アスリートの生涯価値を最大化したい。 スポーツを極めた英雄たちが引退後も輝く未来へ

大学でアメフトに打ち込み、自身もスポーツをこよなく愛する金沢さん。テレビ局時代にアスリートを取材する中で、選手たちが引退後のキャリアや生活に課題を抱えていることを知ります。引退後もアスリートが輝き続ける未来を創るため、立ち上がった経緯とは。お話をうかがいました。

金沢 景敏

かなざわ あきとし|AthReebo株式会社 代表取締役
京都大学アメフト部出身。TBSでスポーツ中継、編成を経て、プルデンシャル生命保険株式会社へ。1年目にして個人保険部門で3200名中、1位。3年目で全世界の生命保険営業職のトップ0.01%だけが到達できる「Top of the Table(TOT)」に。最終的にはTOT基準の4倍にあたる売上を達成。2020年11月、アスリートの生涯価値を最大化することを目指してAthReebo株式会社を起業。並びに一般社団法人スポーツインフィニティ代表を務める。営業マンとしての思考法を、自分自身の実体験を紹介しながらまとめた、初めての著作『超・営業思考』をダイヤモンド社から2月中旬に発売予定。

「かっこよく」ありたい


大阪市に生まれ、会社経営をする父、大阪のおかんを象徴するようなパワフルな母に育てられました。元ヤンキーだった両親の口ぐせは、「かっこよく生きろ」。「けんかは負けるな、でも自分からは手を出すな。弱いものいじめはするな。それはかっこわるいぞ」と教えられ、なにかあるごとに「あんた、それかっこいいの?」と問われました。かっこよくあるためには結果が必要だと思い、目の前の勉強やスポーツに一生懸命取り組むようになりました。

小学校では足が速くて勉強もでき、リーダーのポジション。やっかむ人もいたようですが、母からは「人生の主人公は自分やで! 正しいことをしているのなら、堂々としとけ」と言われていました。学級委員や生徒会長に挑戦し、どんどん成功体験を積んでいきました。

中学受験を経て、中高一貫の男子校へ進学。野球部に入りました。学校はとても自由で、校則もなければ、授業をサボったり遅刻しても叱られることはありません。ルールがまったくない中、だれに指図されるわけでもなく自分たちで考えて行動する学校生活。自律心が養われました。

授業がほとんどない高3になると、学校近くの駄菓子屋で麻雀をするのが定番の遊びに。特待生枠で地元の予備校にほぼ無料で通えることがわかっていたので、浪人する気満々でした。一応、京都大学を受験しましたが、不合格となり、浪人生活がスタート。中間も期末もテストがないので、遊びまくっていました。模試の判定はいつもAだったので、受験当日に本気を出せば、受かると思っていたのです。

そして迎えた2度目の京大の受験日。そつなくこなしたつもりでしたが、あとから見返すと、普段ではありえないケアレスミスをやらかしていて。家に不合格通知が届いたとき、「やっぱり神様は見ているんだな」と思いました。これまで要領よく生きてきたけど、コツコツやってきた人には敵わないことを見せつけられたのです。

3度目の正直


そんな自分をかっこわるいと思いながらも、合格をもらった東京の私学に進学。アメフト部に入り、チアガールの子と付き合って、華の東京生活を楽しんでいました。

大学1年生の秋、父の会社が自己破産しました。母は電話越しで泣きながら「もうどうしようもないけど、帰ってきたらアカン。どうにかするから、東京におれ」と言うのですが、東京の私学に通い続けるお金がないことはわかっていました。

それならば関西の国公立に行こうと考え、3度目の京大の受験を決意。これは現役時も浪人時も本気をだせなかった自分に、神様が与えてくれたリベンジのチャンスだと思ったのです。腹を括り、受験までの数ヶ月間、死ぬ気で勉強しました。

合格発表の日、通知が届くのが怖くて、外に出かけていました。すると家族から電話が入り、合格していることを聞きます。急いで大学に向かうと、張り出された紙にあったのは、たしかに自分の番号。全身からぶわっと喜びがこみ上げてきました。やっぱり本気になって取り組んだときの達成感は半端ない。本気でやったからこそ味わえる感情があり、見える景色があるのだと思いました。

アメフトであらわになった、弱い自分


大学で再びアメフト部に入り、チームのみんなと日本一を目指しました。他校にはスポーツ推薦メンバーも多い中、国公立である私たちのチームに最初からスターだった者はいません。勝つために、吐き気がでるほどきついトレーニングを積みました。

自分なりに一生懸命取り組んでいました。でも時折、「今日は監督が練習にこないから手を抜けるな」とか「○○大学にはどうせ勝てないよな」など、雑念がわいてきました。日本一になるぞ! と口では言いながらも、弱い自分がいて。言い訳をつくっては、どこかで120%コミットすることから逃げていたんです。

4年生のとある試合、クォーターバックのポジションの私に対し、監督から「次はこのプレーで」との指示が入りました。しかし、失敗しそうだからやりたくないな…という気持ちに負け、とっさに指示とは違うプレーをしてしまいます。その瞬間、プレーが止まりました。

「お前、なんで今プレー変えた? チームとして1番勝つ確率が高いプレーやなくて、自分がやりたくないからって避けたやろ?」と監督の怒った声。図星で、なにも言うことができませんでした。

その日は一睡もできず、翌日はふらふらな状態でグラウンドに向かいました。「失敗を恐れて逃げるやつはいらない」と監督に追い返されてしまいますが、また次の日も歯を食いしばって練習場へ。もうグラウンドに行くのが怖くてこわくて。だれかがぶつかってきてケガさせてくれたらいいのにな、と思っていました。でも、辞める勇気もなくて。いつか終わるんだと唱えながら耐えていました。

結局、また試合に出させてもらえるようになりましたが、日本一になることはないまま引退を迎えました。日本一になれなかったこと、そしてそれ以上に、本気で日本一を目指せなかった自分へのモヤモヤが残ったままの引退となりました。それでも「京大アメフト」と言えば、世間からの評価は高く、民放キー局で就職が決定。社会人になりました。

取材を通じて感じたアスリートの課題


テレビ局では、ほとんど家に帰らずお風呂に入る時間があれば少しでも寝たいというような働き方をしていたAD時代を経て、世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターを担当。多くのスポーツ選手を取材しました。

輝く、選ばれし英雄たち。自分自身もアメフトを経験し、スポーツ界の厳しさを知っているからこそ、その頂点に立つアスリートたちには憧れと尊敬の念を抱きました。

取材を通して、引退した選手の話を聞くことがありました。そこで見えてきたのは、スポーツ一色という特殊な環境で生きてきたゆえの苦悩。一般社会で働くことにうまく適応できなかったり、新しい目標が見つからなかったり。現役時の金銭感覚のままお金を使い、生活が苦しくなっている元アスリートもいました。

引退後もアスリートたちの人生は続いてきます。スポーツを極めた英雄たちが現役を人生のピークとすることなく、引退後もそのすばらしい才能を発揮させながら輝いていくためにはどうしたらいいのだろう? と考えるようになりました。

順調にキャリアアップし、やがて編成という番組の時間帯や番組内容を決める仕事をするようになりました。プライベートでは結婚し、娘が誕生しました。

しかし、順調に行けばいくほど、アメフト時代に日本一を目指すことから逃げたという事実から目を背けられなくなりました。「京大アメフト出身のテレビマン」という肩書きがあれば、自分を大きく見せることは簡単にできます。でも、その肩書きを取っ払ってしまえば、あらわになるのは弱い自分。「日本一を目指す」と口では言いながら、それに見合う努力をしきれなかった、情けない自分なんです。

そんなとき、完全歩合制の外資系保険会社に勤めている知人から、一緒に働かないか? と声をかけられました。自分の弱さと対峙し、もう一度勝負したいと思っていた私にとって、実力主義の環境で一からキャリアを築くという挑戦は魅力的に映りました。また、保険であれば、アスリートが現役時代に稼いだお金を守ることを通じて、彼らの引退後の人生にポジティブな影響を与えられると思ったのです。

反対をされるかなと思いつつ、妻に転職したい旨を告げると「じゃあ2人目つくろう! そしたら覚悟がきまるやん?」と。かっこいい妻。腹をくくらせることで、私の背中を押してくれたんです。「今度こそ120%の力でやりきろう。そして、日本一の営業マンになろう」と固く決心しました。

今度こそ、本気で日本一を目指す


33歳にして新たにはじまった保険営業マンのキャリア。テレビ局にいたときには、名刺交換をした相手からプレゼントが届くこともあったのに、名刺が変わった瞬間、人々は離れていきました。会ってもらうのはおろか、電話にすら出てもらえなくなったのです。

そこで初めて、人に会ってもらえることのありがたみを知りました。そして今まで、自分はテレビ局というスポットライトに照らされていたことに気づいたんです。ライトがなくなった今、自分にできるのはたくさん努力して結果を出し、自身の力で輝くこと。そしてその光で、家族や自分の大切な人たちを照らしていくことだと思いました。

最初の3年間、寝袋を持って行き会社に泊まり込みました。原動力は「もうアメフト時代のように逃げたくない」という想い。仕事にベストコンディションで臨むため、大好きなお酒も断ちました。会食にはあえて車で行って、絶対にお酒を飲めない状態をつくるんです。弱い自分がいることを認め、その上で手を打つ。今度こそ本気で日本一を目指したいから、「寝るの? 明日の準備するの? また逃げるの? おまえ、どんなふうになりたいの?」と常に自分に問い、日本一になるためにふさわしい行動を選び抜いていきました。

転職して半年過ぎた頃、第2子がこの世に誕生しました。その日はなんと、保険会社の創始者の誕生日。ただならぬ運命を感じ、絶対に結果を出そうと誓いました。これはつくられたストーリーで、大変なこともすべてクライマックスまでの演出なのだと。

それからは、さらに仕事に打ち込みました。人の倍、多くのお客様に会いにいき、営業スタイルを試行錯誤。保険を売ることを目的とせず、お客様の人生に少しでもポジティブな影響を与えたいとの一心で動くと、不思議と数字につながっていきました。

そして転職から1年後、ついに個人部門の営業成績で、全国3200人中、1位をとりました。アメフト時代には目指しきれなかった、日本一の座。自分の弱さを認めて対峙したからこそたどり着けた場所は清々しく、引退時から引きずっていたモヤモヤがやっと晴れていきました。

仕事は充実し、その後もどんどん成績を更新し続けました。3年目には全世界の保険営業マンの中でトップ0,01%が認定される生命保険・金融プロフェッショナルの組織、MDRTの基準の6倍である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的にはそのTOTの売り上げの4倍にあたる数字を記録したのです。

しかしながら、テレビ局時代から抱いていた「引退後のアスリートが輝き続けるためになにかしたい」という想いを叶えるには、保険という仕事には限界があることを感じます。副業が禁止されていたので、個人としてできる活動も限られていました。

大好きな会社だったので、離れることへの葛藤はありました。でも、私の人生を振り返ると、「手放す」がキーワードなんです。東京の私大を辞めたときも、テレビ局を辞めたときも、手放すことで道が開けた。だから今回も同じように、きっと手放すことで人生はもっとよくなる...。そう考え、退職を決意。自分の事業を始めることにしました。

アスリートの生涯価値を最大化したい


現在は、AthReebo株式会社の代表取締役をしています。会社のミッションは、アスリートの生涯価値を最大化すること。選ばれし英雄であるアスリートたちが、現役引退後により輝くことを目指しています。

事業の1つは引退後のキャリアサポートです。特殊な環境で練習に打ち込んできたアスリートは、引退後、自身が輝ける次のステージを見つけるのに苦戦することがあります。そこでAthReeboでは、引退したアスリートが個の力を磨く場所として、焼肉屋「まる29」を経営しています。

商売の原理原則である「目の前のお客様に喜んでもらい、ファンになってもらうこと」を体感できるのが、飲食のビジネス。焼肉の網洗いからお客様対応、経営まですべて経験する中で、社会人や経営者として生き抜く力を養います。そして、「現役時代より活躍できる自分」を目指してもらうんです。

将来的には飲食のほかに、元アスリートで編成する営業部隊をつくりたいと考えています。私が培ってきたトップセールスのノウハウ。そこにアスリートが人生をかけて鍛えてきた「あきらめない心」や「挑戦する意欲」をかけあわせれば、最強の営業チームができると思うんです。

また、トップアスリートと社会をつなぐプラットフォームづくりにも着手しています。現在、トップアスリートたちに対して正しい対価が払われているかというと、必ずしもそうではありません。たとえば、オリンピックに出場したことがある選手ですら、その価値には見合わない金額で、子どもに競技を教える仕事を引き受けていることがあります。たゆまない努力をし、ほんのひと握りしか到達できない地位を築いたアスリートたち。その価値がきちんと評価され、正しく対価が支払われるような仕組みをつくりたいんです。

それから、会社とは別で一般社団法人スポーツインフィニティを立ち上げ、代表も務めています。目的は子どもたちとスポーツの接点をつくり、スポーツを愛する人の裾野を広げること。アスリート、そしてスポーツを愛するすべての人でお金を出し合って財源をつくり、子どもたちに観戦チケットをプレゼントしたり、スポーツをする機会を届けていきます。そんなふうにスポーツ産業の循環をよくすることも、結果的にアスリートの生涯価値の最大化につながると信じています。

これから事業を通じて、「アスリートは現役時代が人生のピーク」という固定概念から社会、そしてアスリート自身を解放していきます。もう、セカンドキャリアという言葉は使いたくないんです。アスリートの引退後に待っているのは、セカンドキャリアではなく、輝く次の人生ステージであり、キャリアアップの機会。事業を通じてそのことを証明し、心から尊敬するアスリートたちが引退後も輝き続ける未来を創っていきます。

2021.01.07

インタビュー・ライティング | 原 もえ
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