子宮頸がんを経験して掴んだ人生のミッション。女性が健康で幸せに生きる未来をつくるために。

一般社団法人の代表として、婦人科系疾患についての啓発、健康教育、さらには女性の人生を考えるイベントの開催等を行う難波さん。元々は銀行員として働いていたにも関わらず、女性のための活動を行うようになった背景とは。お話を伺いました。

難波 美智代

なんば みちよ|一般社団法人シンクパール 代表理事
一般社団法人シンクパール代表理事。自身が子宮頸がんを患った経験から、女性の健康や病気のリスクなどの教育啓発活動を行う。

趣味は人間観察


神奈川県横須賀市で生まれました。銀行員だった父は、幼い時から私のことを一人前の人間として接してくれていて、夕食の時間にはよくお金の仕組みや経済の話をしてくれました。そんな父を尊敬していました。

他の人に対してもどんな面白いことを知っているんだろうとか、どういうことを考えているんだろうなど興味を持つようになり、いろんな人に対して関心を持っていました。そんな思いもあり小学校の時から社交的で、中学でもおそらく友達は多い方でした。

人への興味はどんどん増していき、高校生の時、趣味が人間観察になりました。毎朝学校に行く前にドーナツ屋さんでアルバイトをしている時も、働く中で接するお客さんを観察したり、お店の中から道行く人を眺めつつ、「この人はこんな仕事してるんだろうな」など、勝手に人の人生を考えるのが好きでしたね。

人に寄り添うってなんだろう


高校3年生になり、卒業後の進路を考え始めた時期は、バブルが弾ける直前でした。進学校だったので大学へ進学しようか考えましたが、大学に進んだ姉をはじめ、その頃の女子大生は華やかに遊んでいるだけの印象しかなくて、魅力的に見えませんでした。それよりも就職して社会勉強した方が面白いだろうなと思ったし、厳しい家庭で自由がなかったので早く自分でお金を稼いで好きなことをしてみたいという気持ちもあり、学年でたった一人進学ではなく就職の道を選びました。就職先に選んだのは父が銀行員だったこともあり、地元の銀行にしました。

入行後は人事部に配属されました。そこで、現場で働く行員の大変な状況を目の当たりにしました。バブルが弾けて社会全体がどん底を這うような時期で、行員にとっては非常にシビアな環境。必死に働くうちに無理がたたって倒れてしまう人や精神的なストレスから病気になってしまう人、そして命を失ってしまう人など、たくさんの人が苦しんでいる状況を目の当たりにしました。「自分や家族のために一生懸命働いているのに、そのせいで病気になったり命を落とすのはおかしい」と感じました。

でも人事部にいる私が知ることができるのは、すでに病気になったり体調を崩してしまった人のことだけ。みんな、会社での立場が危うくなることを恐れてか病気について隠したがるので、病気になってしまうプロセスが見えてこなかったんです。それがとても理不尽に見えて。社員に寄り添うってどういうことなのか、最悪の事態を防ぐためにはどんなアプローチがあるのかと考えるようになりました。

人と人をつなぐ場を作る楽しさ


経済や社会の仕組みを身をもって学ぶうちに、もっと広い世界が見てみたいと思うようになりました。また同僚たちのように、毎日朝から夕方5時まで同じ時間に同じ場所で働いてそれなりのお給料もらいそれなりに余暇を楽しむ、そういう働き方って、私に合わないなと感じるようにもなり、入行から6年後に銀行を退職。

退職後は人事や採用、秘書の業務を受託しながらフリーランスとして生活していたのですが、親にとっては定職も無くプラプラしているだけに見えたようで。ある日、母が勝手に地元のミス横須賀を決めるコンテストに応募していました。地元横須賀が大好きだったこともあってとりあえず出場してみた結果、ミス横須賀に選んでいただいて。その後は地域のアンバサダーとして活動しました。

同時期に、メディアの勉強会に参加するようになりました。よく参加していたのは、経営者や発信力のある方の講演。色んな方の人生や考え方を聞くこと自体は好きでしたが、大勢に向かって一人が一方的に話をするという状況がなんだか面白くないなと感じていました。もっと相互交流できる形の方が面白いんじゃないかと思ったのです。そこで人事をやっていた頃の人脈を生かして実際に自分でイベントを開いてみたんです。

周りの友達を集めて開催したイベントは、専門性の高いスペシャリストや経営者の話が聞け、さらにネットワークも築ける場にしました。それがとても好評で、そのうち定期的に開催するように。人と人をつなげていく活動に楽しみを感じましたね。ミス横須賀のように作られたステージに立つことよりも、ステージの作り手になる方が好きな自分に気づきました。

次第に、人と人をつなぐ場を作るための会社を興そうと考えるようになりました。その頃、女性起業家がちょっとしたブームになっていて、起業した友達が周りにたくさんいたのでハードルを感じることはありませんでしたね。

29歳の時、米国でMBAを取得していた男性と一緒に会社を立ち上げました。彼はIPOを目指すベンチャー企業のコンサル業務を、私は女性向けのイベント企画やそのキャスティング事業を担当。それまでにやっていた女性向けのイベントについても、会社内のプロジェクトとして運営することにしました。

31歳には結婚。33歳の時に息子を出産しました。38歳で離婚することにはなるのですが、出産という経験を通して自分の中に、これまで持てていなかった遠い未来について考える思考が生まれ、先のことを想像するようになりました。息子が生きていく社会はどんな社会だろうかとか、彼らにはどんな未来が待っているのかとか、30年、50年先のことを考えられるようになりましたね。

突然の子宮頸がん宣告


2009年、35歳のときに、たまたま婦人科を受診していた際に「ついでに子宮頸がんの検診を受けませんか?」と聞かれ、軽い気持ちで検診を受けることに。ちょうどその年から年齢によってがん検診が無料化されたことや、子宮頸がんの予防ワクチンが国内で初めて認可されたこともあって、検診や子宮頸がんという言葉をよく耳にしており、関心がありました。

検診後、少し異常があると言われ再検査を受けることに。そして再検査の結果、がんである可能性が高いと診断されました。その後、大学病院で改めて精密検査を受け、医者から子宮頸がんであることを宣告されました。

それを聞いた時は、悲しいとか泣きたいとかそんな気持ちは湧いてきませんでしたね。あまりに状況が分からなすぎて、頭も気持ちもごちゃごちゃで整理ができなかったんです。がんについては「がんになったら死ぬ」程度の理解だったし、自分が子宮頸がんと言われても「え、どういうこと?」と混乱するばかりで。自分の中で整理ができていなかったので人に相談することもできず、自分が納得するまで、家族にも黙っていました。

唯一話すことができたのは、一緒に仕事をしていた産婦人科医の友人でした。彼女に「こういう風に言われたんだけど、私って今どういう状態でこれからどうなるの?」と、とにかく自分の理解ができた範囲で伝えたんです。すると彼女は専門的な立場から、私の状況と、命に別状はないことなどを教えてくれました。その時、初めて、「大丈夫なんだ」と気持ちの整理ができたんです。何が不安なのかがわかったこと、信頼できる人から確かな情報を得られたことで、自分の状況や病気のことを冷静に把握できるようになりました。やっと混乱の渦から抜け出せた気持ちでした。

「伝える」が持つ影響力に気づく


様々な情報をメディアで発信することも仕事の一部だったので、自分のがんについてブログで公表してみたんです。すると読者の方から「私も同じ病気です」とか「私も今すぐ検診に行きます!」とか、リアルな声がたくさん集まったんです。たった一人が発信するだけで多くの意見が集まり、検診に行こうと思う人も現れるんだと、伝えることの影響力の大きさを感じました。

当事者としての辛いとか、苦しいといった感情の発信も時として必要ですが、その情報はタイミングによっては当事者の気持ちをネガティブにしてしまう可能性もあります。そうではなく現状を把握し、何をすべきなのかがわかる情報を伝えることで前向きになれる人を増やせると思いました。また、子宮頸がんは唯一予防ができるがんなので、やらない理由はないと感じました。そこで、誰に聞いて、どこに行けば正しい情報は得られるのかといった具体的な方法を伝えるための組織があった方が良いと考え、そんな組織はないのか、誰か作ってくれないのかと周囲に相談し始めました。

当時の子宮頸がん検診率は29.5%と低く、厚労省は検診率50%を目標として掲げていました。検診率50%といえば、1人が3人に伝え、その3人がまた他の3人に伝える、それを十数回繰り返すと達成できる数字なんです。それなら、私がそれまで積み重ねてきた人と人をつなぐ活動を活かせばできそうだなと思いました。そこで手術を終える直前の36歳の時に、子宮頸がんについての啓発活動を行うNPO法人子宮頸がん啓発協会を立ち上げたのです。

人生って楽しい、と思える人を増やす


現在は、一般社団法人シンクパールの代表として、子宮頸がんの啓発活動や健康とキャリアの教育などを行っています。女性の体の変化に伴う病気のリスクについて知ることに加え、早期発見のために検診を受けることは、よりよい人生を送るためのリスクヘッジになるのだと伝えています。

特にまだまだ無理が効く若者たちにとっては未来の健康の話をしてもピンとこないのだと思います。自分も昔はそうでした。しかし、今や2人に1人はがんになる時代で、特に子宮頸がんになるのは20〜30代が多く、意外と若者でも病気になる可能性は高い、しかも働き盛りの女性の婦人科系の疾患は年々増えている現状です。そんな、身近にある色んなリスクを伝えるため、大学で講義を行なったりしています。

がんや健康について知ってもらい、かつお互いに話ができる、学び合えるという場をいかに広く継続的に作っていくかということが目標ですね。

また、最近になってシンクパールの教育啓発の活動だけでは、解決できないことも多いなと実感しているので、問題毎の関係者やそれを解決してくれる人たちと連携をとり、たとえば政策提言の分野にも活動の範囲を広げています。4年前からは、厚生労働省のがん対策に患者の立場で関わっています。教育に関しては、2017年から始まった全国の小中高校でのがん教育を前に、がん教育推進議員連盟のサポートや行政の協議会に参画したりもしています。将来の病気のリスクから体や人生の選択肢を守り、幸せを感じられる心と体を作ることを目的に、健康的に生きることのできる社会を目指して活動しています。

現在は自身の経験から伝えられることがあると思い、女性の健康について発信する活動に力を入れていますが、やっていることの基本的な軸は今も昔も変わらないと思っています。それは、よりよい社会の実現に向けて、人を繋げ、価値のある情報を伝えるということ。

実は、毎日やりたいことがすごくたくさんあるんです。でも自分でできる範囲には限りがある。だから、役割をわけあえる仲間を増やしていきたいんですよね。そのために、同じ想いを持った人、そして行政や政治など未来の社会を作ることに携わる人たちに必要な情報を伝え、かつ彼らにも元気でハッピーになってもらえるような場も作っています。これからの時代を作る世代や、もっと多くの人にいきいきと笑いある人生を送ってもらうことが私の目標です。


2019.02.06

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