埼玉県所沢市で生まれ育ちました。父が外資系石油会社の日本法人で社長をやっていたので、小さい頃はよく会社に連れていってもらいました。外国人に囲まれながら英語で仕事をする父の姿を見て、「仕事は日本人の間だけでやるものではない。違う言語を話す人たちとやるものだ」と、漠然と思っていました。

ある日、父から会社での出来事を聞きました。その日は出勤時間帯の電車が止まってしまい、60分かけて歩いて出勤した社員がいたそうです。そのとき、会社はハプニングがあっても出社したことを褒めるのではなく、「非効率なことをするな。だったら家で仕事しろ」と怒ったそうです。それを聞いて、日本で褒められることが、世界で褒められるわけではない。日本の当たり前は世界の当たり前ではないということを学びました。

家ではそうした海外のことに興味を持つ一方、学校などで友達と一緒にいる時は、目立つことが好きで常にリーダーでした。ドッジボールや野球をやる時は、戦略を立ててみんなを引っ張っていました。特に他の人が考えつかないような奇策を考えることが好きで、相手がこうくるだろうという予想の裏をかき、「そうじゃないやり方もあるんじゃないか」と常に考えていました。

中学は、中高一貫校に進学しました。次第に早く日本を出たいという気持ちが強くなっていきました。英語で仕事をする父への憧れから、英語が喋れるのは当たり前で、将来は英語を武器にビジネスをしたいと考えていました。だったら早くから英語を身に付けた方が良いと思い、高校1年生の冬にアメリカの高校を受験しました。

合格し、通っていた日本の高校は中退しました。しかし、入学する学校の職員が現地の空港まで迎えに来てくれるというところまで話が進んだ後に、入学できなくなってしまったんです。カリフォルニアの留学制度が変更になったことで高くなった費用を、父の会社の業績が悪化したことで払えなくなったからでした。

アメリカへの憧れはありましたが、そこまで落ち込まなかったです。「だったら日本で頑張ろう」と前向きに考え、再び日本の高校に入学しました。大学は、将来は英語を使ってビジネスをしたいという思いが一貫してあったので、英語に強い学校を選んで進学しました。