知ることは幸せへの第一歩。 俳優と飲食業の両立で見つけた「人」への思い。

俳優として、舞台をはじめテレビドラマや映画でも活躍する内田さん。和食屋「だれかれ」とカレー専門店「かれはだれ」のオーナーも務めます。もともと会社員だったという内田さんはなぜ俳優を志し、飲食業との両立をしているのか。お話を伺いました。

内田 滋

うちだ しげ|俳優・飲食店経営
大阪市出身。1998年に芸能活動を開始、舞台『毛皮のマリー』で俳優デビュー。テレビドラマ「安宅家の人々」や劇団『大人計画』の「まとまったお金の唄」や「間違いの喜劇」、演劇「ハイキュー‼️」など、幅広く活動。所属は芸能プロダクション、キューブ。2017年にはオーナーとして和食屋「だれかれ」、2020年にはカレー専門店「創作スパイス かれはだれ」をオープン。

息を吸えるだけで幸せ


大阪府大阪市で生まれました。小学2年生の頃に気管支喘息にかかり、何度も入退院を繰り返しました。かなり病弱な子どもだったんです。

喘息でも関係なくできるので、絵を描くことが好きでしたね。漫画家になりたいと思って少年誌の賞に応募したこともありました。何かを表現したいというよりは、絵を描くことが救いだったんです。

中学校にはほとんど行けませんでした。呼吸がしんどいときは、ただ手を上げるだけでも息が切れるんです。苦しくて仕方なくて、呼吸ができなくなって死にかけることすらありました。

でも、何度も何度も喘息で苦しい思いをするうちに、「息を吸える」だけで幸せだし、「生きている」ことがラッキーだと思うようになったんです。

自然と、少し嫌なことや落ち込むことがあっても、「最悪の事態にならなくてよかった」と考えられるように変わりました。だんだん周りから「ポジティブだね」と言われることも増えて。長い間苦しめられた喘息だったけれど、感謝するようになりました。

デザイナー志望の会社員から俳優へ


漫画はなかなか入賞できず諦めてしまったものの、やっぱり絵を描くことは好きだったので、デザイン科のある高校に入学しました。

きちんとイラストレーションを学ぶようになると、イラストで様々な賞を受賞できたんです。中には「高校生の受賞は史上初」というような大きい賞も。うれしくて、やっぱりイラストやデザインに関わる仕事がしたいと思うようになりました。

卒業後はそのまま働こうと就活しました。しかし、不景気だったこともあり、希望していたデザイン事務所のような就職先はなかなか見つからなくて。そんな中、大手印刷会社にイラストの受賞歴を評価していただけたんです。すんなりと、その会社の関西支社への入社が決まりました。

入社後、18歳そこそこの一新入社員のもとに上層部の方が会いに来てくださいました。「お前のためにデザイン課を作る。5年経てば主任だ」と言ってくださって(笑)。すごく期待していただいていたみたいで、入社2~3ヶ月で社内のエリートばかりが集まる部署に配属されました。

仕事はすごく楽しかったです。でも、ふと横を見たら、5~60代の人たちが僕と同じ仕事をしていました。今と同じことを、あと30年以上続けるのか。そう考えたら急にゾッとして「今は楽しいけれど、この先何十年も同じ仕事はできない」と思ってしまったんです。

でも、収入はいいし、辞めたあとのアテもない。イラストレーターになりたいけれど、名前が表に出ている著名人はごくわずかだし、これじゃあ全然食べていけないとモヤモヤしながら日々を過ごしていました。

そんなある日、撮りためていたテレビドラマをまとめて観ていたんです。その時に「あれ?」と。俳優の仕事が、すごく魅力的に感じました。僕はイラストレーターとして表現をしたいと考えていたけれど、俳優は自分の身体ひとつで表現することができる。芝居のことは何もわかりませんでしたが、一つの台本を元に、自分の意思で様々な表現ができる俳優の仕事を、すごくいいなと思ったんです。「もう、ここしかない」と直感しました。

ずっと会社に勤めてこの先何十年も同じ仕事をしていくよりも、俳優に挑戦したい。幼少期からのポジティブ思考のせいか、やる前から「自分にもできるはず」という変な自信がありました。世間はドラマブームだったし、友人に「俳優なんて、10万人に1人しかなられへん」と言われても「その1人になるかもしんねえじゃん」と思ったんです。親にも友人にもほとんど相談せずに俳優になることを決め、入社から1年足らずで退職しました。

演じることが楽しくて仕方なかった


それからは、半年間ほどコンビニエンスストアでアルバイトをしながらオーディションを受ける生活が始まりました。演技の勉強は独学です。こそこそと親に隠れながら、台本の台詞を声に出して練習していました。

19歳の終わりに、舞台のオーディションに合格し、上京することに。舞台の情報をみて、前職の同僚から電話がかかってきましたね。「内田がなぜか俳優になっている!ってみんな騒いでいたよ」って(笑)。実は、デザイナーになると言って退職させてもらっていたんです。

初めて立った舞台は、楽しくて仕方なかったですね。もちろん、苦しいこともたくさんあったし、相当なプレッシャーもありました。でも、それに勝る楽しさがあったんです。セリフを話すことも、舞台の上でスポットライトを浴びることも、何もかもが新鮮でしたし、そのどれもが普段生きている中では味わえないものでした。

その後いくつかの作品を経験して、すごく好きだった「大人計画」という劇団の舞台に出させていただくことになりました。

それまでは、台本を読んできちんと考えたり裏を読んだりしていたのですが、その舞台では意味を考え始めたら演技ができませんでした。本能のままに面白いと思うことをやればいいと教えられましたね。

演出家の松尾スズキさんは、めちゃくちゃ悲しいことでもユーモアに変えてしまう人。常識を全部裏返していく姿がかっこいいなと思いましたね。この舞台を経験したことで「こういうのもありなんだ」と演劇の幅がぐっと広がりました。

その後、業界でも厳しくて有名な演出家、蜷川幸雄さんの舞台に出させていただいた時は、また雰囲気が全然違いましたね。初日から、衣装も舞台セットもすべて用意されていて。だからこそ僕らも完璧に台詞を覚えていないといけないし、もちろん気を抜いたら怒られる。言い訳ができない環境の中で、いい意味でものすごくプレッシャーを感じました。

蜷川さんは誰よりも作品に責任を持っているんですよね。だから、良さを引き出すために俳優を追い込む。その感覚がすごく僕に合ったんです。信頼していただけたのか、やりたいようにやらせてもらえました。自分の頭で考えて役をつくるということに、とことん向き合えた時間だったし、すごく素敵な経験をさせてもいましたね。

全然タイプは違いますが、お二人のもとで舞台に出た経験が、俳優として演技というものへの向き合い方を大きく変えてくれました。

俳優一本で15年、見つけた新たな道


それから、テレビドラマやバラエティ番組など、舞台以外にもいろいろ出演させてもらいました。本当に、何をしても楽しかったです。

でも、38歳くらいの時にふと「俳優だけでいいのかな?」と思い始めました。YouTubeなどで自分から発信する人もどんどん増えている中で、出演依頼を待つ立場の俳優は、どうしても受け身になりやすい。だから俳優の仕事と別に、何か自発的に新しいことを始めたいと考えたんです。

そこで浮かんだのが飲食店。上京してすぐに始めたアルバイトが飲食店だったり、趣味で長いことカレー作りにハマったりしていたこともあり、カレー専門店を検討しました。ただ、本業の俳優仕事も忙しく、自ら店に立つのは難しいと思い、悩んでいたんです。

誰かに店を任せられないかなと思っていた矢先、偶然、元アルバイト先の料理人に再会しました。バイトを辞めたあとも、彼に会うために店に行くほど仲がよかったのですが、店をたたんでしまって残念に思っていたんです。彼に自分の構想を話してみると、「滋がやるならやるよ」と話にのってくれて。彼が和食専門だったこともあり、まずは和食屋を一緒に作ることにしました。助けてほしいと思った時に必ず適した人に出会える、不思議な運を感じましたね。

オープン初日は、たまたま舞台初日と重なってしまって大変でした。店が始まると、公演後に打ち上げもせずに店に戻って、キッチンの導線確認やメニューの試作をすることも。俳優と飲食業の両立は本当に毎日慌ただしかったけれど、それができたことが自信にもなったんです。

人手が足りないから、若手の俳優たちに声を掛けてアルバイトに入ってもらいました。俳優の仕事をしていると急に舞台が入ることもあるので、なかなか都合のいいバイト先を見つけるのが難しいんですよ。僕自身、若手の頃は収入も安定せず大変だった経験があるので、俳優の子たちをなるべく入れるようにしましたね。

知ることで抱いた危機感


実際に店をやっていく中で、俳優一本でやってきた自分がいかに世間知らずだったかを思い知りました。経営をする中で新しく知ることが多く、積極的に情報収集をするようになりました。特に世界の食事情や今の流行りについて調べていくうちに、今まで知らなかった事実がたくさんあって驚いたんです。

例えば、「オーガニック」や「無農薬」がいいというイメージはあるけれど、農薬にどれだけの危険性があるかはあまり日本では語られていません。ところが海外では、農薬の危険性についての知識が普及しており、一部の国では「日本の野菜は農薬を使っていることが多い」という注意喚起のパンフレットが空港で配られることもあると言います。

でも多くの日本人はそれを知らないまま生活している。市場には農薬の使われている野菜が売られており、無農薬野菜は一部の高級志向の人だけが食べるものという認識があるのが現状ですよね。農薬の危険性をきちんと調べて理解したときに、このままではいけないと思ったんです。

どうしようか考え、2020年に完全無農薬食材を使ったカレー専門店「かれはだれ」をオープンしました。これまでの和食屋だと、使う野菜の数が多いため完全に無農薬にするのは難しかったですが、食材の限られるカレーなら無農薬野菜にこだわることができると思ったのです。

さらに、高級志向の人たちをメインターゲットにするのではなく、カジュアルで誰でも健康的なものが食べられるお店にしたいと考えました。毎日食べても飽きが来ず、さまざまな栄養を摂ることのできるように心がけて、カレーのレシピはすべて僕が作りました。

僕が何か新しいチャレンジをするたびに、周りも喜んでくれるんですよね。以前舞台でお世話になった演出家の方もよくお店に顔を出してくださるし、お客さん同士で交流が生まれることもあります。料理を通じて人が繋がっていく様子を見て、始めてよかったと感じました。

目の前の人を幸せにしていきたい


今は、新型コロナウイルス感染症の影響で舞台公演が難しく、俳優業と飲食業の割合は1:9です。和食屋「だれかれ」はほとんど任せて、カレー専門店「かれはだれ」の店頭に立っていることが多いですね。

カレー専門店がオープンしてすぐにコロナが大流行し、緊急事態宣言が出されましたが、僕はそこまで悲観的になりませんでした。それは、情報収集をしていたぶん、補償を含めてある程度、今後の見通しがついたから。ただ報道を鵜呑みにするのではなく、すべてにおいてまずは情報を疑い、自分で調べるようになったことで、世の中を多角的に見られるようになったんです。だから、無駄に焦ることもなくなりましたし、得た情報をもとにこの先どうやっていくかを決めやすくなりました。

幸せのためには、語られていない真実をきちんと知っていくことがとても大事だと思っています。知ることが、幸せへの第一歩だと。もちろんそれを他の人に強要することはできないけれど、僕は飲食店を通して、知ることの手助けが少しでもできればいいなと思っていて。

最近だと、カレー屋さんでただ無農薬の食材を提供するだけじゃなくて、農薬にまつわる基礎知識をまとめた小冊子を作ってお客さんに配っています。ちょっとずつ知ってもらえるように工夫をしていますね。

俳優と飲食店の仕事で共通するのは、やっぱり「人」だと感じています。目の前のお客さんが、「おいしい」と食べてくださったり、帰り際に「ありがとう」と言ってくれたりするのが幸せですね。舞台で感じる喜びとすごく近いものがあるんです。目の前の人たちを幸せにするためにどうしていくべきかを考えることで、自分も幸せになるというか。

今後は、芝居のプロデュースや演出にも関わっていきたいし、引き続き食を軸に活動の幅を広げていきたいです。これまでもずっと好奇心の赴くままにやってきましたが、変化していく世界の中で、僕自身も変わり続けていきたいですね。

2021.03.01

インタビュー・ライティング | むらやまあき
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