誰もやらないなら自分がやろう。 「想像可能な世界」の外へ踏み出す。

お金をかけずアイデアで中小企業の売上げアップを支援する、岡崎ビジネスサポートセンター(オカビズ)のセンター長を務める秋元さん。在学中にNPOを立ち上げ、人の側面から地域活性化に取り組んできました。未知の領域にも恐れず踏み込んでいく、秋元さんの原動力とは?お話を伺いました。

秋元 祥治

あきもと しょうじ|岡崎ビジネスサポートセンター(オカビズ)センター長/NPO法人G-net理事(創始者)
1979年、岐阜県岐阜市生まれ。早稲田大学教育学部、政治経済学部にて学ぶ。2001年に人材をテーマに地域活性化に取り組むG-netを創業。中小企業支援と若者をつなぐ成功事例として、全国で高く評価される。2013年、オカビズセンター長に就任。7年間で1万8千件を超える相談を受け、売上アップをサポート。経済産業省「キャリア教育アワード」優秀賞、「ものづくり日本大賞」優秀賞受賞。早稲田大学社会連携研究所招聘研究員・内閣府地域活性化伝道師。

好奇心にフタをしない、父の教育


岐阜県岐阜市に生まれました。父は、僕が興味を持ったことには常に応えてくれて、挑戦する機会を与えてくれる人でした。例えば小学校5年生の夏休み。一万円を渡されて「大阪で阪神タイガースのグッズを買ってこい」と言われるんです。僕は時刻表を引っ張り出して、大阪への行き方を調べました。余ったお金で遊んできていいと言われたので、遊ぶ場所も自分で探しましたね。

家族旅行のプランニングを任されることもありました。予算を与えられて、どこに泊まり、何をするかを考えるんです。情報誌をめくって宿泊施設を探し、電話をかけて予約を取りました。とにかく、旅行にはたくさん連れて行ってもらいましたね。父は、毎日のおかずを一品減らしてでも旅行に行きたいという人。いろいろな所へ旅行したことで、知らない場所へ行き、知らない人に出会う面白さを知りました。

小学校高学年のとき、新聞に載っている株価欄に興味を持ちました。数字が増えたり減ったりしているのを見て、ゲームみたいで面白いと思ったんです。すると父は、僕が100万円持っているという設定をつくり、「好きな株を選んでいいよ」と上場企業の株価や業績がまとめられている雑誌を渡しました。僕が株を選ぶと、その株券のコピーをくれました。こうして「100万円の株を1000株買った。いくらマイナスになった」と、シミュレーションゲームで遊ぶように、株の仕組みを学びました。

中学生になると、フリーマーケットが流行り出しました。僕も家にある不用品を売ってみたのですが、ふと他の店を見ると、一冊10円で本を売っている人がいます。でも町の古本屋では、一冊100円で本が売られている。そこでピンと来ましたね。一冊10円で本を買い、安く仕入れた本を、別のフリーマーケットで高く売ったんです。そうやって、中学生にしては多い額のお小遣いを稼いでいました。

学校では、理科と社会の成績が良かったです。世の中とのつながりを感じられるのが面白かったんですね。株やフリーマーケットの仕組みに興味を持ったのと同じように、世の中の在り方に関心がありました。

父が僕の好奇心にフタをせず、何でもやらせてくれたので、僕は勝手にやりたいことを見つけて動くようになりました。高校生になると、進学祝いの20万円で実際に株を購入したり、ディベートの全国大会に出て優勝し、岐阜県民栄誉賞ももらいました。自分で計画して動き、とにかくやってみることを面白いと感じるようになっていたのです。

「できる、できない」の外にある世界


進学先を探すにあたり、父から「東京の大学へ行かなければ、学費は出さない」と言われました。父は岐阜で生まれ育ち、一度も地元から出ていない人です。岐阜の外に出るという、自分ができなかったことを、我が子に託したかったのかもしれません。

言われてみると、テレビや新聞の中の出来事は、ほとんど東京で起こっています。これは東京へ行くしかないのかもしれないと考え、早稲田大学の教育学部へ進学しました。

入学して間もないころ、キャッチコピーをつくるセミナーに参加する機会がありました。1泊2日の学生向けセミナーで、色々な大学、学年の人が集まっていましたね。そのセミナーで「今度面白いイベントがあるよ」と誘われたのが、雑誌をつくる学生団体のイベントでした。

そこでは学生たちがオフィスを借り、営業でお金を集めて、フリーペーパーを制作したり、イベントを開催したりしていました。度肝を抜かれましたね。それまで雑誌は、大人が出版社でつくるものだと思い込んでいたからです。学生ができるかどうかなんて、考えたことすらありませんでした。一冊出すのに必要なお金は100万円くらい。普通の学生からすれば、見たこともない大金です。

そのとき思ったのは、普段「できるかできないか」考えているのは、あくまで想像できる範囲内の出来事だということ。学生がフリーペーパーをつくる世界は、僕にとって想像の枠を超えた、さらにその先に広がる世界だったんです。自分の想像すら及ばなかった世界がある。そしてそれを実現できると知って、めちゃくちゃ驚きました。

細かいことは分からないままに「僕もやります!」と団体に加わりました。やってみると、企業の社長にインタビューする機会があったりして「こんな世界があったんだ」と、自分の世界がどんどん広がり、行けば行くほど楽しくなっていきました。

言うだけでやらないのは、かっこ悪い


大学では、教育学部から政治経済学部に再入学することにしました。政治経済学部がAO入試を導入すると聞いて、これまでの経験からAO入試ならいけるんじゃないかと思ったのです。また、社会を変えるため政治にも関心がありました。教育学部を出て先生になっても、1年間で見られる子どもは約40人。40年働いても、1600人です。政治や行政の側から先生の1%でも変えられれば、社会にもっと大きなインパクトを与えられます。社会の仕組みを変える側の立場に、興味があったんです。

そうやって大学生活を満喫する中、地元に帰省すると、商店街に長年あった大きな百貨店が閉店したと知りました。それにともない、人の往来が減り、商店街の空き店舗もどんどん増えていました。

しかし、商店街の人たちはみんな「駐車場が無いのが悪い」「役所が悪い」「景気が悪い」と、誰かのせいにしていました。自分たちの町の話なのに、なぜ人のせいにするんだろう。

僕は東京に戻ると、友人に地元への愚痴を語りました。語りながらふと、「あれ、文句ばっかり言ってる商店街の人たちもかっこ悪いけど、それに対して文句を言う自分もかっこ悪いぞ」と気づきました。

尊敬する大学の先生から「うだうだ言って何もしない人よりも、うだうだ言われてでも何かしている人たちの方が、ずっとずっと偉いんだ」と言われていたことを思い出したんです。僕には「かっこよく在りたい」という願望がありました。文句を言って何もしないのは、かっこ悪い。

一方、ゼミでも同じかっこ悪さを感じていました。地域活性化についてのゼミでしたが、みんないざ就職となると、東京の大企業へ行ってしまう。結局、言ってるだけでやらないんだな、と思うわけです。

地域が大事。NPOが大事。人づくりが大事。そう言うのに誰もやっていない。それなら地域で、NPOで、人づくりの事業を、自分がやるしかないと思いました。僕は、落ちているゴミをまたぐ人間にはなりたくなかったんです。それはかっこ悪いから。世の中に必要なのに誰もやらないなら、自分がやろう。そんな思いから、在学中にNPOの活動をはじめました。

地域を元気にするのは、産業だ


創業時のコンセプトは「言って、やる人を増やす」でした。文句を言うだけでなく、行動する人間が増えれば、世の中は良くなるはずだと考えたからです。岐阜でのフリーペーパー発行や、学生を集めるイベントからはじめました。

ただ、イベントと媒体だけでは世の中は変わらないと気づき始めました。

どうすれば変えられるか。模索するうちに、地域を元気にするには、産業が大事と至りました。産業が活発で稼げる町には人が集まります。その産業も、人の力の集合。つまり、産業を盛り上げる優秀な人がいない限り、地域は元気にならないのです。優秀な人がみんな都心の大企業へ行くのではなく、地域の中小企業に面白味を感じて就職してくれれば、世の中の流れは変わるだろうと考えました。

そこで、学生を対象とした長期実践型のインターンシッププログラムを提供することにしました。学生は地域の中小企業で意欲を育み、企業はその学生を将来の右腕候補として採用する仕組みでした。

数年間は大学に籍を残しながらNPOを運営していましたが、事業拡大に伴い岐阜にいる時間が多くなり、そのまま大学を辞めて事業を続けるのか、それとも大学を卒業して就職するべきか迷いましたね。勇気がなかったんです。

お世話になっていた経営者に相談すると「秋元くん、Don’t think, feel! だよ」と言われました。考えるとできない言い訳ばかり出てきてしまうから、まず自分の気持ちを素直に感じることだと。

本当にやりたいのか。どんな未来を描いているのか。一緒に話していると、ワクワクするイメージが浮かんできました。その方に「どうやったらできるか一緒に考えよう」と言われたことが後押しで、大学を辞める決心がつきました。

弱さを伝えるリーダーシップもある


事業が軌道に乗るまでは時間がかかりました。数年間、赤字状態が続きました。27歳のときには債務超過で首が回らない状態でした。

親に土下座してお金を貸してもらったり、自分の給料を会社の資金に回したりしましたが、「焼け石に水」状態。日々の生活費は、いくつもの消費者金融に頼りました。極限状態になり、明らかに嘘だとわかるようなフィシング詐欺にも引っかかりました。自分は合理的なタイプだと自覚があったのに、追い詰められた状況下で冷静な判断ができなかったんです。

続けるのはもう無理だと思い、団体を畳むと決めました。まだ20代後半、就職して頑張って働けば数年で清算できます。最後に精算するためのお金を貸してもうらうため、お世話になっている経営者数人に会いに行き、初めて状況を話しました。

すると、ある人は「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ」と、ポケットマネーを寄付すると言ってくれました。またある人は「借用書はいらない。君を信じて貸すから、返せるようになったら返してくれればいい」と、頼んだ額より多い額を用意してくれました。

それまで僕はずっと、上手くいっているところを周囲に見せるのがリーダーシップだと信じていました。社員にもスタッフにも、弱音を吐いたことはありませんでした。でもそのとき、弱さも含めて人に伝えることの大切さに気づいたんです。それが、時に信頼され、人に関わってもらえる余地を生むんだと。

助けてもらったおかげで、なんとか資金繰りができるようになり、心は落ち着きを取り戻しました。同時期に偶然大きな案件を受注して、それをきっかけに、売上がV字回復。事業を続けられることになりました。

創業から10年ほど経って、ようやく事業が軌道に乗り出しました。事業が回るようになると、NPOや地域活性化業界の中で、評価されるようになりました。ストレスがなくなって、何だか気持ち良くなってきてしまったんです。このままじゃまずいと思いました。成長機会がなくなると感じたからです。

そんなある日、大きな交通事故に遭遇しました。幸い一命は取り留めたものの、仕事は数か月全くできませんでした。

それでも事業はちゃんと成り立っていました。創業者である自分がいなければと思い込んでいましたが、手離しても良いかもしれないと考え始めました。

ちょうどその頃、愛知県岡崎市から声を掛けられました。地元の中小企業を支援するための無料の経営相談窓口「岡崎ビジネスサポートセンター(オカビズ)」を立ち上げるので、そのセンター長を務めないかという話でした。

それまでに力を入れてきたインターンシップ事業は、結果が出るまでの期間が長い事業です。15年かけてやっと、インターンに参加した若手が企業で活躍し始めるという状況。「社会を変えるための人づくり」なので、地域企業に貢献している実感は湧きにくいとも感じていました。

一方で、オカビズは中小企業の売上に貢献する明確な目標がありました。兼業でもよいということで、どちらもやれば、短期的な中小企業の売上アップと、長期的な人づくりを両軸でできると思いましたね。

売上アップのためのコンサルティングなんてやったことがないし、岡崎という場所についてもよく知りません。でも、これまでと同じように、やったことがない知らないことだからこそやってみようと思いました。

実際に始めてみると、毎日何件も相談が来て、フラフラになるほど必死でしたね。苦労もありましたが、成果が出ると面白くなりました。どんな会社にも強みがあると気づけたんです。あらゆる業種の人と出会えることが、僕の好奇心を満たしてくれたし、何より直接的に地域の事業者の役に立てることに、充実感があったんです。

すべての企業に、良いところがある


今は、G-netの代表を後任に任せて、オカビズの仕事をメインで行っています。

地域のありとあらゆる企業の売上アップをお手伝いするのが、オカビズの役割。地域に根差す企業が元気になれば、住む人が増え地域活性化につながります。1社で100人の雇用を生むのは難しいかもしれませんが、100社が集まって1社あたり1人を雇えば、地域で100人雇用できる。僕らが取り組んでいる地域活性化は、そんなイメージです。

売上アップのために、まず対話を通して企業の良いところを見つけます。自社で気づいていない良さを一緒に探し、その良さを活かしながら、事業の展開を考えます。

僕は、良いところのない企業は、一社もないと思っています。良いところがなければ、競合他社に負けてとっくに潰れているはずですから。

良いところがあり、欲しい人がいれば、ものは売れるはずです。そこで次は、誰が欲しいか、どんな用途で使ってもらうかを考えます。相談に来る企業は、広告やマーケティングに投資する余裕がないところが多いので、僕らが使うのは知恵です。

例えば、ある印刷会社は布に印刷できる技術を持っていて、マスクへの印刷サービスを提供していました。しかし思ったほど注文が入らず、相談に来たんです。話している中で、「名刺マスク」というコンセプトで、マスクに名前を印刷するアイデアを提案しました。

結果、そのアイデアがテレビで取り上げられ、県外からも注文が入って、大きく売上に貢献できました。製品そのものの差別化が難しい場合は用途やサービス面で差別化を図ります。

2021年度からは、東京の大学で教壇にも立つ予定です。他の教員陣も少し上の世代の起業家が多く、知らない人に出会えることが楽しみです。定期的に東京へ行く機会が得られるのも嬉しいですね。出会う人、場所を変えてインプットしていくことは、やっぱり大事だと思います。

この先のビジョンは、今のところあまり具体的なものはありません。目標を決めてしまうことが、何か自分の未来に制限をかけてしまうように感じるから、あえてです。ただ、オカビズという点での中小企業支援から、さらにスケールアップさせていくことはやりたいです。商工団体や地域の金融機関とともに、仕組みや制度を変えるところまで踏み込めれば、より大きなソーシャルインパクトを出せると考えています。

中小企業支援に限らず世の中をより良くするために、発信力を付けたいとは考えています。今、テレビに出ている同級生もいますが、同じことを考えていたとしても、僕が発言するのと、彼らが発言するのとでは影響力が違う。どんなに良いことを言っても、伝わらなければ意味がありません。ウェブメディアでのコラム連載だけでなく、テレビのコメンテーターなど、発信力が磨かれることをやりたいと思っています。

私生活では、3人の子どもを育てています。子どもたちに伝えているのは、当事者意識を持つこと、そして、興味を持ったことにフタをせず、何でもチャレンジしてみることです。

例えば2人目の子は、お小遣いでコーヒー豆を仕入れ、家でコーヒーを淹れて、僕や妻に販売しています。焙煎職人のところへ見学に行ったり、沖縄のコーヒー豆農場で収穫体験もしました。それから1人目の子は、本を書いてみたいと言うので、実際に書いた本を出版しました。今は2作目に取りかかっています。

子どもたちも「できるかできないか」考えもしなかった世界へと踏み出しています。普通の生活では気づきもしなかった、想像の外にある世界。当事者意識を持ってそこへ挑戦していく醍醐味をぜひ味わって欲しいと思いますし、僕自身も体験し続けたいです。

2021.02.11

インタビュー | 島田 龍男ライティング | 塩井 典子
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