誰かの幸せを願うことが自分の幸せに。健康で長寿、穏やかな暮らしを世界中に広める。

【トマト銀行提供】健康を軸に、国内外での介護事業や24時間フィットネスジムの運営を行う日笠さん。大学での講義や友人との語らい、大手外食チェーン店での仕事を通し、日笠さんが大事にするようになった考え方とは。お話を伺いました。

日笠 光生

ひかさ みつお|株式会社 桜梅桃里 代表取締役
大手外食チェーン店で5年、店舗経営を経験したのち地元の岡山にUターン。叔父が営むクリニックを手伝ったのち、父と共に介護事業を中心にした会社を立ち上げる。2016年社長に就任し健康・長寿そして穏やかに生活ができる社会を目指して介護施設を10拠点、フィットネスジムを13拠点運営。ベトナムでも日系企業では初の介護事業所を設立しており、グローバル展開を目指している。

つらくなかったいい子キャラ


岡山県岡山市で、4人きょうだいの3番目として生まれました。5歳になったとき、父が衆議院議員選挙に立候補しました。同じ選挙区、しかも同じ学区からもう1人新人の立候補者が出たので大激戦。選挙戦も後半になると、家族にも疲れが見え始めてきました。

そのとき、僕はハチマキをしてのぼりを持って、父の名前を叫んで応援したんです。その様子を家族が見て、「5歳の子どもまでやってるんだから、我々が体力負けするわけにいかん」と奮起。多くの人の支援で父は初当選できました。自分の行動がみんなに褒められたのが嬉しくて、そこから「褒められるよう、いい子でいよう」と考えるようになりました。

父や父の支援者の人たちにもすごく気を遣っていました。小学生の頃には、タバコを吸っている人がいたら灰皿を持っていったり、お酌をしたりもしていましたね。家族一丸となって国会議員の父を応援している意識があったので、外では波風を立てないよう努めていました。「しっかりしてるね」と周りから褒められることがうれしかったので、いい子キャラは全くつらくありませんでした。

人間、楽して学べることはない


中学校の英語の担任の先生がとても熱心だった影響で英語が好きになり、岡山の私立高校の英語科を目指しました。推薦合格で周りより早く受験が終わって時間ができたので、ハリウッド映画を見るようになりました。だんだんハマって、毎日映画を見るうちにアメリカに憧れを持ち、海外で生活してみたい気持ちが高まりました。

高校進学後、2年生の1年間でオーストラリアのシドニーに留学しました。憧れの海外生活でしたが、実際に行ってみると理想と現実との大きなギャップを感じました。アジア人差別を受けたり、ホームステイ先の子とトラブルがあったり、つらかったですね。高額な国際電話しか連絡手段がないので、親や友達に相談することもできません。16歳でも自分で努力するしかありませんでした。

我慢して努力を重ねるうち、徐々に英語力が向上して友達も増え、週末に都市部に遊びに行ったりサーフィンをしたりと、行動範囲が広がりました。ホームステイ先が変わったことで環境もよくなりましたね。ホームステイが終わる頃には、オーストラリアでの生活に楽しさを感じるまでになっていました。

そんな体験を通して海外の生活への不安はなくなり、かなり忍耐強くなりましたね。辛い時期を乗り越えられた自分に自信がついたとともに、「人間、楽して学べることはない」と実感しました。

自分だけ幸福になってもそこで終わり


高校卒業後は東京の大学に進学しました。ある講義の中で「自分を幸せにするためには、まず他人を幸せにしてあげないといけない」という仏教の教え、利他の精神について知りました。それをきっかけに、先輩や同期と集まって「どう生きていくべきか」や「悩んでいる人にできることとは何か」などをテーマに頻繁に語り合うようになったんです。話すだけでなく、困っている人のところへ行って、安い学食を奢って一緒に食べながら話を聞いたり、一緒に悩んだり、側で寄り添うようになりましたね。

人と関わる中で思ったのは、自分だけが幸福になってもそこで終わりだということ。「人の幸福を祈り、人の幸福のために行動できた時に、初めて自分に幸福が還ってくる」と感じ、利他の心が自分の生き方の軸だと考えるようになりました。

人のために何かをしたいという想いがあって、外食チェーンを展開する大手企業に入社しました。すると1年目で突然、店長に空きが出た長野県の店舗に新任店長として行くことになったんです。店舗のある地域では、7年に1度行われる伝統的なお祭りがあり、かなりのお客様が来店すると予想されていました。過去のデータはなく、どう対応すべきか正解が見えないので、試行錯誤の毎日が始まりました。

しかし、店長という責任の伴う役割を任され、意気込んで張り切りすぎた結果、中核スタッフがやめてしまいました。どうしようか悩みましたが、とにかく「人の3倍働こう」と思いました。結果を残そうというのではなく、やっぱり周りの環境をよくしていきたいと考えたからです。

昼に出勤して翌日の深夜まで、毎日店に立ち続けましたね。休まず働く僕の背中を見て、やめないでいてくれた周りのスタッフが助けてくれました。そのおかげで何とか乗り越えることができて、半年後には店を立て直すことができたんです。

その後、山梨県の河口湖でも店舗の立て直しをしたのち、東京都内の店舗に戻って勤務しました。しかし、飲食業界の店舗経営は拘束時間が長く、将来を考えた時にだんだんと働き方がしんどく感じました。次のキャリアが見えてこなくなり、新しいことを始めたい気持ちもあったので転職を決意しました。

現場スタッフの幸せを一番に


5年勤めた会社を退職し、地元の岡山にUターンしました。転職したいと父に相談したら、
叔父が経営するクリニックの事務職を紹介されたんです。大手製薬会社にも内定をいただいていたのですが、迷った末地元に帰ることに決めました。

クリニックでは当初、患者様への対応や送迎をしていました。そのうち叔父が認知症専門の医師だったこともあり、父と2人で認知症ケアのできるグループホームを立ち上げようという話になりました。

最初は、なかなか創業資金を確保できず苦労しましたが、支援してくださる銀行も見つかり株式会社桜梅桃里を設立しました。「『健康』で『長寿』、そして穏やかに暮らせる高品質な価値を創造し、国内及び世界中の多くの方々にご提供できるよう努める」ことを企業理念として掲げました。僕は副社長として就任し、前職の店舗マネジメントの経験を生かしてグループホームを運営していきました。初めの頃はお金もない、人もない、人脈もない「ないものづくし」でしたが、誰からも指図されることなく、自分で道を切り開いている感覚があったので逆に楽しかったです。

ここでも現場スタッフの幸せを一番に考えました。意見があれば積極的に聞き、会社側でできることがあればサポートしました。そうすると、大変な時でも周りのスタッフが支えてくれたんです。

介護事業が軌道に乗ってくると人材確保が難しくなったので、海外からの人材を求めて中国、フィリピン、タイなどアジア各国を視察しました。ただ、国同士の関係が悪化して取引するのが難しかったり、まだ介護の概念すらなかったりして、なかなか条件は合いませんでした。

次に訪れたのが、人口が増えていて経済成長も著しいベトナムでした。視察のため介護の現場を訪れると、1台のベッドに高齢者が2、3人も寝かされているずさんな状況に大きなショックを受けました。

介護人材を確保するのが最初の目的でしたが、このままではあまりにもベトナムのお年寄りがかわいそうだと思いました。ベトナムには介護の技法を知っている人がいない。ならば、自社のノウハウを伝えれば価値になるはず。現状を改善するため、ベトナムで介護事業所を設立しました。

アメリカで知った運命のジム


ベトナムで介護事業を進めていたある日、「一度、会いたい」というメールが届きました。アメリカで日本人向けに事業を営む日系企業からで、たまたま目に入ったので返信すると、電話がかかってきました。

話を聞くと、アメリカに住む日系人に向けて介護のセミナーをしてほしいという依頼でした。興味を持ったので、その会社の社長と日本で会ってみると意気投合。日本の介護をテーマにしたセミナーをするために、アメリカのロサンゼルスへ一人で行きました。

アメリカの老人ホームの利用料は日本の4倍と高額で、富裕層以外の人々は利用できない環境でした。そういった人たちに向けて日本の介護保険や、施設の利用料についてお話をしました。何百人ものお客様が来てくださって、みなさん釘付けになっていました。講演後には「アメリカで介護事業所を作ってくれ」という声を多くいただいて、介護事業の強いニーズを感じましたね。

アメリカ滞在中、知人にフィットネスジムへ連れて行ってもらいました。そのジムは24時間営業で、いつでも好きな時にトレーニングできるのです。地元にはそんなジムはなく、これはすごいと思いました。自社の目指す健康で長寿の暮らしをつくるために、このジムを展開できないかと思いついたんです。

会社を立ち上げてからずっと介護事業1本でやってきましたが、これからの時代、それだけでは絶対に厳しいと考えていた矢先の出会いでした。このフィットネスジムのフランチャイジーになると決め、帰国後に事業化に挑戦。初めは周りから「絶対成功するわけない」と、こてんぱんに言われましたが、オープンしてみると思った以上に大勢のお客様が利用してくださるようになりました。

健康な生活を世界に広げるために


現在は介護事業と24時間フィットネスジム事業をやっています。介護事業は幅広く展開しており、認知症高齢者のお世話をさせていただくグループホームや住宅型有料老人ホーム、訪問介護のヘルパーステーションを計10拠点構えています。ベトナム南部でも日系企業としては初めての老人ホームを設立し、2年を迎えます。フィットネスジムは関東から中国地方の範囲で13ヶ所展開しています。

事業をする上では、しっかり儲けを出す「収益性」、他社との違いを作る「差別化」、社会に必要とされる「社会性」が重要です。多くの人は事業を立ち上げる際、まず収益性を考えがちですが、僕は本当に大切なのは社会性だと捉えています。生き方の軸にしている利他の精神と同じで、他者のためになることをしていけば、必ず自分に還ってくる。社会性のある事業をしていれば収益も上がると考えているからです。

いろいろな事業を展開しているように見えますが、軸にあるのは利他の精神です。企業理念を実現することで、他者のために貢献したいと考えています。

今後も企業理念の実現を目指し、柱となる事業をたくさん増やしていきたいですね。さらなるグローバル展開も視野に入れています。国内やベトナムに新しい介護事業所の展開を検討しているほか、渡米して大好きになったアメリカ西海岸やハワイへも介護事業での進出を検討しています。

「健康で穏やかな生活」は、到達できそうでなかなかできないんですよね。だからこそ、「これだ」という決めつけをせずに常に理想を追い求め、前進していきたいです。

その上で重要なのが、お客様だけでなく社員の幸せですね。目の前の社員の幸せを実現できて初めて、万人を幸せにできるようになるはずです。金銭的な面、時間的な面を含め、真のライフワークバランスが今以上に整った会社にしていきたいと考えています。


※この記事は、トマト銀行の提供でお送りしました。

2019.10.14

ライティング | 小笠拡子インタビュー・編集 | 粟村千愛
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