勉強や学校行事など、何をやっても優秀な成績でしたが、どんなに努力しても平均にすら届かなかったのがスポーツでした。スポーツに対するコンプレックスを克服するため、中学では陸上部に入りました。陸上部ならチームスポーツと違って、100%自分の考えで戦術を立てて勝負ができる分、考えたことが正しくワークしたかどうかわかりやすいと思ったのです。

入部してしばらくは基礎運動ばかりでしたが、先輩の代わりに出場した長距離競技の大会で好成績を残し、長距離専門選手に。そこから努力を重ね、3年生のときには北海道で個人9位になりました。駅伝では全国大会に出場確実と言われていたのですが、メンバー全員が不調でうまく走れず、全国大会出場を逃してしまいました。

その悔しさから、高校でもインターハイを目指して陸上を続けることにしました。どうすれば自分の記録を伸ばすことができるかばかりを考え、毎日3年間必死でトレーニングに打ち込みました。

そうやって迎えた、インターハイの北海道予選大会。予選で3着までに入れば決勝へ進める条件の中、「よし予選通過!」と3着でゴールラインを越えようとした瞬間、後ろからラストスパートしてきた選手からピュッと抜かれました。「あっ」と思ったときには、相手選手の方が先にゴールしていました。

その瞬間、私の予選落ちが確定し、放心状態で地面から起き上がれなくなりました。それでも邪魔になるから退かなければと立ち上がると、自分の足が軽いことに気付きました。その瞬間、涙がブワっと流れてきました。自分の油断で力を使い果たせず、不完全燃焼に終わったのが悔やんでも悔やみきれませんでした。

卒業後は大好きな映画の世界に進むつもりでした。しかし、このまま陸上をやめたら、この後悔を一生背負うと思い、払拭するためにはどうすれば良いのか考えました。その結果、テレビでなじみのあった箱根駅伝に出場すれば、この後悔を解消できると思いつきました。そこで、箱根駅伝に出場するためだけに、出場経験のある関東の国立大学に進学をすることにしました。

しかし、入学してみると優秀な選手がいませんでした。箱根駅伝は大学の宣伝にもなるため、私立大学が選手集めに力を入れ、国立に良い選手が残らないのです。

そこで、優秀な選手を獲得するため、目をつけた生徒のいる高校に「○○君、是非一緒に箱根駅伝を目指しましょう」と手紙を送りました。また、他の学校より練習しなければと思い、部員にアルバイトをやめさせ、生活費はOBから寄付を募って集めたりして工面しました。

そんな努力の甲斐あって、4年生のとき、部全体で強くなっていたものの、あと一歩箱根駅伝出場には及びませんでした。どうすべきか考えた結果、大学院へ進学するなどして卒業を伸ばせば、もう一年練習を積んだ状態で勝負ができると思いつきました。そこで、同期の主力を一人一人説得することに。熱意を持って話をしたことで、多くのメンバーに共感してもらうことができ、ベストメンバーでの予選会参加を次の年に回すことができました。

迎えた大学院1年目の秋。本戦への出場資格を獲得できると信じて予選会に臨みました。しかしレース中、練習中に起こした肉離れが再発し、納得いく走りができませんでした。結果は予選敗退。現実を受け入れられませんでした。

ゴールした瞬間から泣きっぱなしの僕に対し、北海道から応援に来てくれた母が「才能のある子に産んであげられなくてごめんね」と声をかけてくれました。その言葉に対し「そうだな」と思ってしまう自分がいました。僕はできる限りの努力をした。こんなにやったのに報われないのは自分のせいではない。

できなかった要因を才能や誰かのせいにした途端、現実と真正面から向き合うことができなくなりました。そして、気分が落ち込み、鬱になってしまったんです。精神的に壊れてしまい、研究室に行っても突然抗えない眠気に襲われたり、急に涙がでてきたりしました。鬱は半年間続きました。