「やってみなきゃわかんないじゃん」役者を目指して上京した僕の10年とこれから。

「東京サムライガンズ」という劇団の主宰を務める加藤さん。役者を目指し上京しながら、劇団を旗揚げ後演出に特化し、活動の幅を広げています。「何十回も実家に帰ろうと思った」と話す期間を経た先に何を思うのか、お話を伺いました。

加藤 隼平

かとう じゅんぺい|劇団主宰
東京サムライガンズにて主宰・脚本・演出・出演・映像編集・音楽・総合デザイン等のプロデュースを手掛ける。

東京サムライガンズ
加藤隼平オフシャルブログ『真っ昼間っからびぃ~る。』

「創造」との出会い


小さい頃から色々なものを「つくる」ことが好きでした。

小学校の担任の先生がすごく素敵な方で、突然授業を中断して「外でギターを弾こうぜ」と言ったり、
日曜日にみんなを釣りに連れて行ってくれたり、
「遊びをつくる」ということを教えてくれたんですよね。

また、ある授業の時、好きな漢字の熟語2文字を書きなさいという時間があって、
僕は「想像」という字を書いたんです。

そうしたら、その授業を担当していた先生が、

「お前はこれじゃないんだよ、こっちの方が合ってる」

と、「創造」という字を教えてくれたんです。
「こんな字があるんだ」と、なんだか嬉しかったんですね。

小学校からギターを始めたのも、担任の先生の影響でした。
もともと姉がギターをやっていたこともあり、
高校に入ってから一週間でバンドを結成し、活動を始めました。

ライブはもちろん、CDも出し、ファンもついて、
とにかくバンドしかしていなかったですね。

将来は音楽でプロとしてやっていきたいと思い、
卒業後は、バンドに「就職」することに決めたんです。

「君、役者をやってみたら?」


卒業後、音楽一本になってからも、出場したコンテストで優勝・メディア露出と、
比較的順調に進んでいました。
とはいえ、地元函館市で音楽をやっていくことには限界を感じている部分もあり、
段々と、東京にデモテープを送る機会も増えていきました。

そんなあるとき、東京で受けた審査のやり取りをする中で、
審査自体はNGだったのですが、担当の人から、

「君、役者をやってみたら?」

と言われたんです。

それまで、役者を目指そうと考えたことは無かったのですが、
小さい頃から目立ちたがり屋だったこともあり、どこか潜在意識下に関心を持っていたんですよね。
広く浅く、色々な人の気持ちになれることにも興味があったし、
その一言をキッカケに、本気で役者をやってみようかと考えるようになったんです。

少しずつ、バンドに限界を感じ始めていたのも理由の一つでした。
役者の方が難しそうだと感じながらも、だからこそ高いハードルを超えてみたいという気持ちがあったんですよ。

そして、実際にバンドメンバーに話をしてみると、
驚きもせず、「東京に行くんだろうなと思っていた」と、
前向きな声をもらったんですよね。

それから数ヶ月後には、役者になるという決心を胸に、
特にコネクション等もなく、地元函館市から上京しました。

不安はあまり無く、「やれるだろうな」という根拠の無い自信がありました。

劇団の旗揚げ


正直、地元の友人は、いつか帰ってくるだろうと思っていた気がします。
決して楽な世界ではないし、自分自身「やってみなきゃわらないじゃん」という気持ちからの挑戦でもありました。

そんな思いで行動を始めてから、1年経たないうちにオーディションで映画の主役が決まったんです。
奇しくもバンドのヴォーカルの役で、そこで関わった人から色々な仕事をもらえるようになっていきました。

それからは事務所に所属して映像の仕事をする傍ら、
舞台にも携わるようになり、活動の幅が広がっていきました。

ところが、活動を進めていくうちに、役者に対する違和感も持ち始めたんですよね。
表現者ではあるものの、配役されて演じるという受け身のスタンスで、
「自分」を出すことが嫌われる側面に、ストレスを感じるようになっていきました。

また、舞台に携わるようになってからは、
企画や演出側に疑問を持つことも多かったんですよね。

「こんなに必死にやって、お金もとっているのに、なんでもっとこうしないんだろう?」

という気持ちが大きくなっていき、
次第には、

「自分でやった方が早い」

と感じたんです。
それから、「東京サムライガンズ」という名前で、男6人の劇団の旗揚げを行いました。

役者という立ち位置へのフラストレーションもあり、
劇団では主宰という立場として、作・演出からデザインまで、基本全部やりましたね。

演劇で地元に恩返しを


小さな劇団ということもあり、お金がない中でどう工夫するかというのは常に考えていました。
この規模の劇団には珍しくDVDを作ったり、こだわりを持って取り組んでいます。

役者としての出演も行っていますが、
今は作・演出に注力していて、戯曲のセミナー等にも参加し、
我流だった基礎を学び直しています。

前は3日先のことも考えていなかったのが、30歳を超えて、
初めて勉強する必要性を感じるようになったんですよね。
今はきついけど、それが今後の価値になることがわかっているし、
作・演出に特化したことで、その需要の大きさも強く感じました。

最近では北海道の市民演劇の総合監修の就任や、ご当地キャラクターのプロモーションビデオの監督など、
少しずつ、外部で演出の仕事をする機会も増えてきました。

正直、上京してからこの世界を辞めようと思ったこともありますし、
くじけたり、失敗することも多く、何十回も実家に帰ろうと思いました。

それでも10年やり続けたことで、やっと周りも認めてくれた気がします。
いままでは無関心だった知人、友人も、この歳になって、舞台を見に来てくれたり、
応援してくれる人が周りに増えたんですよね。
どっちが良い悪いとではなく、周りの仲間と、お互いを讃えられるようなったのは嬉しいですね。

これからは、何らかの形で地元に恩返しをしたいなと考えています。
自分自身、上京するまで演劇を全く知らずに育ったので、
地元で演劇に触れられる機会を作りたいなという思いもありますね。

2014.07.05

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