スポーツ選手のセカンドキャリアをサポート。
一生懸命やってきたことが活きる社会へ。

社会人野球を経て、幼い頃の夢だったプロ野球選手になった久古さん。引退後、キャリアの選択肢が少ないことに気がつきます。一生懸命やってきたことを、「野球しかやってこなかった」と思いたくないし、言われたくない。そう感じた久古さんがとった行動とは?お話を伺いました。

久古 健太郎

きゅうこ けんたろう|デロイトトーマツグループ スポーツビジネススペシャリスト
2010年、ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから5位指名を受けプロ入り。2018年に引退し、コンサルティングの世界へ。スポーツ選手のセカンドキャリアの可能性を広げたいと、これまでとは全く違う領域での活躍を目指している。

野球が身近な環境で育った


北海道で生まれ、東京豊島区で育ちました。野球が大好きな父の影響でグローブを買ってもらい、キャッチボールをして遊んでいましたね。小学校1年生の時、近所のよく遊んでいた子たちが所属していた地域の野球チームに入りました。

ある日、少し風邪気味だったので練習に行かなかった日がありました。要はサボったんです。すると、その姿勢に怒った父が「もう野球はやめろ」と怒り、野球道具を家のどこかにしまってしまいました。野球が大好きだったわけではないのですが、さすがに野球ができないのは嫌だったので、それからはちゃんと練習をするようになりました。

父は野球に厳しく、試合で打たれてしまった時や勝てなかった時はダメ出しをしてきます。その度に、「なにくそ」と思いながら練習していましたね。

試合を勝ち進んでいくと、自分より野球が上手な人がたくさんいることを知りました。次第に、負けたくない、勝ちたいという気持ちが強くなったんです。勝つには自分より上手な選手より練習しないといけないと考え、それまではどこかやらされている気分だった練習を、自主的にやるようになりました。学校から帰ってきてから家の周りを走ったり、バットを振ったり、シャドーピッチングをしたりしましたね。

6年生でキャプテンになりました。試合だけではなく普段のチーム練習でも、楽しくやるよりは、勝つために練習をしたいと思っていました。ちゃんとやっていない人やふざけている人を見ると許せないと思いましたし、試合中におしゃべりしている人がいれば「声を出して応援しろよ」と注意していました。

中学は地元の公立学校に進み、硬式野球のシニアリーグに入りました。チーム練習は週に3日しかないので、それ以外は毎日自主練。とにかく野球ばっかりやっていましたね。高校受験の時期になると、複数の学校から野球で推薦がもらえました。漠然とプロ野球選手になりたいという夢があったので、甲子園を目指して、出場チャンスのある強い学校を選びました。

プロになれる実力はないと知る


甲子園は、前年度の秋の大会が予選となっていて、勝ち抜くと、翌年の春の甲子園に出場できます。高校1年生の秋の大会で、一個上の先輩エースピッチャーが一人で投げぬき、2年生の春、甲子園に出場できることになりました。そこで、予選で投げていない僕が先発させてもらったんです。

甲子園に出場したいと思っていたのでうれしかったですが、先輩のおかげが大きいので、自分が何かを成し遂げたという達成感はありませんでした。棚からぼた餅みたいな感じです。

試合を重ねるごとに、自分よりも上手な人たちがたくさんいることを知り、自分にはプロになれる実力はないと思い知りました。それでも地道に練習を続け、進路を考え始める頃には、有難いことにいくつかの大学から推薦の話が来て、進学先の大学も決まりました。

ところが高校3年生になってから、突然、思うようなプレーができなくなったんです。ストライクが全く入らない。絶対に負けられないと思うと緊張して、思うように投げられない。結果が出ないから自信がなくなる。ちゃんとしないとダメだと思って緊張する。まさに負の連鎖でした。

投げ方を変えるなど工夫はしたのですが、改善できませんでした。これまで順調な野球人生だっただけに、どうすればよいかわからず、辛かったですね。これだけ練習をやっているのに、なんでうまくならないのか。ただ一生懸命練習をやるだけじゃダメなんだと気付かされました。結局、自分のプレーを取り戻すことができずに高校を卒業することになりました。

勝ち負けよりも大事なこと


進学先は調子を崩す前に決まっていたので、無事大学に進むことができました。大学に入ると、さらに一段と、周囲のレベルが上がりました。技術もそうですが、まず身体付きからして、高校生とは全く違う。プロ野球にいく選手を初めて間近で見ました。

そうした環境に入ったことで、逆にプロを目指すようになったんです。それまで、プロ野球選手になるという夢は、どこかぼんやりして、自分には叶えられないものだと思っていました。でも、目標との距離が明確になったことで、やればできるという考えになりました。

今は距離が離れていても、身体を作るのも、練習をして技術を上げるのも、やればできると思えたんです。まずは挑戦してみて、諦めるならそれから。やる前から諦めるのは違うと思いました。学校の授業以外は、毎日ひたすら野球の練習をしていましたね。

卒業後は、自動車メーカーの野球部に入部しました。ところが、入社直前に、野球部がその年限りで休部すると決まったんです。とりあえず入社はしましたが、すぐに今後のことを考えなければいけない状況になりました。

状況も辛かったですし、入社してから全く活躍できないこともきつかったですね。もっとうまくなりたくて投球フォームを変えるなどチャレンジしていくうちに、自分の投げ方がわからなくなってしまったんです。精神的に追いつめられて、野球はもうやめようかと悩みました。

そんなとき、別の会社から移籍の誘いがきました。移籍して野球を続けるか、野球をやめて社員として残るか。悩みましたが、本当に野球をやめる自分はイメージできませんでした。今ある道を自分から絶つことはできないと思い、移籍を決めました。

チーム内には、野球をやめて会社に残る人もいれば、自分のように移籍する人もいました。とにかくそれぞれ後悔しないようにやろうというマインドで、その年、チームが一丸となったんです。結局、全国大会ベスト4と、目標であった全国優勝はできませんでしたが、みんなが自分のベストを出し切る姿を見て大事なことを学びました。

これまでずっと勝ち負けや結果にこだわりすぎていたことに気付いたんです。結果よりも、自分たちがそれぞれベストを出しきることを大事にしようと思うようになりました。

プロ野球選手への道


翌年、別の企業のチームに移籍し、宮城県の石巻市に拠点を移しました。社会情勢を考えると、移籍先の野球部も絶対に休部しないという保証はありませんでした。部が存続する可能性を高めるためには、全国の強豪社会人野球チームが集う都市対抗野球大会に出るしか道はありません。野球ができなくなるかもしれない瀬戸際で、プロになりたいという思いは頭から消えていました。

社会人野球のチームは、企業チームとクラブチームの2つがあります。企業チームは仕事として野球をしているチームが多く、全体的にクラブチームよりも強い傾向があります。僕が所属するのは企業チームでしたが、それまで他の企業チームに練習試合ですら勝ったことがありませんでした。

1社目で学んだ「ベストを出し切る」ということを意識し、とにかく自分のベストを尽して練習や試合をすることを心がけました。その結果、パフォーマンスが向上し、チームとして初めて企業チーム相手に勝ち、都市対抗野球大会への出場に貢献できました。都市対抗野球大会で勝つことはできませんでしたが、初めて大きな達成感を感じました。

大会が終わると、なんと全く考えていなかったプロ入りの話があると聞きました。その後、ドラフト会議で5位指名を受けました。うれしかったですが、ドラフト上位じゃないとプロにいかせてくれない会社もあるので、「まずは会社に相談しないといけないな」と割と冷静でした。

会社に相談すると、「どうしたい?」と聞かれたので、「僕はいきたいです」と答えました。会社としては戦力ダウンとなるので残ってほしいと考えるのが普通ですが、プロの輩出は僕と会社にとってプラスになると考えてくれて、プロ入りできることになりました。うれしい反面、プロは厳しい世界なので、覚悟しなくてはいけないという気持ちでいっぱいでした。

今度は自分も、誰かの支えに


プロ1年目は、自分でも想像できなかったくらい活躍できました。しかし、1年目のオフに血行障害になり、首から小指にかけての太い血管が詰まってしまいました。投げると痛く、腕を思いっきり振れない。第一肋骨の除去と手指を開放する手術を受けることになりました。

翌年から復帰しましたが、それまでとは感覚が全く違い、思うように投げられないことも多かったです。毎日「うまくなりたい」と思って、毎年「次の年は頑張ろう」と意気込みました。調子が良い時もありましたが、自分のプレーがどんどんできなくなっていきました。

7年目には不整脈が出るようになり、マウンドでも発作が起きるようになってしまったんです。発作は突然起こるので、登板していても不整脈になるんじゃないかという不安がつきまといました。

登板機会が減り、2018年に戦力外通告を受けました。やりたいと思った練習方法はやりきったので、プロ野球選手として全てを出し切った感覚はありました。32歳、これからもし社会に出るならギリギリのラインかなと思い、引退を決意しました。

当たり前ですが、戦力外通告を経験する人ってなかなかいないですよね。クビになるみたいなある種の失敗が、一気に世間に知られるんです。しかしそれは同時に、今の自分の動向が多くの人に知られる一つの機会でもあると思いました。その機会をプラスに変えたいと思ったんです。

そこで、これまでずっと連絡を取ってこなかった人たちも含めて携帯の電話帳に載っている方全員に、引退報告のメールを送りました。「まだ次の道は決まってないけど、引退報告をさせていただきます」と。するとたくさんのメッセージが送られてきて、その中には僕の活躍を見て自分も頑張れたという声もありました。連絡を取っていなくても、すごく多くの人に支えられていたんだということに気付かされたんです。これまで支えてもらったように、今度は自分も、誰かの支えになりたいと思いました。

「野球しかやってこなかった」と言われたくない


これからどうしようと考えた時、野球選手のセカンドキャリアは、選択肢が少ないことを実感しました。例えば、知り合いのツテで飲食店を経営したり、野球に携わる仕事をしたりする人がほとんどです。これまで一生懸命やってきたのに、社会に出ると「野球しかやってこなかった」と見られると思うと、虚しさを感じましたね。

同時に、自分が別の分野で努力をして成果を出せば、野球選手でもセカンドキャリアのチャンスはいくらでもあると認識してもらえるのではないかと考えました。そうすれば、これから引退する選手を取り巻く状況も変えられるんじゃないかと思ったんです。そこで、自分で道を探してゼロベースでやっていこうと決め、スーツを着て転職活動を始めました。

将来は自分で野球チームを運営したいという思いがあったので、経営を学べる仕事が良いと考えました。引かれたレールを進むのではなく、フラットに採用してくれる会社に行こうと、いろいろな会社のホームページを見て応募を出していきました。その中で、スポーツビジネスをやっていて、自分の志望とマッチした、デロイトトーマツコンサルティング合同会社に採用していただきました。

入社してみると、全てがこれまでとは違いました。例えばメールベースでのコミュニケーションもとったことがなかったので、新鮮な驚きも困惑もありましたね。わからないのは当たり前と考えるようにして、やりながら覚えていくようにしました。

一人ひとりが社会で歩いていけるように


現在は、デロイトトーマツコンサルティング合同会社で、プロジェクトの進捗管理をするプロジェクトマネジメントをしています。仕事内容は大きく2つ。ひとつは、愛媛県のサッカークラブチーム「FC今治」の支援プロジェクトです。例えば試合の来場者にアンケートを取り、来場者が1回の試合観戦における試合を知ってから見終わって帰ったあとまでの一連の体験の中で、どこに満足してどこに不満を感じたのか、指標を作って評価するなどして、集客の戦略を考えています。

もうひとつは、世界中の子供たちに教育の場と機会を提供する活動をしているNPO法人のプロボノ支援です。自身の野球経験やコンサルティングで培ったスキルを活かして、団体の活動を世間に広める支援をしています。そのほかには、高校生や大学生に対してコンサルタントの考え方を伝える授業なども行っています。

スポーツの世界から全く異なるビジネスの世界に入りましたが、ビジネスにも野球で学んだことが活きています。野球の場合、どういうボールを投げたら打者が嫌がるか、相手のことを想像して行動します。ビジネスでも、相手には自分のことがどう見えているのかを考えて行動しているので、これまでやってきたことを応用できていると感じています。

今は、まずは自分ができることをきちんとやって成果を出したいと思っています。野球選手だった自分がビジネスの領域で活躍することで、スポーツ選手でもここまでできるというのを見せたいんです。

いずれは自分の成果を指標にして、スポーツ選手のセカンドキャリアをサポートしていきたいですね。スポーツ選手と一括りで言っても、内情はみんな違います。みんな、何をしたら自分が社会でやっていけるのかわからない。だからそんな一人ひとりに寄り添って、ちゃんと社会で歩いていけるようなサポートができたらいいなと思っています。

2019.12.02

インタビュー・ライティング | 湯浅 裕子
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