関わるすべての人に良い影響を!鍼灸師として私が伝えたいこと。

八王子市で、技術や知識だけでなく「人を大切にしたい」という思いで鍼灸院を運営している川鍋さん。元々トレーナーを目指して勉強をしていた専門時代から、25歳という若さで鍼灸院を始めようと思った背景について、お話を伺いました。

川鍋 正裕

かわなべ まさひろ|鍼灸師
八王子市で「なべ鍼灸院」という治療院を運営している。 なべ鍼灸院Facebookページ
なべ鍼灸院blog

サッカーに本気でした。


私は兄の影響もあり、気づいたときには自然とサッカーをやっていました。

とにかくサッカーが大好きで、いつもボールを蹴っていましたね。
夢はサッカー選手になることで、キングカズに憧れていたこともあり、

「カズのようにブラジルへ行く!」

なんて言っていることもありましたね。(笑)

中学生になって初めてレギュラー争いというものを経験し、
最初はあまり試合に出られないこともありました。

それでも、本気でサッカー選手になりたかったので、腐らずに練習を続け、
最終的にレギュラーを獲得できたんです。

その成功体験から「高校ではもっとレベルの高いチームでサッカーがしたい」と思うようになり、
試合見学に行って惹かれた都内の私立高校に推薦で入学し、
全国大会に出場することを目指すことに決めました。

入学した高校はサッカーの強豪校のため、練習も半端じゃなく厳しくて、先輩もとても上手でしたね。
最初の一年はBチームでしごかれるつもりで入ったのですが、
なんと1年生の夏でAチームに呼ばれることができたんです。

その時はすごく嬉しかったですね。

ただ、その後はAチームとBチームを行ったり来たりで、結局最後までレギュラーにはなれませんでした。

そんな経験をしてくうちに現実が見えてきて、サッカー選手という夢ではなく

「サッカーやスポーツに関わる仕事に就きたい」

と思うようになっていきました。
他の選択肢もあったのかもしれませんが、せっかくここまでサッカーに本気で取り組んできたので、
その分野から離れてしまうのはもったいないと感じたんです。

トレーナーを目指して専門学校へ


色々と進路を考えた中で高校の部活でお世話になった「フィジカルトレーナー」という仕事に興味を持ち、
とある専門学校のトレーナーコースに進むことにしました。

正直、高校までは勉強は好きではなくてあまり成績もよくありませんでした。
でも専門学校に入って、自分の興味のある分野の勉強だけをすることができる環境がドハマりしたんですよ。

高校まで特に理由も考えずにやっていた体操やトレーニングがなぜ必要なのか、
その理由を知ることができるのはとても面白かったですね。

また、入学当初はただ高校の時に知った「フィジカルトレーナー」という仕事に漠然と興味を持っていましたが、
勉強を重ねていくうちに、「トレーナー」といっても様々な種類があることを知りました。

色々知るうちに、怪我をしないための身体作りの指導をしたり、
怪我をしてしまった時のケアをするアスレティックトレーナーになりたいと思うようになっていきました。

そして、トレーナーという仕事は経験がものをいう職業だということも色々な方に教えてもらっていたので、
その経験を積むために、1年生の終わりごろに学校で募集していた「学外研修」に参加することにしたんです。

八王子にある整骨院でインターンという形でお世話になることになったのですが、
そこの院長は高校サッカー部のトレーナーとしても活動されていました。
そのため、平日は治療院、土日は高校のサッカー部のトレーナーの仕事も経験することができたんです。

研修場所によってはは雑用係(それもトレーナーの重要な仕事の1つですが・・・)、
自分が行った研修先では本当に様々な仕事を経験させていただけてとても充実した研修でした。

研修と学校の勉強、それにバイトという生活を送っていたので、遊んだ記憶がないくらい忙しい生活でした。
でも、とにかく楽しかったのでしんどいとは思いませんでしたね。

最初、専門に入学したころは、2年間勉強すればすぐにJリーグチームのトレーナーとして活躍できると思っていました。
でも、研修で色々学んでいくうちに「人脈」と「知識」が圧倒的に自分には足りないことに気づいたんですよね。

また、専門でお世話になっている先生たちはトレーナーとしても活躍している人が多かったのですが、
その中に鍼灸の資格を持った人が多いことを知ったんです。

そこで、さらにもっと深い知識をつけるために、トレーナーコースで2年勉強した後に、鍼灸科に進むことにしました。

「人を大切にするということ」


実際に鍼灸科で色々な勉強をしてみると、かなり深くまで身体のことを勉強することができたんですよね。

その間も学外研修は続けていて、以前の山梨の研修先に変わり、
自分の母校の高校でトレーナーとして活動させてもらっていました。
また、鍼灸科の3年生の時には国体のトレーナーもやらせてもらうことができました。

そんな中で卒業後のことを考え出したころに、学校の先生に

「昔、サッカー日本代表のトレーナーをしていた人がやっている治療院がある」

ということを教えてもらったんです。

将来プロチームのトレーナーとして活躍するためには「人脈」が大切だということを知っていたので、
チャンスだと思い、卒業後はその治療院に就職することにしました。

でも、僕は半年でその治療院をやめてしまったんです。

就職して色々なことを経験していく中で、この仕事で一番大切なことは

「人を大切にするということ」

だということに気づいたんです。

技術や知識も当然大切ですが、
スタッフや院長、患者さんと良い関係を築きながら仕事をすることが一番大切だ、
ということを仕事を通じて肌で感じることができました。

でも、必ずしも全ての治療院が人を大切にできているわけではないんです。

半年その治療院で働いて、色々な場面で「人を大切にしていないな」ということを感じました。

高校まで厳しい環境でサッカーをやってきていたので、自分自身は多少の理不尽には耐えられる自信がありました。
でも、人と人との関係を無視するようなことは耐えられなかったんですよ。

最終的には我慢ができなくなって、このままここにいてもしょうがないと思ったんです。

その後は違う治療院に再就職することも考えたのですが、
また同じような形でやめてしまうかもしれない、と不安になっていきました。

もしもう一度「人を大切にしていない」場所に行ってしまったら、
好きで始めた仕事そのものが嫌になりそうだったんです。

本当に色々思い悩んだのですが、

「もう一度どこかの治療院に就職してやめてしまうくらいなら思い切って自分で治療院を開こう」

と思うようになりました。

正直、この25歳という若さで自分一人でやっていくことに対する不安は沢山ありましたが

「人を大切にするということ」

に年齢は関係ないと思ったんです。最終的には勢いでしたね。

自分の体に目を向けてほしい


治療院を辞めた後は友達や身内から人を紹介してもらい、出張専門で色々な方の治療をしながら1年ほど準備をして、
地元の八王子に「なべ鍼灸院」という治療院を開きました。

現在は、その治療院で色々な方の治療やトレーニングなど、身体の悩みを全てサポートしています。

また、その他にも高校のサッカー部などでトレーナー活動や、デイサービスなどで高齢者の方に体操の指導をしたり、
小学校などで怪我をしないための知識を教えたりしています。

自分自身、仕事を通じて「人」という部分で嫌な思いを沢山してきました。
だからこそ、とにかく人の役に立ちたいですし、人の信頼を勝ち取らなければならないと思っています。

治療院を開いたときには、そういった「人」に対する思いを色紙に書いて今でも飾っています。
将来的には、自分に関わる全ての人にいい影響を与えられるようになりたいです。

また、専門時代から身体のことについて勉強してきて、特に日本では

「怪我をしないために、自分で自分の身体をケアする」

という考え方が浸透していないということを感じています。
なので、そういった考え方や知識についても積極的に発信していき、
自分の身体に目を向けられる人を増やしていきたいですね。

2014.06.26

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?