アイデアと覚悟があれば、邁進していける。ハワイの魅力を事業化し岡山を盛り上げる。

【トマト銀行提供】愛する地元、岡山で父の建設業を継ぎ、ハワイと関連づけた事業を展開する湯浅さん。34歳という若さで社長に就任するも、プレッシャーと闘う地獄の数年を送ります。苦しい時期を脱し、自分らしく経営ができるようになった転機とは。お話を伺いました。

湯浅 康則

ゆあさ やすのり|西部建設株式会社代表取締役
西部建設株式会社代表取締役。岡山県岡山市生まれ。専門学校卒業後、大阪の設計事務所で2年経験を積んだのち、岡山県に戻り、父の会社である西部建設株式会社に入社。34歳で父から会社を継ぎ、社長に就任。現在は、建設業を中心にハワイと関連づけたビジネスを展開。ハワイアン雑貨の販売や岡山最大級のイベント「ハワ恋ビアフェスタ」の開催など数々のアイデアを形にしている。

エネルギッシュな子ども時代


岡山県岡山市で生まれました。元船乗りでムキムキの体をした父と、バレーボール部出身の母という、体育会系な両親に育てられました。

性格はわんぱくで、いたずらっ子でした。近所の子を集めて港で泳いでいたら、誰かが通報して警察が来たり、自転車で行けるところまで行ってみようと旅に出たら、夜になっても家に帰れず大騒ぎになったりと、何かと騒動を起こしていましたね。別に悪いことをしようという気はなかったのですが、エネルギーが有り余っていたんです。

体が大きく、小学校では存在感があったと思います。リレーの選手に選ばれたり、2年生からからは剣道を始めたりと、スポーツ少年でした。一方、美術や技術の授業も好きでした。絵を描いたり、ものを作ったりすることに興味があったんです。

中学では部活に入り、本格的に剣道をやりました。最終的には岡山トップ4入りを果たし、高校は剣道推薦で進学しました。このまま剣道をやって大学へ行き、体格の良さを活かして警察官になるのかなと、漠然と思っていました。しかし、高校2年生になって進路について真剣に考え始めると、剣道にも警察官にも興味が持てませんでした。

その頃、父は起業して建設会社を営んでいました。進路に迷う中で、小さな頃からものづくりに興味があったことを思い出し、父のように建設の道に進むのもありかもしれないと考えました。「親が建設会社をしているなら、建設に進んだら?」という学校の先生の一言に背中を押され、大阪にある工業専門学校に進みました。

専門学校時は、ちょうどバブル真っ只中でした。学校には大阪近辺の建設会社の息子さんが多く、お金持ちの同級生はフェラーリやベンツで通学していました。いろいろな女子大や専門学校とのコンパがひっきりなしにあって、毎週、派手に遊んでいましたね。実家のことは頭にあったものの、毎日楽しくて、まだ地元に戻る気にはなれませんでした。

ハワイと出会い、魅了される


専門学校卒業後は、大阪の小さな設計事務所に就職しました。就職活動の時期は、学校の壁一面に求人募集の情報が貼られるような売り手市場で、大企業の求人もありました。でも、負けん気が強い私は、大きな組織で埋もれるくらいなら、小さな会社で目立ちたいと思ったんです。主な業務はマンションやテナントなどの設計。上司について図面を書いていました。

働いて2年ほど経ったとき、父に「一緒に2週間ほどカナダに行かないか」と誘われました。父が事業として取り組んでいた大型木造建築の主流がカナダだったため、視察に行くというのです。専門学校時代、カナダにスキー旅行したことがあってすごく楽しかったので、その誘いはかなり魅力的に映りました。日本を2週間離れるので、会社を休もうとしたところ、父は「仕事をやめて帰ってこい」と言ったんです。会社には引き留められましたが、退職して岡山に戻りました。

カナダでは、とにかくスケールの大きさに衝撃を受けました。建物も人間も、何を見てもでかい。「世界は思った以上に広くて、もっといろいろなものを見て、学ぶべきだ」と体感しました。

帰国後、父の会社で自分なりに一生懸命働きました。いずれは跡を継ぐだろうという予想はありましたが、事業に対する責任感は薄く、気分はどこか雇われサラリーマンでした。週末、思いっきり遊ぶために働いていたというのが本音です。

20代の後半、初めてハワイに行きました。ハワイは、船乗り時代から父のお気に入りの場所。父と母がそろって通う、我が家にとってゆかりのある地だったのですが、私は行ったことがなかったのです。

一度、ハワイの地を踏んでから、すっかりハワイの虜になりました。壮大な自然、美しい海、恵まれた天候、多様な食文化、人の温かさ、花の香り、おしゃれなライフスタイル、耳触りのいい音楽、フラガールの舞い。ハワイが旅行者に提供するものは、バラエティに富んでいます。老若男女、どんな人が行っても、必ず心がときめくものに出会える場所だと感じました。両親を含め、ハワイを訪れた多くの人がハワイ好きになる理由がよくわかりました。

ハワイにハマり、その後も何度も訪れました。ハワイのホームセンターからキッチンを仕入れ始め、仕事でもハワイと繋がるようになりました。

父の引退で社長の座に。地獄の日々


34歳の時、父から会社を譲り受け、社長になりました。父は折に触れ、「俺は60歳で引退するんで、あとは好きにやってちょうだい」と言っていました。初代の社長がそんなに早く引退することはないと思っていましたが、父はその言葉通りあっさり引退してしまったんです。

それまでは雇われの身でしたし、経営の勉強をしたこともありません。仕事が取れず、暇な状態が続きました。あたりまえなのですが、仕事があるから、会社が成り立つんですよね。仕事が入ってこないなら会社ではないんです。従業員もいたので、給料も支払わなければなりません。

時代的にも厳しいときでした。バブル崩壊後の不況で、同業者がバタバタと倒れていくのを、そばで見ましたから。父から譲り受けたものは思っていた以上に重く、苦しい時期を送りました。地獄でした。

社長になってからというもの、それまで趣味だったゴルフやスキーも一切やめ、仕事一筋になりました。こんなに大変な会社というものを一から作り上げ数十年も経営していた両親を、改めて深く尊敬しましたね。

もがきながら必死にやっていたあるとき、土地の分譲にあたり、融資を受けてお金を借りることになりました。ところが、私では連帯保証人になれないと言われたのです。力不足を実感し、強いショックを受けました。

それを機に「きちんと体制を整え、親から受け継いだものを自分の力で回していけるようにならなければ。そのためにもしっかりと売上を出し、利益を上げよう」と決意しました。40歳を迎える頃には、電話一本でいろいろなことが動かせる自分になりたい。そう思ったのです。

覚悟を決め、経営に向きあう


社長になり2年、3年と経つと、会社を経営していることが現実味を帯び、責任の重さをよりずっしりと感じるようになりました。プレッシャーに苦悩した夜もあります。でも、どんなに苦しい時だって、私には常にやりたいことがたくさんありました。

いろいろな人と話すたび、商品やイベントの企画など、やってみたいことのアイデアが次々湧いてくるんです。「アイデアが湧いてくる限り、どんな状況になろうが自分は絶対に復活できる」という確信を持つことができました。

その確信が持てた時、覚悟が決まりました。それは「会社が潰れる可能性はいつだってある。でも、万が一のときはプライドをかなぐり捨て、アルバイトでもなんでもやって、一からまた会社を作っていく」という覚悟です。

頑張っていれば会社は潰れないという幻想は破り捨て、たとえ全てを失っても一からやり直す、と腹を決めました。できるかできないかではなく、やるかやらないか、なのだと。

プレッシャーと上手に付き合えるようになり、心の姿勢が整うと、やりたいことの実現に注力することができました。みんなが好きで憧れるハワイのライフスタイルを、日本にいながら一年中楽しめるような仕掛けを作り、建設業を中心に事業化していきました。両親のアドバイスや兄弟、家族の協力も大きな力になりましたね。

社長に就任してからの6年間、湧き出るアイデアと覚悟を握りしめて邁進した先に、自分らしい経営のかたちがありました。

元気な地元企業として、岡山を盛り上げたい


現在は、ハワイのテイストを取り入れた住宅やカフェの設計・施工など、建設業を中心とした事業をしています。アロハシャツを始めとしたハワイ雑貨の小売や、イベントの運営にも携わっています。イベントとしては、3万人を動員する岡山最大級のビアフェスタや、キルト作家や雑貨屋さんが出展するハンドメイドフェスタのスポンサーとなり、企画から関わっています。

今はSNSでいろいろな情報がすぐに入ってくるので毎日すごいスピードでアイデアが湧き出てきて、やりたいことは増えるばかりです。今後は、ハワイで不動産の紹介業やアジアでの日本事業の展開など、枠にとらわれず様々なことに挑戦していきたいと考えています。

興味の幅は広い私ですが、唯一、場所だけは変える気がないんですよ。他の場所に住んだり旅行したりしましたが、やっぱり岡山が好き。岡山で生きていきたいと思っています。

岡山は気候がよくて、食べ物が美味しくて、災害も少なくて、住みやすい場所です。なぜもっと発展しないのか不思議なほど、多くの可能性を持っている地域だと思っています。まずは観光で岡山に遊びに来てくれる人が増えて、街が活気づくとうれしいですね。

人が集まる街とは、エネルギーが溢れている街だと思います。これからもどんどん湧き出るアイデアを形にし、岡山に根付く元気な企業であり続けることで岡山の発展に貢献していきたいです。



※この記事は、トマト銀行の提供でお送りしました。

2019.10.17

インタビュー・編集 | 粟村 千愛ライティング | 原 もえ
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