活動が評価され、全社表彰をいただきました。課題意識を持って、仲間を集めた行動力や実績を認めてもらえたんだと思います。

技術が人の役に立つように事業開発を


ONE JAPANの活動の中で、ANAホールディングスでドローン事業に挑戦されている、保理江さんの講演を聞く機会がありました。経済産業省主催の次世代イノベーター育成プログラム「始動」に参加した体験談です。大企業に属しながら、どうやって新規事業の創出やイノベーションに挑戦していくか、といった内容でした。

話を聞いた後、新しいビジネスを考えることは、きっと自分にもできるし、挑戦する価値がある、と思ったんです。それで33歳のとき、「始動」プログラムに参加。起業家や大企業の新事業担当者が月に2回ほど集まり、5ヶ月かけて自分の事業アイデアを高めていきました。

プログラムに参加していた人たちは、新しい事業開発に当たり前のように挑戦していました。周りから刺激をもらったことで、自分にも事業開発はできるし、取り組みたいと考えるようになりましたね。元々「人は環境の奴隷」だと感じていましたが、挑戦する人が周りにたくさんいた環境だからこそ、自分も挑戦しようという気持ちになれました。

一方業務では、システムエンジニアとして自分が携わったシステムが、本当の課題解決に繋がっているのか、疑問を持ち始めていました。デジタル・ガバメントに取り組んでいるけれど、作ったシステムを実際に使う官僚の方や、行政サービスの受け手である人々が遠い存在に感じられて。何のためにシステムを作っているんだろう、とモヤモヤ感を抱いていましたね。

技術を人の役に立てる状態にして、実際に人々の生活の課題解決に繋げたい。「始動」で学んだことも生かして、事業開発に挑戦することを決めました。

34歳でマネージャーに昇格。社内の人たちが、自分に活躍の場所を与えようと助けてくれたり、見えないところで動いてくれたりしたことに感謝しました。組織として、すぐに事業開発に取り組むことはできなかったので、システムエンジニアのプロジェクトマネージメントの仕事をしながら、30%くらいの時間で事業開発の仕事にも取り組むようになりました。

「今をみんなの思い出」にしたい


今は、行政のデジタル化をクラウドやアジャイル等で推進するグループをリードしています。デジタル・ガバメントの領域で、官民の多くの人たちと連携しながら、新しい事業を形にしていきたいですね。具体的には、行政職員の働き方改革や、AIなどの技術を使って行政システムの改良を進めていきたいです。

これまで取り組んできた事業開発が、ようやくチームとして組織化したんです。2年間、紆余曲折がありながらも、組織を立ち上げることができ感無量でした。大企業には、資本もあるし挑戦できる環境も用意されています。若手社員には、大企業は新しい挑戦ができる可能性を持っているということを伝えていきたいです。

そして、強みを補完し合える強いチームを作っていきたいとも考えています。メンバーは、たとえるなら“手と足”みたいなもので、一人ひとりが全く違う強みをもっています。手は器用で、足は踏ん張るときに必要なもの。協力し合えば、いいチームになれます。

私がプロジェクトマネジメントでモットーとしているのが、「今をみんなの思い出に」ということ。人は、大切な人生の時間を、働くことに使っています。だったら「あの時間は楽しかった」「成長できた」と思えるような体験を作りたいと思うんですよね。

ONE JAPANでは、有志団体活性化担当の幹事を務めています。有志活動を広めるため、参加企業に有志活動について発表してもらって、投票を行う企画も実施しました。今後は、ONE JAPANやCONNECTの活動を通して、有志活動を文化にしていきたいです。有志活動は、部活みたいなもの。仲間と一緒に、何か本業とは違う活動をしていくことを、一般的にしたいと思います。そして一人ひとりが、「人生で本当にやりたいことは何なのか」「自分はどうありたいのか」を考えられるようになったらいいですね。

2021.07.05

インタビュー | 伊東 真尚ライティング | 宮武 由佳
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