成長する素晴らしさを感じられる会社づくりを。 今までもこれからも、人事のプロとして。

業界の異なる数社で人事のキャリアを積み上げ、現在はラッシュジャパンで人事部長を務める安田さん。新卒で入った会社の出向先で経験したある出来事から、人事の道でプロフェッショナルになることを決意したと言います。安田さんを変えた出来事とは?そして長い間向き合って見つけた、企業における人事の在り方とは? お話をうかがいました。

安田雅彦

やすだ まさひこ|株式会社ラッシュジャパン 人事部長
株式会社ラッシュジャパン人事部長。株式会社西友(現合同会社西友)にてキャリアをスタート。同社で採用・教育担当を経験して以来、人事の道を歩む。西友の子会社を経て、2001年よりグッチグループジャパン(現ケリングジャパン)で人事部門全般を担当。2008年にジョンソン・エンド・ジョンソンへ移り、組織人事やTalent Managementのフレーム運用、M&Aなどをリード。2013年にアストラゼネカへ転じた後に、2015年より現職。

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人気者を目指した子供時代


愛知県名古屋市に生まれました。両親と姉と妹に加え、祖母と祖母の妹の7人家族でした。仕事熱心な父はほとんど家にいなかったので、女性陣に囲まれて育ちました。私が面白いことを言って、女性陣がどっかんと笑う、というのが食事中の定番の光景でしたね。

小学生の時は、目立ちたがり屋には思われたくないけれど、みんなの中心にいたいという願望がありました。一つ上の優秀な姉が学級委員をやっていたので、私も立候補したのですが、あえなく落選。悔しさを噛み締めました。翌年にもう一度チャレンジし、初めて学級委員に選ばれた時は本当に嬉しかったです。母に一刻も早く伝えたくて、お腹が痛いと仮病を使って学校を早退し、家にとんで帰ったほどです(笑)

進学をした中学は、卒業式にパトカーが来るような荒れた学校だったので、クラスの中心になるのはいわゆるワルな子たち。その中で中心にいるために、不良少年たちとつるみ、大物感を出そうと頑張りました。一方で勉強ができ、成績は学年2位でした。不良少年と優等生という対極にある2つの自分を出し分けて学校生活を送っていました。なんだかそれが苦しく、悶々としていましたね。

高校では、ひたすらモテることを考えていました。その姿勢は大学生になっても変わらず、合コンに精を出す日々。授業がつまらなくて、なんなら早く働きたいと思っていたんです。その結果、4年生になっても卒業に必要な単位が圧倒的に足りず、死に物狂いで勉強する羽目になりました。やっと卒業できたとき、「今まで遊び呆けていたけど、仕事を通してまっとうな人間になりたい。仕事だけは手を抜かず、一生懸命やろう」。そう決意しました。

人事でプロフェッショナルを目指す


大学卒業後、ゆくゆくはおしゃれなバイヤーになりたいと思い、大手小売業に就職して、上京しました。寮がある駅に降り立つと、目の前には満開の桜でピンクに色づいた並木道が広がっていて、まるで私の門出を祝ってくれているようでした。最初の配属は、荻窪店の家電売り場。長年、モテる研究をしていた私はすぐにお客様の心をつかみ、エアコンを売りまくりました。「荻窪のエアコン王」というあだ名がつきましたね。

25歳の時、本社の人事部に異動。全国から大量に採用した高卒の女性社員に、トレーニングリーダーとして研修をしました。女性が多い家庭で育ったので、女性社員たちに特に壁を感じることもなく、真摯に向き合っていましたね。研修後のアンケートに「安田さんの話がよかった」という文字を見つけた時や、巣立っていった社員が店舗で一生懸命働いている姿を見た時、嬉しさが込み上げました。彼女たちが悩んだ時には、話を聞いて心の負担を減らしてあげたり、前向きな気持ちを取り戻せるよう働きかけたりしました。自分の起こしたアクションで、何かが変わること、感謝されることに、大きなやりがいを感じました。そして、そんな人事の仕事を好きになりました。

その後、子会社に出向になり、引き続き人事の仕事をしました。ある時、経営悪化が原因で、子会社をたたむことが決まったのです。子会社の社員、160人が解雇されることになりました。私は人事として、退職の手続きや転職先の紹介をしました。「こんな仕事はどうですか?」テーブルを挟んで投げかける言葉の先にあるのは、打ちひしがれる社員の姿でした。上役でバリバリ仕事をしていた人ですら、突然、職を失うこととなり、途方にくれていたのです。そんな光景を見ていると、会社に頼らず、自己責任のもとで自分のキャリアを作っていく必要性を痛感しました。「たとえ会社が潰れても生き抜いていけるよう、市場価値の高い人材になりたい。人事の仕事で、プロフェッショナルを目指そう」。そう決心しました。

子会社の整理を終えて本社に戻ると、次のポジションが決まるまで事務処理センターで働くように言われました。そこで与えられた仕事は、書類にパンチを開けてまとめる単純作業。プロフェッショナルを目指したいのに、34歳の自分の仕事はこれでいいのだろうか? そんな思いが押し寄せ、人事としてのキャリアアップを求め転職を決意しました。

新天地にて、人事の幅を広げる


次のフィールドには、イタリアの高級ブランドを選びました。成果主義で、成績が悪ければクビになる環境だったので、一人一人がプロフェッショナルの意識を持ち、よく働く会社でした。フリーペーパーに載せる求人募集の記事に使うロゴでさえ、イタリア本社の許可を必要とするほど、一貫したブランド作りをしていましたね。

7年ほど働く中で、ふと、お店の売上に大きな影響を与えるのは、人ではなく、単純に店舗の立地なのではないか?と思いました。例えば、都内で一番売上の高い港区の店舗と、一番売上の低い郊外の店舗、スタッフを入れ替えたら売上が逆転するかといったら、そうじゃないんですよね。優秀な人材を採用し、育成したところで、立地というコントロール不可の要素にビジネスが左右されてしまうなら、人事として会社に貢献できることは少ないのではないか? と葛藤するようになりました。人事の仕事を誤解していたのです。

そんなとき、気心の知れたヘッドハンターの勧めで、アメリカのヘルスケア企業の担当者と会うことになりました。話を聞くと、その企業では、社員の持つ能力や可能性に重きを置き、人の力でビジネスを動かして、成長させる枠組みを作っているといいます。人事の役割に限界を感じていた私にとって、そのアプローチは興味深いものでした。

また、絶対的な企業理念を軸に、人事戦略を立てているというのです。それまでの私は、企業理念なんて絵に描いた餅のようなもので、存在はしていても、社員同士で共有することは難しいと考えていたので、そんな人事があるのならどんな方法か見てみたい、と好奇心が湧きました。人事でプロフェッショナルを目指すにあたり、今までとは違う世界で新たな価値観に触れ、自分の幅を広げたいと思い、そのヘルスケア企業に転職しました。

いざ働き始めると、企業理念の徹底ぶりに感銘を受けました。そこには、企業理念に反するものは会社にいられないという空気が流れていました。例えば、社内で行うアンケートに「あなたの上司は企業理念に基づいた仕事の仕方をしていますか?」という項目があり、このスコアが悪いといくら成績が良くても、クビになるんです。また、「世の中にはアリだけれど、うちの理念的にはナシだよね」という会話が、ごく普通に行われていました。全社員が共有する絶対的な企業理念を道しるべに、個々がビジネスを動かしていく、という組織の在り方は、とても勉強になりました。

在籍中、大きなM&Aのプロジェクトに携わることになりました。業界ナンバーワンの海外の会社を買い取り、その代わりに自社の一部の事業を競合会社に売る、というものです。プロセスが複雑だったので業務量が多く、深夜まで働く日々が続きました。

会社の一部を売却するにあたり、社員の退職・競合会社への移籍を促す仕事もしました。社員は当然、最初は大きなショックを受けます。でも、一生懸命やろうとしている社員に対して、会社は活躍の場を与えることができない。そんな状況は、両者にとって苦しみでしかないんです。だから、そんな苦しみに終止符を打つべく、退職・移籍を受け入れた人たちの決断は全て尊くて正しい、そう思いました。そんな風に社員が勇気ある決断をする場に立ち会えることも、人事という仕事のやりがいに感じました。

価値観をくつがえす、ラッシュとの出会い


5年のヘルスケア企業勤務を経て、大阪の外資系製薬会社で働いていた48歳の時、イギリスのコスメブランド、ラッシュより人事部長のポジションでスカウトされました。人事部長になることは、人事人生の一つのゴールだったので、面接を受けることにしました。

面接前にラッシュの店舗をのぞくと、「NO 動物実験!」という文字が印刷されたショップバックが目に入ってきました。なかなか大胆な手法だなと思いながら、「どういう意味なんですか?」と店員さんに尋ねました。すると、「ラッシュは動物実験に反対しているんですよ。化粧品が人にとって安全かどうかは、必ずしも動物で証明されるわけでありません。それであれば、無駄な命を犠牲にしたくないんです」という答えが返ってきたんです。衝撃を受けました。企業が推奨している倫理観を一店員が自分の言葉で語れるなんて、並大抵の努力では実現できません。一体、どんなマネジメントをしているんだろう? 面接への期待が膨らみました。

いざ面接で話を聞くと、なんとラッシュには店長の上でマネジメントする人がいないといいます。小売業では多くの場合、本社で各店舗をコントロールしやすくするため、店長の上に、何店舗かをまとめて統括するリーダーを置いています。各店長の裁量に任せるというラッシュのスタイルは珍しいものでした。

それで上手くいっているのか尋ねると、「いいえ」という苦い返事が返ってきました、「それでも、広告を打たないラッシュが世界観を表現できるのは店舗だけなんです。その価値観は、上からの圧でやる、やらされ仕事では伝わりません。だから、店員たちにはディレクション(指示)ではなく、インスピレーション(ひらめき)を与え、それぞれが感じたことを店舗で表現してもらうことを大切にしているんです」。そう言い切るのを聞いて、とんでもないクレイジーな会社に出会ったな、と思いました。そして、面白そうだから私も一緒にやってみよう!と入社を決めました。

働いて成長する喜びを感じる会社づくりを


現在は、ラッシュジャパンで人事部長をしています。25人の部下と共に、採用、トレーニング、人材開発、人事制度づくりなどに携わっています。同時に、ラッシュというブランドの価値観をどのように社内外に伝えていくかを考えています。ブランドの価値観が正しく伝わっていれば、こちらから人材を見つけに行くのではなく、価値観に共感して一緒に働きたいと思った人たちが我々を見つけて来てくれる、という流れができると思っています。

ずっと大切にしているのは、現場主義であることです。人事として仕事をする時、期待した変化が起きているかに最大の関心を払い、必ず現場を見に行くようにしています。そのときに、社員から「新しい制度、最高にいいです!」と褒められるのももちろん嬉しいのですが、「あぁ、あれですか。いいっすよ」くらいの温度感で、働く日常の一部になっているのを見たときに、一番喜びを感じますね。

例えば、私が着任してから、上司や同僚とお互いの働きぶりを記名でフリーコメントし合う、360度フィードバックという取り組みを始めました。ダイレクトにものを言う文化のない日本では、最初、現場で混乱が起きたんですね。でも、効果的な伝え方を体系的に理解できるトレーニングなどを通し、相手の成長のために、敬意を持ってフィードバックし合う文化を浸透させていきました。今や、当たり前に行われている360度フィードバックは、社員同士が自ら努力して良好な人間関係を作ることを促し、より良い職場環境づくりに貢献しています。

自分がしたことで何かが変わる、それが最大のモチベーションになっているので、今後も近い場所から変化を見ることができる、事業会社の人事を続けていきたいです。

30代前半、会社はあてにできないと危機感を覚えたことから、自分で自分のキャリアに責任を持つ覚悟で、人事のプロフェッショナルを目指してきました。でも面白いことに、結局は会社を通して成長しているんですよね。多くの会社を体験したおかげで、たくさんの刺激的な世界を見ることができました。

会社は一生の職を保証することはできません。でも、働いて成長し、その喜びを感じられる場所になることはできると思っています。みんなが一生同じ会社で働くわけではありませんが、どこかで振り返ったとき、「あの会社で働いてよかったな。あそこで働いたことで、今があるな」そんな風に思える働く場を、これからも人事の仕事を通じて、創造していきたいです。

2019.12.23

編集 | 粟村千愛インタビュー・ライティング | 原もえ
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