どんな選択も間違いじゃない。 料理を教育に活かし、子どもたちに自信を。

料理を教材とした自宅訪問型の幼児教室を運営する高橋さん。自分に自信を持てる子どもを育てたいという想いの裏には、高橋さん自身が受けてきた教育や、子どもたちと接する中での違和感がありました。高橋さんが目指す教育のあり方とは?お話を伺いました。

高橋 未来

たかはし みく|株式会社Hacksii 代表
新卒でIT企業に入社し、1年半で退職。半年間のニート生活を経て、七田式右脳発達メソッドを用いた幼児教室の先生に。介護事業会社への転職の後、教育サービスを立ち上げ。現在は、料理×幼児教育サービスを展開する株式会社Hacksiiの代表を務める。

認めてくれる存在がいたから、自信を取り戻せた


神奈川県横浜市で、3人姉妹の末っ子として生まれました。姉2人とは年が離れていたので、家族みんなに可愛がってもらっていましたね。

父の転勤で和歌山県に引っ越し、年長の時に新しい幼稚園に転園しました。お遊戯会の役決めで、女の子の花形であるプリンセス役に立候補しました。ところが先生に「未来ちゃんには難しいと思う」と言われて、選んでもらえなかったんです。結局、選ばれたのは先生のお気に入りの子。普段からなんとなく感じていた、自分は嫌われているのかなという思いが強くなり、悲しかったです。それからは自信を失い、ネガティブに物事を考えるようになりましたね。

同級生と一緒にいると劣等感を感じたり、嫌われてるんじゃないかって余計な心配をしてしまったりするようになりました。そんな時、よく遊ぶようになったのが同じマンションに住む2歳くらいの女の子です。一緒におままごとをすることが多かったですね。市販のおままごとセットなどではなく、身近なものを使って創作するんです。おもちゃのお鍋の中にティッシュを小さく丸めて入れてご飯に見立てたり。ルール通りに遊ぶことよりも、自分たちで自由に遊びを作るほうが楽しかったです。

その後小学校に進学しますが、進学先は国立の小学校でした。その小学校は、「先生あのね」という日記の宿題があって、担任の先生が提出するたびコメントを書いてくれました。先生は毎回、すごく褒めてくれるんです。自分を認めてもらえるようでうれしくて、コメントを見るのが楽しみで仕方ありませんでした。先生とのやり取りを通じて少しずつ自信を取り戻し、クラスメイトとも仲良くできるようになりました。

キャラクターに悩んだ思春期


その後、再び横浜に戻り、公立小学校に編入しました。高学年になると、母が、国立の小学校のときの環境が良かったからと、国立の中学校を受験することを薦めてくれました。たしかに国立の学校は先生と相性が良かったなと思い、受験を決意。負けず嫌いだったので、やると決めてからは毎日夜10時まで塾で猛勉強しました。その結果、横浜の国立の中学校に合格できました。

中学校ではバレーボール部に入りました。入部当初は、区の大会で1回戦負けするような超弱小チーム。練習はサボるし、土日の練習試合にも行かない部員がほとんどでした。負けず嫌いな私は、とにかくもっと上手くなってこのチームを強くしたいという思いで練習に打ち込みました。最高学年になるとキャプテンに任命されました。自分が頑張るだけでなく、みんなを引っ張らなきゃと思い、厳しく接することも増えていきました。

するとある日突然、チームメンバーが私の話を聞いてくれなくなったんです。チームを強くしたいという思いが先走りすぎて、ついてこれていないのかもしれない。内心とても焦っていたし悲しかったけれど、無視されても動じないふりをしました。気丈に振舞いチームを牽引し、最後の大会では市の予選を突破。チームを初めての県大会に導きました。チームを強くできたのはうれしかったですが、キャプテンとして強い向上心を持って頑張るキャラクターが周りに受け入れてもらえなかった気がして悲しかったです。その時、人に嫌われることの怖さを思い出し、高校では、頑張るのをやめようと思いました。

高校では人の顔色を伺いながら、嫌われないように気を遣って過ごしました。それでも思春期の女子特有の揉め事などはあり、疲弊しました。それ以上に、本来の自分を殺して過ごしていると、だんだん憂鬱な気分になっていきます。クラスメイトはとても良い子ばかりでしたが、神経が擦り減っていく感覚があって。2年生のとき、誰かになにかされたわけでもないのに精神的に疲れてしまい、学校に行きたくなくなりました。

ある日、両親が「無理して学校に行かなくてもいいよ」と、学校を休んで映画に連れて行ってくれました。その時お昼ご飯を食べながら両親に、「この提案はお姉ちゃんがしてくれたんだよ」と伝えられました。普段学校へ行きなさいと言っていた両親が何故いきなり?と思っていたのですが、姉が私の異変を察知して両親を説得してくれたらしいのです。その時、家族のありがたみを改めて感じましたね。良い子を演じなくても、ありのままの自分を出していいんだと思いました。どんな自分も愛してくれる、絶対的な味方がいるということがわかり、頑張るぞという気持ちになりました。

それから学校には普通に通っていましたが、放課後は遊びに行くよりも本屋や図書館でファッション誌を読むのが楽しかったです。モード系のファッションに目覚めましたね。大学はエスカレーターで、系列校にそのまま進みました。

母の存在が、ニート生活の支えに


大学のとき、24時間テレビを見ていて、アナウンサーに目が留まりました。誰かの頑張りを伝える仕事って素晴らしいなと思ったんです。自分もアナウンサーになりたいと思い、狭き門を突破するためにいろいろ考え実践しました。

まずはファッションをモード系から清楚系にガラッとイメチェン。知名度があった方がいいと思い、流行を発信するマーケティング会社に所属し、女子大生の流行を紹介する役割として、ラジオやテレビに出演しました。その他にも読者モデルをやったりブログを始めたりと、あらゆる手段を用いて自己PR活動を続けましたね。

しかし、アナウンサー試験は不合格。アナウンサーになるためだけに活動してきたので絶望しました。先のビジョンは全く決まっていません。とりあえず就職はしようと思い、アナウンサーのように人とコミュニケーションが取れる仕事を探しました。検索すると、あるIT系ベンチャー企業がヒットしました。試しに受けてみたところ、内定がもらえたので、そのまま就職を決めました。

任されたのは、各部署のコミュニケーションを活性化し、情報収集する仕事でした。オフィスで事務作業し、雑談しながら現場の状況を把握して、それを経営陣に伝えるのです。雑談で本音を語り合えるようになっていくうちに、部署の雰囲気も良くなっていくのがわかり、とても面白かったですね。

また、業務量はさほど多くなく、定時退社できたので、就職と同時に初めて一人暮らしをする身にはありがたかったです。それまで全然料理をしたことがなかったので、自炊する日々にかなり手こずっていたんです。料理はすごく頭を使うし、疲れるんだと知りました。

仕事内容自体はとても楽しくやりがいがありましたが、何年後も勤め続けるイメージが湧かず、1年半後に退職しました。次にやりたいことがこれといって決まっていたわけではなかったのですが、一人暮らしをしてから料理に興味を持ったので、フードコーディネーターの資格を取るために勉強をすることにして、とりあえず実家に帰りました。

成人した子どもが昼間に家にいるって、近所の人からは多分変な目で見られていたと思います。それでも、母は「この時間に一緒にいることなんてなかなかないから、楽しもう」と言って、勉強の合間によく一緒に出かけましたね。父も「今日は何したの?」とか、「今どんな勉強しているの?」などと、その様子をポジティブに受け止めてくれていました。普通、子どもがニートしていたら「早く仕事見つけなさい」と言うじゃないですか。両親は私が自分で道を拓くことができるはずだと信じてくれて待ってくれていました。これも、高校時代に姉が両親に話をしてくれたからだと思います。

半年後、そんな姉の妊娠が発覚しました。もうすぐ姪っ子が生まれてくるのかと思うとなんだか愛おしくて、この子のために仕事をしたいと思ったんです。やりたいことが見つかりました。すぐにネットで調べると、「子どもの可能性を伸ばす」という言葉が踊る幼児教室の求人広告が出てきました。「これだ」と思い応募すると、無事採用してもらえて。幼児教室の先生として働き始めました。

良い子を演じようとする子どもたち


幼児教室では、ひらめきやイメージ、記憶力を司る右脳の発達教育に力をいれていました。フラッシュカードと呼ばれる、表にイラスト、裏に文字が書いてあるカードを、先生が高速で交互にめくって見せます。次々にカードを見ることで、瞬間記憶などが鍛えられるんです。

私は0歳~10歳までの各クラスの担任を持ちました。計100人ほどの子どもたちと接する中で、子どもが大きくなるにつれて、自分の意見を言わなくなっていることに気がつきました。ある小1のクラスのレッスン中、質問を投げかけても教室がシーンとなったので、「なんでも自分の意見を言っていいんだよ」と伝えました。しかし、子どもたちは固まったまま口を開かず、またシーンとなってしまって。今度は「なんで、みんな手を挙げないの?」と聞いてみました。すると8人いた子どもたち全員が口を揃えて、「間違えたくないから」と言ったんです。子どもたちが「正解しなきゃいけない」という社会の価値観に侵されていると感じました。

その後も、子どもたちが間違いを恐れて、自由に意見を言えない状況はなかなか改善しません。とはいえ質問を投げかける時以外は、お話ちゃんと聞いてよ〜と思うくらい子どもたち同士でふざけ合って遊んでいることもあり、この調子で自分の意見も言えるようになると良いのになと悩んでいた時でした。ある日のレッスン終了後、迎えに来たお母さまたちが教室に入ってきた途端、じゃれ合っていた子どもたちが急にピシッとし始めた様子が目に留まったんです。

なんで態度を変えるんだろう。本来一番心を許しているはずの保護者の前で、いい子ぶるのはおかしいと思ったんです。親の期待がプレッシャーになり、本来の自分をさらけ出せないのだろうと思いました。行儀よく手のかからない子にならないと認めてもらえない。いい子を演じないといけないと思っているから、間違えるのを恐れ、自分の意見を自由に言えなくなっていく。そんな状況が変わらないと、子どもたちの可能性は伸ばせないと感じました。そして、子どもが変わるカギは、保護者の接し方にあると思いました。実際に私の両親も元々は正解を押し付けるタイプでしたが、姉の一言でガラッと変わり、それ以降私自身にも変化があったと実感していましたから。

それ以降、保護者面談で、学習の進捗状況の確認だけでなく、お子さまとの関わり方についてもお話しするようになりました。例えば、ある小2の男の子は、レッスンにあまり集中できず、反抗的な態度を取っていました。普段はツンとしてますが、じっくり話してみると、ママが大好きな甘えん坊だとわかりました。そこで、保護者面談時に、「この子は本当にママが大好きなんです。だから関わり方を少し変えてあげるだけで、やる気を出すようになると思いますよ」と伝え、具体的な接し方もアドバイスさせてもらいました。

すると、次のレッスンの日、男の子の目の輝きが明らかに違っていて、やる気が漲っていたんです。「今日やる気満々だね!どうしたの?」と聞くと、「ママに褒めてもらえたんだ」とうれしそうに話してくれたんです。保護者の関わり方が変わると、こんなにも子どもが変わるんだと驚きましたね。子どもとしっかり向き合い、親子関係にも目を配り、子どもが自信を持てるように接し方を変えていくことで、子どもが大きく変化することを実感し、ずっとこんな仕事をしていたい、と思っていました。

自信がなく、起業に失敗


しかし1年ちょっと働いた後、教室の都合で退職することになりました。その時の生徒とはきちんとお別れできず、後悔が残りました。

一旦、家の近くの介護事業会社に就職し、休日や定時後は児童館などでボランティアなどをしながら、どんな形で教育に関わっていこうか模索していました。

2年半後、知り合いの起業家の方と話す機会があり、一緒に事業をやらないか、と誘ってもらいました。その方は私の幼児教室での経験を買ってくれたようで。私もやっぱり幼児教育の世界に戻りたいなと思っていたので、少し悩みましたが挑戦してみたい気持ちが強く、誘われてから3日後には会社に退職を申し出、起業を決意しました。

しかし、走り出した事業はなかなかうまく行かず、半年後に組織は空中分解。誘ってくれた方とはお別れしました。当初から方向性の違いにうっすら気づいていたのに、誘ってもらった負い目を感じ、気を遣って自分の意見を言わなかったんです。自分の至らなさ、自信の無さが招いた結果だと本当に反省しました。

私はやっぱり幼児教育がやりたい。そう思って改めて「Hacksii」という会社を作りました。Hacksiiには何にも左右されない「白紙」という意味と、人生を「Hack」しよう、という意味を込めています。「正解にとらわれず、自分の意見を自由に表現できる子どもを育てたい」と、いう思いを、実現させようと思いました。授業で使っていた右脳の発達教育のメソッドを活かしたいという想いもありましたが、フラッシュカードだと子どもが受け身になりがちで、あんまり楽しくないだろうな感じていました。

子どもが主体的に楽しめて、教育効果も期待できるものはないか。考えていく中で、一人暮らしを始めたころに料理に苦しんだことを思い出したんです。あれは絶対に頭を使うはずだ、という漠然な思いつきでしたが、幼児教室で、脳を活性化させるには「五感」が重要だということを学び、五感をフルに使える料理は、教材として最適だと思いました。そして何より、料理には正解がない。「正解に囚われない」という価値観を創っていくにはこれしかないと思いました。そして、試行錯誤の末、料理が教材の自宅訪問型幼児教育サービス「ハクシノレシピ」を始めました。

自分に自信を持てる子どもに育てる


現在は、料理を教材とした自宅訪問型の幼児教室を展開しています。子どもたちに、自宅にある食材を見て、使うものを選び、自由にレシピを考えて、実際に料理してもらう。そして最後は振り返って作った料理を発表します。そうすることで、いくつもの成功体験を積み重ね、失敗を恐れずにチャレンジする力を身につけることができるんです。

研修を受けたサポート役の講師である「エプロン先生」は、子どもがどんな選択をしても否定しません。子どもが一般的なレシピと違う順番で作ろうとしたときに、普通だったら「そのやり方は違うでしょ」と言って正解を教えてしまうでしょう。エプロン先生はそんな場面でも「いいね!面白そう!やってみよう!」などと肯定し、一緒に実践する。それによって子どもたちは自分の選択に自信を持てるようになり、チャレンジする意欲が湧いてくるんです。実際に、自己表現が苦手で白紙に絵を描くことができなかった子どもが、まっさらな紙に自由に絵を描けるようになった、などという反響もいただいていて、手応えを感じています。定性的な効果ですが、私はこれこそがとても大事な成長だと思っています。

また、幼児教室で働いている時に、保護者へのアプローチの大切さを感じたことから、子育てに関する悩みをいつでも無料で相談していただけるサービスも行なっています親御さんは、子育てに一生懸命になればなるほど、正解を求めて不安を感じてらっしゃる方が多いんです。私たちもそうですが、正解があることが当たり前の社会で生きてきたので、正解しないと、と思いますよね。自分の育て方が正しいのかという悩みを持つ保護者の方が悩んでいるのは自分だけじゃないんだ、と思えるようなコミュニティをつくり、みんなで正解に囚われない価値観を身につけていきたいですね。

これからの時代、もっともっとテクノロジーが進化していきます。20年後、どんな未来が待っているのか想像もできません。だからこそ、人の目を気にせずに「自分はこれだ!」と思えるものを見つけられることが、とても重要になってきます。
こう考えるようになったのは、やっぱりどんな選択も受け入れてくれた親の存在が大きいと思います。私自身は世間的に全然成功しているわけではないので、両親の育て方が正しかったのかはわかりません。それでも、今こうやって、誰になんと言われようとやり抜きたいと思えることに出会えて、私はとても幸せです。この幸せな人生を手に入れられたことは、他ならぬ成果と言っても過言ではないと思います。

最後に、幼児教室の先生を始めてから現在の事業に至るまで、たくさんの子どもたちと接して思うのは、育ててもらっているのはいつも、自分の方だということです。子どもたちは、人目を気にして疲れてしまう性格の私に、表裏なくありのままに向き合う強さ、大切さを教えてくれました。大人になっても、それを失わないでほしい。これが私の事業に向き合う原動力です。

2020.03.09

インタビュー・ライティング | 伊藤 祐己
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