未知の世界への好奇心が原動力。人に感動を与え、愛され続ける場づくりを。

THE CORE KITCHEN/SPACEのコミュニティマネージャーとして、地域活性化に向けてイベントを企画・運営している中川さん。子どもの頃から好きだったダンスをきっかけに「場づくり」に魅了されて、様々な場の演出や立ち上げに携わってきました。さまざまな場を生み出し続ける、中川さんの想いとは。お話を伺いました。

中川 知子

なかがわ ともこ|THE CORE KITCHEN/SPACE コミュニティマネージャー
新橋と虎ノ門を繋ぐ新虎通りの「新虎通りCORE」内のカフェ兼イベントスペース「THE CORE KITCHEN/SPACE」で新虎エリアの活性化のためのイベントの企画・運営を担当している。

未知の世界を感じてみたい


大阪府池田市で、3人兄妹の真ん中として生まれました。活発な性格で、兄妹の中でも先陣を切って新しいことに取り組んでいました。

小さい頃からバレエを習っていて、パフォーマンスして人を喜ばせるのが好きでした。学校でも自分でチケットを配って、棚を舞台に見立てて踊っていたほどでした。

好奇心旺盛な小学生のころは、雑誌を読むことにもはまりました。本屋さんに足繁く通って、何冊も立ち読みしていましたね。自分の知らない文化や価値観に出会えるのがとにかく楽しかったです。しかし、徐々に雑誌を通じて情報を得るだけでは満足できなくなりました。そこで多様な価値観に直接触れられる場を求めて、インターナショナルスクールへの進学を考え始めました。

もちろん、地元の公立中学に進学する友人たちと離れてしまうのは寂しいです。しかしそれ以上に、新しいものに出会って自分がどうなるか知りたいという好奇心が止められなくて。結局、帰国子女以外の枠が少なく、インターナショナルスクールへの入学は断念しましたが、これまでと大きく違う環境に飛び込んでみたくて、家から離れた中高一貫校を受験することに。バレエもやめて塾に通い、志望した学校に進学できました。

入学後、部活選びの中でテニス部が全国大会に出場するほど強いことを知りました。早速見学に行くと、先輩たちの熱量と一体感に圧倒されて。正直、初心者の自分が全国大会に出場する姿は全くイメージできませんでした。でも、だからこそ面白そうだと思ったんです。練習を頑張れば先輩たちのように強くなれるのか。初心者でも本当に全国大会に出場できるのか。想像がつかない分トライしがいがあると思い、入部を決めました。

入部後はテニスに没頭しました。中学3年では念願の全国大会に出場し、団体戦ではベスト8に。高校1年のときに怪我をしてしまい、試合に出られる機会は減りましたが、引退まで続けました。

部活を引退してからは、バレエをやっていたころからずっと好きだった踊りへの憧れが強くなって、ヒップホップなどまた違ったジャンルのダンスをやりたいという想いが強くなりました。進学には興味がなかったのですが、ダンスは大学生になってもできるということを知り、両親に大学進学を勧められていたこともあって急遽夏期講習から猛勉強。なんとか大学に入学しました。

ダンスを通じて場づくりの道へ


大学は日夜ダンスに没頭していました。踊ること自体ももちろんですが、大きな公演に向けて演目や舞台演出をみんなで考えて作り上げるのが楽しかったです。

私は舞台美術のチームにいたので、のこぎりなども使いながら大道具を制作していました。どう演出すればダンサーが魅力的に見えるのか、どんな背景だったら衣装が映えるのか、総合的に舞台演出を考えるのが楽しかったです。将来もこの経験を活かして、場づくりに関わる仕事に就きたいと考えるようになりました。

特に、ホスピタリティの側面からアプローチして、人をおもてなしするような場づくりをしたいと考えていました。きっかけはある本で目にした、ホテルコンシェルジュの女性に関する記事です。身近に働く女性が少なかったこともあり、その女性の働く姿がかっこいいと感じて。漠然と、ホスピタリティ業界で働く女性に憧れを抱くようになりました。

そんなとき、先に就職活動を経験していた彼氏からホテルやレストランの企画やコンサルティングを行う会社の魅力をたくさん語られたんです。デートでその会社が運営するホテルやレストランを訪れるうちに、気付いたらファンになっていましたね。この会社のホテルコンシェルジュになって、お客さまを幸せにするために仕事ができたら最高だと思いました。

幸いにも想いが叶い、入社できました。しかし希望していたホテルではなく、京都にあるゲストハウスのウェディングセクションに配属されました。

結婚式に一切興味がなかったので、始めは自分には向いていないと思っていました。しかし、業務に取り組む中で、ウェディングはダンスと同じだと気づき始めました。お客さまと密にコミュニケーションを取りながら、自分たちもゲストも楽しめる場を一緒に作りあげていく。これはダンスの舞台演出を考えるのと同じだと。ただでさえ重要な役割であるうえ、作り上げる舞台はお客さまにとって人生の中でとても大切な場なのです。やりがいを感じ、どんどんのめり込んでいきました。

入社して4年目に、震災で一度閉館してしまった、神戸のオリエンタルホテルの開業準備室にウェディングプランナーとして異動することになりました。

これまでとは大きく違いました。そもそも結婚式を開催する式場がまだありません。実在しない状態の式場を、お客様にとって大切な人生の晴れ舞台として選んでもらわなければならないのです。とても難しいことだと思いました。実際の式場が見られない分、普段よりも言葉を尽くして式場の様子や可能な演出を伝えなければならない。そう思って、式場や挙式のイメージを魅力的に語ることを心掛けていました。

しかし、式場の内覧が可能になり、とあるお客さまをお連れしたとき、「想像したのと違った」と言われてしまったんです。私が伝えた言葉で膨らませていたお客様のイメージと、実際のサイズ感が違ってしまい、お客様に悲しい思いをさせてしまいました。辛かったですね。形がない状態でウェディングの説明をする難しさを痛感しましたし、実体と言葉が乖離してはいけないということを学びました。

さまざまな開業準備に奔走した結果、ホテルは無事に開業。ウェディング事業も軌道に乗せることができました。
そのタイミングで、兼ねてから希望を出していた、会社が経営するニューヨークのレストランへ行けるチャンスをもらいました。
様々な価値観にあふれているニューヨークに飛び込んだら何が起こるのか、ワクワクしていました。

ニューヨークでは、語学学校に通いながらレストランで働く生活を送りました。その中で、日常会話ができるまで英語力があがったり、外国人の友達が増えたりしたことに満足感はありました。しかし、この経験をどう次のキャリアにつなげていけばいいか、見いだすことが出来ず悶々とした毎日を過ごしました。アーティストやカメラマンなど才能溢れる方が周りにたくさんいる中で、自分は何者なのかわからない。どうやって次のステップに進んだらいいのかイメージが持てず、半年で帰国しました。

ゼロからつくり上げる


帰国後はウェディングコンサルタントとしてホテル西洋銀座に配属されました。憧れの女性コンシェルジュがかつて勤めていたホテルで、同じ場所で働けるチャンスをもらえたことが光栄でした。周りは一流のサービスマンばかり。ドアマンは一度ウェディングの打ち合わせに来ただけのお客さんの顔と名前を覚えていましたし、シェフも良い料理を提供するためにコワモテですが、妥協しない人ばかりでした。

プロフェッショナルな人たちのこだわりを聞かせてもらいつつ、私自身も新郎新婦の叶えたいウェディングを作るために、お客様が納得できる形になるまで尽力しました。充実感をもって働いていたのですが、残念ながらしばらく勤務したころ閉館が決まってしまいました。

ホテルが閉館するときは、他のホテルからのスカウトが活発になります。私も、あるラグジュアリーホテルのウェディング部門からスカウトされました。私はホテルのコンサルタントとして携わっていただけで、会社をやめる気はなくお断りすることに。

しかし、日が経ってまたお誘いの声をいただき、詳しく話を聞いてみると、そのホテルブランドは日本初出店とのこと。全く新しいホテルのウェディング部門立ち上げのためのディレクター職へのお誘いだとわかって、「未知すぎて面白そう」と好奇心でいっぱいになりました。

これまで、日本のラグジュアリーホテルがやっているウェディングは型が決まっているイメージで、あまり魅力を感じていませんでした。しかし、一流のスタッフがいるホテルこそ、もっと柔軟なプランを提供できれば、よりお客様の満足度の高いウェディングを提供できるのではないかと思いました。「東京でまだ誰も見たことのない、ラグジュアリーホテルのウェディングに挑戦しよう」と決め、転職することにしました。

転職後はゼロからウェディングチームを作り上げていきました。競合を視察したり、自社の強みが何か考えるマーケティングから、式で用いるドレスや花の提携先の選定まで行い、想像力を働かせながらウェディングに足りないものを全て揃えていきました。

販売を始めて1年半後に、トライアルウェディングを開催することになりました。お客様と一緒に、「このホテルブランドらしいウェディング」を作り上げていきました。

迎えた当日。ゼロから作り上げたウェディングがお客様からどう評価されるのか、ドキドキしながら臨みました。そこで見たのは、出席したお客様の輝いた表情でした。そして、「こういうことがやりたかったんだ、最高じゃん」という声もいただいたんです。それを聞いて、「間違っていなかったんだ」とほっとしましたね。ちゃんと準備できてよかった、やりきった、と感じました。

未知のジャンルの場づくりへの挑戦


ゼロからの場づくりに携わって、改めて場をつくる仕事にやりがいを感じました。自分が企画した場にたくさん人が来て、インスパイアを受けていく。面白い仕事だと思って、これからも場づくりの仕事がしたいと思いました。

ただ、ウェディングに携わるのはこれで最後にするつもりでした。良いウェディングを作るにはトレンドをつかむ感覚が必要だと思っていたため、この業界に携わるのは自分自身が花嫁世代の少し上の年齢になるまでと決めていたんです。今後はウェディング以外のジャンルに挑戦したいと考えていました。

そんなとき、外務省から日本のコンテンツを集めた海外拠点を作るプロジェクトの立ち上げメンバーに入ってほしいと声をかけられました。誰かが届けたいと思っているものがきちんと届くように、どのような場を作るか考える。その点では自分のやりたいことができると思いました。

関わったことのない領域で不安もありましたが、未知の世界を見てみたいという気持ちが抑えられなくて。その誘いを受け、日本のコンテンツを一から勉強しながらロサンゼルスの拠点の開業まで携わりました。

開業して少し経ったときに、東京の新虎エリアの活性化の拠点となるカフェ兼イベントスペース「THE CORE KITCHEN/SPACE」の立ち上げに声をかけてもらいました。

新虎エリアは、ゼロから場作りをしたラグジュアリーホテルがある場所です。ラグジュアリーホテルの建設を開始した当初は、大きな特徴がない無色透明なエリアでした。オープンするときには「パリのシャンゼリゼ通りのような美しい通りになる」とみんな話していたのですが、実際にオープンしてもシャンゼリゼ通りには全く及ばなくて。

確かに、ホテルを起点に少しずつ変わっていましたが、それでもまだ時間がかかりそうな様子でした。そんなエリアで、今度は自分が仕掛ける側になって新虎エリアの活性化に貢献できるのが面白そうだと思ったんです。

さらに、これまでは何を提供するか決まっている場の企画に携わっていましたが、今回は提供するものから自分で決められる決定権の大きさにも惹かれました。正解のない場づくりの現場に私を誘ってくれるのは、できると期待してくれているから。そう捉えて、プロジェクトへの参加を決めました。

新虎エリアを人に愛される場にしたい


今は、新虎エリアにあるTHE CORE KITCHEN/SPACEのゼネラルマネージャーとして、イベントの企画・運営を担当しています。

THE CORE KITCHEN/SPACEは2018年10月にオープンしたばかりのスペースで、企業とコラボレーションするイベントに加え、オリジナルのイベントも開催しています。

ライブペインティングで制作してもらった壁画の完成披露パーティーを開催したり、佐渡島の寒ブリの魅力を伝えるために解体ショーやおしゃれな料理を振る舞うイベントを開催したりと、様々な企画を展開しています。

オフィス街でサラリーマンが多い新虎エリアは、まだイメージがついていない分、無限の可能性を秘めています。いろいろな面白いものを持ってくることで、ぷらっと遊びに行きたいと思ってもらえるエリアにしたいです。特にアートやイノベーションというイメージを根付かせ、遊びに来ると毎回新しい発見がある場にしたいですね。

一からの場づくりは、正解がない中で全てを決めなければいけません。その分、苦しいことも多く、今も何をすべきか手探りの状態です。ただ、育てる過程は大変でも、たくさんの人が来て感動を持って帰れる場を企画するのが大好きなんです。これからも、たくさんの人に愛され続ける場を育てていきたいです。

今は、THE CORE KITCHEN/SPACEを盛り上げることが自分のミッションなので、面白いイベントを開催できるよういろいろな人に出会い、たくさん話したいです。将来的には、さまざまな人の表現や活躍のきっかけを提供できる場にしていきたいですね。

2019.02.25

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