相手に寄り添い、背中を押す言葉を紡いで。 女子大生の居場所となるコミュニティづくり。

大学に通う一方、ボランティア活動や女子大生のための居場所作りなど、さまざまな活動に取り組む、かなつなさん。大事にしているのは「寄り添うだけでなく、伴走すること」だと話します。かなつなさんが目指す未来とは?お話をうかがいました。

かなつな ななみ

かなつな ななみ|HATACHI Community代表
2018年、明治学院大学文学部英文学科入学。同学校内にあるボランティアセンターにて学生団体に所属し、2019年、代表を務める。同年GlobalShapers主催のキャリア教育プログラム「ゼロイチ女子」に参加し、女子大生向けサービスを立案。2020年、女子大生向けコミュニティ「HATACHI Community」を立ち上げ、女子大生の悩みや今後の生き方に寄り添うコミュニティを仲間と共に作り上げている。

ファッションで自分を表現


東京都で生まれました。母の影響で、小さい頃からおしゃれを楽しむのが大好きでしたね。

よく英語のファッション雑誌を眺めていました。なんて書いてあるかなんて分からないですけど、読めたら面白いだろうなと興味や探求心が湧いて。雑誌を読むために、自主的に英語を勉強するようになりました。

続けるうちに、英語や勉強が好きになりましたね。自分のわからなかったことが理解できる、カチッとはまる瞬間があって。物事が自分ごと化する感覚が好きでした。

入学した東京の小学校は、ランドセルではなくリュックで通っても問題ないような、のびのびした校風でした。自由な雰囲気が好きでしたね。

しかし、2年生のとき埼玉県に家族で引っ越すことになり、転校。新しい学校では、目立つこと、他人と違うことが認められませんでした。私は、自分の気持ちを言葉で表現するのが苦手だったので、洋服や髪型で個性を出すことで自己表現していたんです。でも、人と違ったファッションは受け入れられませんでした。

なぜみんなと一緒じゃないといけないのかが理解できませんでした。自己表現することをやめたくなくて、メイクをしたりピアスを開けたりして学校に行っては、先生に怒られていました。味方になってくれる先生はいないし、友達にも馴染めなくて、居心地は良くなかったですね。

一方、勉強、特に英語はとても好きだったので、高学年になると英会話スクールに通いました。スクールの先生は長期間アメリカに住んでいた方で、学校では否定された私のファッションをいつもほめてくれました。どんなに派手な服装で行っても、ピアスを開けた時も「めっちゃいいね!」とほめてくれて。自信がついたし、自分を肯定してくれる大人が見つかって嬉しかったです。

意見や感情を言葉で伝える大切さ


将来は英語を活かした仕事をしたいという思いから、高校は外国語学科のある学校へ進学しました。

クラスメイトにはタイ、ナイジェリア、イラン、中国などにルーツを持ち、外国語を日常的に使用している子もいました。英語や第二外国語をネイティブのように話し、日本語以外の言語でコミュニケーションをとっているクラスメイトたち。

その様子を見て、これまで日本の英語教育の中で、英語を勉強してきた私とはスタートラインがそもそも違うということに愕然としました。

加えて、みんな育った環境や文化が違うので、日本での当たり前が通じないんです。「当たり前のボーダーライン」は人によって違うということを学びました。特に、「察する」という文化はないので、自分の気持ちをちゃんと言葉で表現しないと相手には伝わらなくて。

クラスメイトはアイデンティティをしっかり持っている子が多く、言葉を使って自分を表現していました。このままでは私の個性が埋もれてしまうと、少し焦りましたね。

今まで言葉を使って自己表現をするのが苦手でしたが、言わないと伝わらないし、理解し合えない。相手の発言に対してどう思ったのか、怒っているのか、嬉しいのか。感情をちゃんと言葉にして伝えるようになりました。

授業でも、先生から「この問題に対して、あなたならどう思う?」と問われることが多かったです。自分の意見を持ち、伝えることの大切さを学びました。そのおかげで、人に何かを伝える時には、「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」と、自分の考えを述べて相手の考えを聞くスタンスが身につきましたね。

当たり前のボーダーラインや考え方が違っても、分かり合えないわけじゃない。違いを感じたとき、相手に対して否定や拒絶をするのではなく、話し合い認め合うこと、お互いが歩み寄ることの大切さも体験することができました。


外国語学科の先生が私の味方になってくれたこともよかったです。小中学校の先生とは馬が合わず、ずっと睨み合っているような関係で、味方はいませんでした。しかし高校の先生は、私のやりたいことをいつも応援してくれて、一緒に頑張ろうと共に努力をし続ける姿を見せてくれました。押し付けるのではなく、やりたいことを自由に表現していいんだと認めてくれたんです。だから、ちょっと高い壁にぶち当たっても私ならやれるっていうマインドにしてもらえた気がします。

社会問題を伝えたい


授業の一環で、異文化理解について学ぶ科目がありました。題材が毎回かわり、言語から社会問題までさまざまテーマを取り上げます。



その中で、世界では幼くても働かなければ生きていけなかったり、内戦・紛争で危険にさらされたりしている子どもたちがいることを初めて知りました。とてもショックでした。あまりにも自分の置かれた環境が違うことと、それを知らず17年間生きてきた自分の無知さに。

それと同時に、この国際社会で起きている問題を知らない同世代はたくさんいるんだろうなと思ったんです。私が何かを発信することで、知らなかった同世代にも社会問題を届けることができるのではないか。それによって少しでも解決にむけた行動がおこせる同世代が増えていったら、世界はもっとよくなるのではないかと考えるようになりました。

また、同じ科目の中で、翻訳ボランティアという授業もありました。ネパール地震の際に支援物資を送った日本の支援者の方々に対し、現地の子どもたちが書いた手紙を翻訳するボランティアです。英語の勉強にもなるし、社会問題を知りボランティア活動もできる体験でした。

手紙には、現地の子どもたちが勉強する様子が映った写真も添えられていました。メッセージを翻訳することでネパールと日本の架け橋になれた気がして心が温まり、ボランティアの魅力を感じました。

しかし学生の私ができたことはここまで。英語から日本語に訳すだけの作業でした。この後に続く、日本人支援者に手渡すところまで自分で見届けないと、ボランティアをやったことにならないなと正直思いました。

ボランティアを最初から最後まで自分でやりたいという思いと、私が発信することで同世代を動かしたいという思いから、ボランティアに力を入れている大学を目指すことにしたんです。

ボランティア活動で学んだ組織づくり


阪神淡路大震災をきっかけに発足したボランティアセンターがある大学に入り、入学と同時にボランティアセンターへ入部届を提出しました。

ボランティアセンターの中のさまざまな団体のうち、1つの学生団体に入り、同世代に社会問題を自分事化してもらうための活動に取り組みました。

「ボランティアを自分事化する」というと、一般的にハードルが高く感じられます。そこで、まずボランティアのハードルを下げ、一歩踏み出して参加してくれる学生を増やそうと思いました。

そのために、イベントを企画。例えば、NPO団体と連携して大学内のカフェでピンクレモネードを販売し、その売上金の一部をNPO団体に寄付する取り組みです。1杯のレモネードを買うという大学生活での日常も、ボランティアにつながることを体感してもらいたかったのです。取り組みはSNSでのシェアをきっかけに広がり、目標金額を大幅に上回る売り上げを達成。マスメディアにも取り上げられました。

2年生になると、所属している学生団体の代表になりました。私が1年生だった時の部員数は20人くらいだったのですが、頑張ってPR活動をした結果、新入部員が50人も加入してくれ、全体で80人にもなりました。

集まってくれた80人のメンバーは「ボランティアを通して国際協力したい、社会貢献したい」というやる気に満ちた人達ばかり。私は代表として「何とかみんなをまとめなければならない」と意気込んでいました。年間7つのイベントを企画し、全てのミーティングに参加。企画リーダーと常に業務連絡を取り続ける日々でした。リーダーとしての自信がなく、メンバーがついてきてくれるか不安だったので、自分が動かなければいけないと強く思っていたのです。

常に忙しく、業務以外の会話をする余裕はありませんでした。その結果、自発的にやりたいと思って加入してくれたメンバーに、「やらなきゃいけない」と威圧感を与えてしまっていたのです。

代表になって半年ほど経った時、片道2時間の電車の中で全身に蕁麻疹がでてしまいました。心に余裕がなくなり、ついに身体からのSOSが出たのです。休まなければいけない状態になり、企画メンバーをはじめみんなに迷惑をかけることになってしまいました。

心身ともに辛い状態になってはじめて、周りを頼らず、自分だけで精一杯になっていたと実感。そして「80人なんて1人じゃ見れないし、こんな組織の統率じゃ誰も幸せにできない」と反省しました。

そこから、自分の弱みや悩みを企画リーダー中心に打ち明けるようにしたんです。企画を前に進めるのもお願いしたいとか、素直に伝えてみました。すると企画リーダーから各々進めてくれ、より積極的に行動してくれるようになりました。お互いに支え合うようになり、よりコミュニケーションが取れるようになったんです。

同時にメンバーと向き合う時間も自発的に作るように心がけました。授業の空き時間を見つけてはボランティアセンターに常駐するように。するとメンバーも私が居ることを知り、話をしに来てくれるようになりました。活動内容の相談ももちろんですが、パートナーや自分の将来について悩んでいることなど、ボランティア以外の姿を垣間見ることができ、いろいろなこと含めてその人自身なんだなって気づいたんです。

だからこそボランティアに、こんなに時間を割いてくれているのが本当に嬉しくて。一緒に活動してくれたメンバーが、「この団体で活動できてよかった」と思ってもらえるような1年間にしようという目標ができました。

メンバー自身が自主的に挑戦することで、成長にもつながるし、なによりいきいきと活動できます。メンバーが活発になれば団体もいい雰囲気でまとまる。すべてを自分主体で動かそうとするのではなく、メンバーを信じ見守ることも代表としての役割だなと実感しましたね。

女子大生向けオンラインゲストハウス


同じころ、企業と連帯して女子大生向けのサービス立案を行う、4カ月の短期キャリア教育プログラムに参加しました。もっと自分のやりたいことをうまく言語化したいと思ったのです。全国から女子大生が集まり、企画の立案から企業に行って社長や幹部の前で行うプレゼンまで一貫して経験しました。最前線で働かれている人の前で行うプレゼンはとても緊張し、ブルブル震えましたね。でも、同世代との出会いがあり、企画立案・プレゼンができたという大きな自信がつきました。

そんな経験をする一方で、ボランティアセンターに常駐しメンバーの悩みを聞いていると、女の子からの相談を多く受けるようになりました。

私から見れば魅力的なのに、自分に自信が持てず、やりたいことに一歩ふみだせない姿をたくさんみました。そんな時、私がみんなの背中をそっと後押ししたり、一緒に悩んだりできるんじゃないかなと思ったんです。いつでも帰ってきていい、ふらっと自由に出入りできる、安心できる場を作りたい。そう思い、女子大生向けのゲストハウスの設立を考え始めました。

しかし、そんな矢先にコロナ禍となり、人と集まることが難しくなりました。ゲストハウス設立への夢は遠のきかけましたが、心が落ち着く場づくりはオンラインでもできるのではないかと思ったのです。

そこで、女子大生のためのサードプレイスとして、オンラインコミュニティ「HATACHI Community」を立ち上げました。最初は1人で立ち上げましたが、自分ひとりで出来ることには限界がありました。そこでデザインができる子やコミュニティマネージャーが出来る子、広報が出来る子など、自分の足りない要素を補ってくれる仲間を集めました。すると参加者含め、50人ほどのコミュニティになっていったんです。

女子大生にとって必要な場所、心が落ち着く場所になるようにしたい。その思いで、出会った女子大生にインタビューして記事化したり、「ハタチノハナシ」というプログラムを立ち上げ、女子大生が抱えているモヤモヤをぶつける場所を作りました。

対話の中で過去の体験を掘り下げ、何を大切に生きてきたのか、何にワクワクするのかなどを引き出していきます。そこから自己内省を促し、今後自分がどうなりたいか考えてもらうプログラムです。

プログラムに参加してくれた女子大生が、自分の人生に対してポジティブに変わっていったり、ありのままの自分を受け入れられたりした瞬間に立ち会いました。その中で、「寄り添う」という言葉について考えるようになったんです。今まで、寄り添うとは相手の隣にいることだと思っていました。でも、活動を通して、その人の背景にあるものを知り、未来に向かって伴走できることだと思うようになったのです。そんな寄り添いができるコミュニティにしようと、活動を続けました。

相手に寄り添い背中を押す言葉を


現在は、大学に通いながらコミュニティ活動を続けています。大学では、社会言語学を専攻。女性と男性との間で起こる会話スタイルの違いを、言語使用の観点から研究しています。
「HATACHI Community」は、全国の女子大生が参加してくれるコミュニティになりました。ただ、女子大生のためにと思って立ち上げたこの場所は、いつの間にか自分にとって大事な、自分の居場所になっていたんです。
今はオンラインでの交流が主ですが、これからも一緒に過ごしていきたいなと思う素敵な仲間と、いつでも顔をみられる距離感でいたいなと思ってます。

そのために、将来的には村のような、小さな共同体を作りたいですね。働き方が自由に選べる時代なので、一緒に時を過ごしていきたい人と同じ場所で暮らしたい。楽しい時だけではなく、つらい時や不安な時、どんな状態にいたとしても帰ってこられる場所を作りたいと思っています。相手が辛い時、誰かの心を支え、背中を後押しするコミュニケーションができたら理想だなと思います。それから、いつでもみんなが安心して帰ってこれる場所になれるように、心に余裕を持っていられる女性でありたいですね。

以前の私は、自分の言葉を使って同世代に世界で起きている問題を届けたいと思っていました。しかしコミュニティを作ってから、自分の言葉は誰かの一歩を後押しするためのものに変わってきたなと実感しています。

これからも、誰かの人生の一部に関わる中で、相手がありたい姿に近づけるよう、自分の言葉を使いながら寄り添っていきたいと思っています。

2021.06.03

インタビュー・ライティング | 佐野 千絵
ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?