北海道「出身」でなく「在住」!「お留守番タレント」に込めた想い。

Photo by AKIRA INOUE 「お留守番タレント」として、地元北海道を拠点に演劇や司会、モデル等の表現活動を行う脇田さん。大学卒業後、一度は就職して働きながらも、タレントとして活動しようと決心した背景にはどんな背景があったのでしょうか?

脇田 唯

わきた ゆい|北海道の“お留守番”タレント
「お留守番タレント」として、北海道を拠点に演劇、司会、モデル等の表現者として活躍する。
POST所属。

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「主役をやってみないか?」


一人っ子で引っ込み思案な子どもでした。
親がよく本を与えてくれたこともあり、小説家に憧れを抱くようなおとなしい性格で、
学校の発表会等でも裏方に逃げるようなタイプでしたね。

ところが、小学5年生の時の学習発表会の時、主役オーディションの参加者を募る場で、
たくさんの人が応募しているのにもかかわらず、
担任の先生から

「主役をやってみないか?」

と言われたんです。
もちろん、お芝居は恥ずかしいから無理、と断ったのですが、

「向いているからやってみろ」

という一点張りで、結局オーディションを受け、主役を務めることになったんです。

そんな経緯だったので最初は不安だったものの、
稽古をするうちに、自分の台詞の言い方次第で周りの雰囲気が変わることに面白さを感じ、
段々お芝居にハマっていったんですよね。

本が好きだったので、文章を書くことも好きだったのですが、
文章を構成する感覚に似たイメージを持ちました。

そうやって段々表現をすることが好きになっていき、
中学ではボランティア部で子どもに絵本の読み聞かせをしたり、学校新聞を作ったり、
高校では、念願の演劇部に入り、どんどんのめり込んでいきました。
他の何よりも演劇を大切にしていて、受験ぎりぎりまで演劇漬けの日々でしたね。

私にぴったりの仕事


また、祖父の家のお隣さんに、役者をしているお姉さんが住んでいて、
昔から可愛がってもらっていたのですが、
高校生の頃、「唯ちゃんも出れるよ」と、キャスティングの事務所に登録されたんです。

ただ、正直あまり「タレント」という仕事に興味が無く、
演劇部の方が大事だったこともあり、あまり積極的には活動していませんでした。
「タレント」はサラリーマンと同じ、職業の選択肢の一つという位の認識でしたね。

その後、高校で演劇をやりきって大学に進んでからはバンドのサークルに入り、
今度は歌の方面に熱中しました。
ACIDMANや椎名林檎などのコピーをよくやっていましたね。

そして、就職活動を迎えてからは、とにかくたくさんの企業を見るようになりました。
時には東京にも面接に行き、興味がありそうな会社はひたすら見て回りましたね。

そんな中、昔から好きだった、地元北海道の「北一硝子」という企業に、惹かれていったんです。

北一硝子は手作り硝子の販売を行う老舗の会社だったのですが、
小樽にしか店舗が無かったんですよね。
そして、その理由が、一度小樽に来てもらい、商品を買ってもらうことで、
「道外から人を呼び寄せる」という思想に基づいていたんです。

もともと地元に愛着が強かったですし、札幌の人ですら小樽のことをちゃんと知らないことに課題感がありました。
また、接客販売から棚卸し・広告づくりまで、幅広く仕事を任せてもらえることもあり、

「私にぴったりの仕事だ」

と感じたんです。
そう感じてからは、迷い無く、そこで働くことを決めました。

北海道のためにタレントをやりたい


実際に働いてみて、接客も裏側も好きだったので、
仕事はすごくやりがいがありましたね。

新人ながら色々と裁量も任せてもらい、
決して楽ではありませんでしたが、充実した仕事でした。

また、実際に働いてみて「北一硝子が小樽にしかないから、人が来る」ということを体感したのはやはり衝撃的でした。
そういった方法で「観光」や地元「北海道」に寄与することができるんだ、
ということに驚きがあったんですよね。

そんな環境で働くうちに、関心の対象が商品よりも観光の方に向かっていき、
北海道の為に自分個人の表現を何か活かせないか、と考えるようになりました。

「目立ちたい」とか「売れたい」とかでなく、
「北海道のため」「観光のため」であれば、
「タレント」を前向きにやりたいと思えたんです。

「北海道出身」の東京で活躍される方は沢山いらっしゃいますが、
北海道に居続ける有名人っていないと思うんです。
北一硝子が小樽に人を呼び寄せるように、

「脇田唯がいるから北海道に来る」

と思ってもらいたい、と考えるようになったんですよね。

母親からは心配され、反対されたのですが、
普段話さない父が、

「好きなことをすればいいじゃん」

と言ってくれたことで踏ん切りがつき、
会社を退職し、タレントとして活動することに決めました。

不安定な「タレント」への挑戦


最初は事務所に入らなければ、という気持ちで有名事務所のオーディションを受けたのですが、
最終面接でその事務所の社長の方に、

「あなたは考え方的に事務所じゃなくて、一人でやった方が成功する」

と言っていただいたんです。
もともと、自分で考えて企画するところから表現するところまで関心の幅が広かったため、
言われたことだけをやるスタイルは合わないという主旨のアドバイスだったんですよね。

そんな貴重な意見もいただき、

「北海道のローカルタレントをちゃんとやろう」

という気持ちが固まり、
みんなが東京に行ってしまうのが悔しいから、北海道でいいものを作る団体を作ろうと思い、
「表現者達が届く場所」というコンセプトで、“POST”というクリエイティブチームを立ち上げました。
北海道出身のタレントではなく、北海道で活躍する「お留守番タレント」を目指すことに決めたんです。

もちろん最初はタレント活動一本で食べていけないこともあり、
結婚式場のキッチンでアシスタントとして働きながら、
ユイのオガルTVというUSTREAMの番組に出演し、アイディア、企画出し、
ゲストさんのアテンドなどをスタッフと一丸となって挑戦していきました。

「できることはやろう!」と色々な環境に飛び込んでいきましたね。

正直、23・24歳という年齢で「タレント」という不安定な仕事を始めることは非常に挑戦的だったのですが、
だからこそ、周りの方がその挑戦を応援をしてくれました。

USTREAMの番組やSNS等で活動を見た方から、次の仕事をいただけるようになり、
徐々に機会を広げていけることができたんです。

短い期間ではあったものの、北一硝子で学んだマーケティングの考え方があったからこそ、
抱えられているタレントとは違う仕事の仕方ができるようになった気がします。

生ものの芝居をもっと身近に


現在はタレントとして番組のMCを務めたり、役者としてお芝居に出たり、
はたまた絵を描いたり文章を書いたり、「表現者」という大きなくくりで、
何かものを作って形にして、人に喜んでもらう仕事をしています。

その中でも、特に芝居が一番大好きです。
芝居ってすごく効率が悪くて、たった数日間のために1ヶ月以上も夜な夜な稽古をして、
形には残らず、人の心の中に残るだけなんです。

でも、そんな風に直接伝える「生もの」だからこその良さがあると思うんです。
だから、私はいつも芝居の関係者じゃない、一般のお客さんを必ず直接誘います。

やっぱり、直接会いにきていただけると、色々な人に応援してもらっているということを、
リアルに感じられるんですよね。
他の仕事を通じてファンになっていただいた方が、
芝居を観に直接会いにきてくれるというのが一番の理想です。

そうすることで、映画やボーリングみたいに、芝居をもっと身近な選択肢にしたいんですよね。

そして最終的には、沢山の人に表現を届けることで、
「お留守番」している、北海道を元気にできればと思うんです。

2014.07.02

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