福岡県北九州市の門司で生まれました。常にボーッとしている子どもで、周囲と足並みを揃えて同じことをすることが苦手でした。小学校では、他の子と同じように教科書を見たりノートをとったりしながら授業を聞くことができず、パラパラ漫画を書いたり友達に手紙を書いたりしていましたね。学校の先生とも親とも相性が悪かったです。不注意型のADHD(注意欠陥・多動性障害)だったのですが、まだそんな概念がなかったため、ただただ「女のくせにだらしないがさつな子」だと思われていました。

唯一、自分のペースでできる読書が好きでした。裕福ではなかったので、子どものための本などはなかなか買い与えられませんでしたが、本が好きだった母が持っていた大人が読むような本を、手当たり次第に片っ端から読んでいました。吉川英治の『三国志』やドストエフスキーの『罪と罰』も、小学生の時から読んでいました。

中学校ではたまたま先生に誘われたことから陸上部に入り、高校ではなんとなくの流れで吹奏楽部に入りました。吹奏楽部は、楽器が重たくてやめたいと思っていたときに、たまたま友人からバンドに誘われたため、途中で退部しました。

高校卒業後の進路を考えたとき、自分はOLには向いていないと思いました。人の話をちゃんと聞けないし、気も利かない。段取りも苦手で、いつも次の授業の科目を覚えられず、友達に授業の場所を教えてもらい、準備してもらっていました。だからオフィスで働いている自分の姿はイメージはできませんでした。

そこで、子どもが好きだったことから保育士になろうと、短大の保育科に入学しました。保育園や幼稚園の実習をしてみて、子どもたちと遊んでいる時間は楽しかったですが、自分は保育士には向いていないと思いました。同時に複数のことをすることがが苦手なので、一人の子どもを抱っこしている時に別の子が遠くで泣いていたら、抱いている子を放り出し、別の子の元に駆け付けてしまうことがあったんです。私には人の命を預かる仕事はできないと思いました。