自分の道を行く、かっこいい大人を目指して。 大切なものを大切にし続けるため、余白を生む。

「それぞれが大切なものを大切にし続けるために、余白をつくりたい」と話す江藤さん。主に、リモートワークを前提とした事業づくりにおいて、力を発揮しています。余白の大切さに気づいた背景には、ある友人の存在がありました。今、新たな領域に挑戦する江藤さんが目指す世界とは。お話を伺いました。

江藤 彰洋

えとう あきひろ|新規事業サポート、事業編集者
1988年生まれ。大学卒業後、東証一部上場の大手システム会社にプログラマーとして入社。その後、コンテンツマーケティング支援を行う会社や九州野菜のインターネットショップを運営する株式会社yaoの創業期に携わる。2016年よりベルフェイス株式会社、タクセル株式会社(現マーケティングロボティクス)の創業期メンバーとなり、リモートワークなどの柔軟な雇用の創出に注力。2018年フリーに。企業の事業開発・組織作りをサポートしている。

自分は選ばれし子どもなんだ


福岡県北九州市で生まれました。母のお腹の中にいた頃から心臓がなんと右側にあり、臓器の配置バランスの関係から”生存確率が極めて低い命”と診断されました。しかし、いざ生まれてくると、全ての臓器が完全に左右逆の位置にあり、奇跡的にバランスを維持。周囲を騒がせるだけ騒がせておいて、結果、何ら問題なく生まれてきました。

周囲からは、何度も何度も「奇跡の子」と言われていました。物心がついた頃、担当してくださった産婦人科の先生方に、私が産まれるまでの両親の苦悩を聞く機会があったんです。両親の心労を想像すると、感謝の気持ちでいっぱいになり、泣いてしまいました。両親のためにも立派に生きなきゃと思いましたね。

一方で、そんな生い立ちから、「自分は選ばれし伝説の子どもなのかも!」と思い込み始めます。もともとお調子者でしたし、その頃流行っていたとあるテレビアニメの主人公の子どもたちが「選ばれし子どもたち」というフレーズで毎度紹介されていた影響もありました。

それで、アニメの主人公やヒーローに自分自身を照らし合わせるようになります。私が憧れるヒーローは、普段はちょっと抜けていて笑われたりしますが、自分が大切にしていることには真っ直ぐで、友達や仲間が大変なことに巻き込まれた時は手を差し伸べる。そんな人物でした。なので、親や友達を笑わせたり喜ばせたりすることで、ヒーローのような気分を味わって楽しんでいましたし、そのために宿題そっちのけでいつも何かを企んでいる、そんな子どもでした。

そんな幼少期を過ごしているので、「大体のことは少し工夫すれば面白くなる」ということを感覚で掴んでいました。例えばあるとき、好きな漫画を友達に紹介したくて学校へ漫画を持ち込んだのですが、先生にバレて没収されてしまったんです。ここで簡単に引き下がっては面白くありません。先生をギャフンと言わせてやる。そんなことを考えた末に、何日もかけて漫画を自分で完璧に書き写して、その書き写した紙の束を学校に堂々と持ち込みました。さすがに先生も笑っていましたね。

そのほかにも、教室や校庭の掃除をさせられることが嫌いで、少しでも楽しいものにしたいと思って、企画を通すために美化委員長に立候補。クラス対抗のゴミ拾い大会を企画したこともありました。ちょっとしたひと工夫と行動で、どんなことでも楽しさや面白さは作れる。そんな小さな成功体験を自然と積み重ねていきました。

中学校の卒業文集の中で書いた将来の夢は、「人に合わせて楽しい自分を演じる人生より、自分だけの人生を歩んでみせる」の一文。クラスのみんながスポーツ選手になりたい、建築士になりたいと具体的な夢を書き連ねる中で、私はただ、”自分”というものに意識が向いていました。

ところが、進学先の高校は校則がとても厳しく、自分らしさなんて知ったこっちゃないという感じ。ルールに縛られる中で、もっと自分らしくいたいという欲求は返って強くなっていきました。そして、これから先の大学生活に、強い憧れを抱くようになったのです。

自分で、大学をつくる


大学受験を前にいくつかの大学を見学して回りましたが、思い描いていた大学とはかけ離れていました。大学の先輩方が退屈そうに見えたのです。そこから「理想的な大学がないなら、作ってしまえ」、そんな気持ちを抱くようになります。

何か特別に学びたいことはありませんでしたが、漠然とそんな目標ができたので、敢えて小規模で歴史が浅い無名の大学を探しました。何か新しいことを生み出そうとする時、歴史や文化がないまっさらな状態の方がきっと身動きが取りやすいだろうと。

大学生になると、流行っていたSNSで全国の高校生たちと繋がりを求め、面白そうな高校生には自分の大学を直接PRして勧誘していました。理想的な大学をつくるには、自分一人でも、同世代だけでもできませんから。実際に入学してくれた人も何人かいましたし、自分が代表を務めるサークルに入ってくれる子もいました。

そんなふうに色々と行動していたので、大学祭実行委員会などの力のある団体の先輩方から「うちに入らないか」とよく声を掛けていただいていました。ただ、そのときの大学祭には、やや内輪ノリを感じていて、自分の理想とは違うなと。とはいえ、大学祭は大学生にとっては一大イベント。そこで委員会の中には入らず、外から大学祭を盛り上げることを企て始めます。

面白い団体をつくって、大学祭実行委員会から「ぜひ」と呼ばれるような関係になる。そんな想いから、いろいろな形を経て辿り着いたのが、大人向けのヒーローショー・パフォーマンス団体の設立です。幼い頃からのヒーローへの憧れと、TVドラマの影響もあり、これだ!と思って。その日の夜には、「おめでとうございます。あなたは伝説のヒーローに選ばれました。by 江藤」と書いた手紙を友達の自宅ポストに投函し、半ば強制的に勧誘を開始しました。

団体名は「チームレボリューションズ~上下関係なんかクソ食らえ~」。何とも学生が考えそうな名前ですが、内容は真剣です。シナリオもパフォーマンスも全て自分達で考えました。大人向けの内容にしたくて、パワハラやセクハラなど、理不尽なものを押し付ける大人たちを、勇敢な部下たちが倒していくという物語にしたんです。

独特のストーリーやパフォーマンスが受けて、大学祭はもちろん、地元のお祭りやボートレース会場のイベント時など、大人が参加するお祭りの余興として出演オファーが。メディアなどでも、大学に活気を作り出す活動団体として紹介されたりするようになりました。その他にも、真面目なものも不真面目なものも、様々な活動をしましたね。自分たちの手で理想的な環境や文化を着実に築いていく過程は本当に楽しかったです。

そんな中で、益々ヒーローのようなかっこいい生き方を想い描くようになっていました。ヒトでもモノでもコトでも何でもいい、とにかく自分が大切だと思う全てのことを大切にする、そんな「かっこいい大人」になっていくんだと信じていました。

友人に手を差し伸べられなかった


卒業後、東京のIT系企業へ就職し、プログラマーになりました。なりたい職業などは特になく、大学で専攻していたのがIT系の学問だったのと、残業代がしっかり出るような会社がいいと思って、条件面で選んだ道でした。

仕事は激務でした。平日は終電、休日出勤も当たり前という環境。慢性的に疲弊した日々を送っていました。そんなとき、福岡にいる友人の一人が、精神的に病んでしまったのです。

忙しい毎日を送りながらも、ずっと彼のことが気にかかっていました。中でも私は、その彼から唯一返信が届き連絡が取れる立場にあったので尚更です。友人のことを踏まえて「福岡支社に異動できないか」と会社にも相談しましたが、会社からの答えはNO。何度か会社と交渉を続けている間、私は入社2年目になり、友人は自ら命を断ちました。

何らかのSOSを感じ取っていながら、手を差し伸べることも寄り添うこともできなかったんです。何がかっこいい大人だ、何もできないじゃないか。できたことは、彼自ら命を絶った事実を嗚咽を吐きながら他の友達に伝えることくらい。絶望でした。防衛本能なのか、自分の心が凍りついていきました。

その感覚はずっと忘れることができませんでしたが、時間の経過と共に私も少し落ち着いてきて、改めて何が問題だったのかを考えました。最初は会社のことを責めたくもなりましたが、結局、会社を辞めてでも友人のところに駆けつける勇気と覚悟がなかったこと、そしてそれらを下支えする力が自分になかったことが問題だと思いました。

自分にもっと力があれば、あのときの選択を誤らなかったのではないか。そんなことを考え、過去の自分を払拭したい気持ちに苛まれました。それとともに、「自分のような後悔を、もう誰にもして欲しくない」と祈るようになります。

自分に力を付けたい


そこからは「自立」を強く求めるようになり、相変わらず忙しく働きながらも、深夜帯の時間を使って知人のベンチャー企業でお手伝いをするようになりました。世の中には自分が知らない働き方やカルチャーがたくさん存在することをそこから知り始めます。個性豊かな会社がたくさん生息するベンチャー・スタートアップ界隈への関心が強くなりました。

そんな中、大学時代にお世話になった九州出身の先輩らが、九州野菜のインターネットショップを運営する会社を立ち上げると耳にします。鳥インフルエンザや口蹄疫などの問題で大きなダメージを受けた九州の一次産業をどうにかしたいとの想いから、創業に至ったそうです。野菜に詳しくはありませんでしたが、その想いを聞いて何か力になれないかと、約2年働いた会社を辞め、転職することを決めました。

自立することを目指している私にとって、創業初期のベンチャー企業に入るというのは最も分かりやすい選択だったのです。創業期メンバーとして、店舗管理やコンテンツマーケティングなど、幅広く業務に関わっていきました。

しかし、あくまで私の入社の動機は「自分を成長させたい」「先輩達の力になりたい」というもの。仕事をしながらも、過去の過ちを振り返り、自分は何をしなければいけないのかを無意識に追い続けます。

余白づくりをミッションに


思考を回らす中で見えてきたのは「余裕」というキーワードでした。自分の時もそうでしたが、どれだけ普段から自分にとっての大切なことを意識し続けていても、自分自身に余裕がないと判断を見誤り、取り返しのつかない過ちを起こしてしまう。大切なことを大切にし続けるためには、余裕が必要だと。逆に言うと、余裕さえあれば大切なことを見失うことは無くなるのではなかろうか、と思ったのです。

社会の中でどういった仕組みがあれば余裕が生まれるだろうか。そんな壮大なテーマが自分ごとになり、デザインの要素を含めて余裕を意図的に作る・設計する、「余白づくり」を自分のミッションとして心の中で掲げるようになります。

では、大切なことを大切にできなかったあの時の私は、社会の中で何に阻まれ、拘束され、余裕を失っていたのか。その要因を考えたときに思い浮かんだのが、時間、お金、場所の3つの要因です。これらの3つの項目を、どれだけ自分の意志でコントロールできるか。そこに「余裕がある人/ない人」の分かれ目があると考え、検討し始めました。

中でも「場所」に関しては、最も早く手軽に自分で選べる社会を実現できる気がしました。これだけインターネットが栄えている中で、特定の場所に捉われる必要はないじゃないか、と。しかし周りを見渡すと、場所に捉われずに働けているのは、クリエイティブな職種の人か、経営者か、投資家くらい。時代の進化や成長に対して、明らかにギャップがあります。

それ以降、「リモートワーク人材の雇用創出」をわかりやすい目標として掲げるようになりました。しかし、時代はオフィス出社が当たり前。会社に提案しても、仕組みやメリット云々の前に根本的なカルチャーが違うので当然受け入れられません。

そこで出会ったのが、創業して間もないベンチャー企業。インターネット越しの営業・商談に特化して開発されたクラウドサービスを展開していて、最もアナログで泥臭さが必要とされてきた営業という職種に対して、「これからは営業もリモートでも実施する時代です」と、新たな選択肢を世の中に提示していました。「リモートワーク人材の雇用創出」という自分の方向性ともマッチしていたので、見つけた時は思わず感動。何でもやるので入らせて欲しいとお願いしました。

創業一年足らずの会社で、優秀な人たちに囲まれ常にいろいろな挑戦をさせていただきました。その後、副社長が新たに立ち上げた別会社に異動し、そこでしばらくリモートワーク人材の雇用創出に向けて注力。働き方改革の後押しなどもあり、柔軟な働き方を選ぶ人はますます増加。社会のインフラが加速度的に整っていくことを、最前線で実感していました。しかし、そんな中である課題に気づき始めたのです。

付き合いの長いとある友人が、仕事や職場に対して長いこと不満を抱えているので、いくつか優良企業を調べ上げて紹介しました。しかし、その友人は検討そのものを避けるのです。考えて断るならまだしも、検討もしてもらえませんでした。それ以来、同じような人たちが他にもいるかもしれないとアンテナを張るようになると、一定数以上いることがわかってきました。

そこで、長いこと人事職をしてきて、今も学生の進路相談などに精力的に取り組んでいる父にその話をしてみました。すると、「昔は選択肢がなかったから気楽だった。与えられた選択肢を進めばよかったから。今は選択肢があることで、かえって選択を迫られる感覚に苦しむ人も多いよ。人生に大きく影響することなら尚更」と。その話を聞き、ハッとさせられたのです。選択肢が増えることで、逆に苦しむ人がいるということ。選べる人と、選ばさせられる人がいるということに。

選ばなければならないことが苦しい気持ちは、確かにわからなくもありません。が、やはり与えられた選択肢だけを見て、自分の気持ちや考えを押し殺し続けて生きていくというのは、どうにも違和感があります。それこそ自分の人生に大きく影響するようなことなら尚更です。

これまで取り組んできた時間・お金・場所に関する柔軟な雇用の創出だけでは、自分が目指す「余白づくり」を完成させられないとわかりました。そこで、柔軟な選択肢をつくる「物理的な余白づくり」とは別に、心の強さを育む「精神的な余白づくり」を考えるようになります。

自分で選ぶ意志の強さを持つには


人はどうやったら物事を自分で選ぶ心の強さを持てるようになるのか。実際、心の強さがあると感じる人は、日常的にもやはり余裕があるように見えます。全く未知の領域でしたが、いろいろと調べる中で「リベラルアーツ」という学問に出会いました。

リベラルアーツは、日本語で「教養」と訳されることが多いですが、私たちが幼い頃から学んできた一般教養とは大きく意味が異なります。平たく言うと、自らに問いを立て、自分の意志を感じ、自分で物事を考えていくための学問。まさしく、私が求めていたものでした。

欧米にはすでにそういった教育プログラムが整っていることも知りました。例えばアートなどの決まった答えのない価値を持つものを観察し、自分がどのように感じるかを問いかけ、自身と対話するのです。日本でも同様のプログラムなどを開催している人はいます。しかし、以前話した友人をペルソナとすると、そもそもワークショップや研修機関などへの参加申し込みが難しい。

身近な日常生活の中から、もっとカジュアルに自問自答できるような些細な機会を作っていけないだろうか。そんなことを考えたときに、思ったのです。嗜好品市場そのものではないか、と。機能や価格だけで比較して商品を選ぶのではなくて、商品や作品それぞれが持つ個性や癖、物語があって、人それぞれの「これがいい!」という気持ちが集まるマーケット。このマーケットを広げることが目的へ通じていると、自分の中で確信めいたものが生まれました。

身の回りに嗜好品がないかを考えた時、割と身近にあったのです。私はクラフトビールの魅力にどっぷり浸かっていました。クラフトビールとは、大手メーカーが作る大量生産型のビールではなく、小規模な醸造所が小規模である利点を活かして作る、多様で個性的な手作りビールのこと。私自身、年間250〜300種ほどのクラフトビールを飲んでいますが、本当にいろいろとあるので宝探しをしているような感覚で飽きを感じません。

クラフトビールが大好きな私が、嗜好品を通り越して、多様性の象徴のようなクラフトビール産業へ参入しない理由は、もはや無いなと。クラフトビール市場そのものを大きく広げていくことが、「これでいい」ではなく「これがいい」と、自分の気持ちに正直になる機会を増やすことに繋がる。

そんな着想背景で、移住先の福岡県福津市という海と山に囲まれた素敵な町に、ビール工場をつくることを決めました。

かっこいい大人を目指して


今は、さまざまな企業の事業開発や組織づくりをお手伝いしながら、ビール事業の準備をしています。

新しい事業を作るお手伝いをして、結果的に柔軟な雇用を増やすこと。それが「物理的な余白づくり」です。人それぞれに価値観は違うわけですから、それぞれにあった選択肢が世の中にあっていいと思うのです。そこに貢献するために、今後も続けていきたいですね。

また、「物理的な余白づくり」と両軸でやろうとしているのが、自分が大好きなクラフトビール事業に想いを乗せてこれからチャレンジする「精神的な余白づくり」です。自分が作ったクラフトビールも、もちろん飲んで欲しいけれど、それと同時に、世の中にはこんなにもいろいろなビールがあるんだということを伝えたい。そして、選ぶことそのものの楽しさや尊さを感じられる瞬間を届けていきたい。人生が選択の連続ならば、きっとその瞬間を増やすことが、愉快で豊かな人生に繋がると信じています。

”余白づくり”のきっかけは友人を失ったことで、それは自分にとってあまりにも大きなことでした。今も、常に責任を感じています。ただ、負のエネルギーからは魅力的な未来は描けないとも思っています。過去の過ちを昇華すると共に、一回りも二回りも大きくなって、今一度自分が描く自分の理想に向けて歩んでいく。エゴでしかないかもしれないけど、目指すところは今も昔も”かっこいい大人”です。

2021.02.25

インタビュー・ライティング | 塩井典子
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