福岡県福岡市で生まれました。兄が1人います。活発な性格で、小さい頃は友達と公園で缶蹴りやかけっこをするなど、外で遊びまわることが多かったですね。

小学校1年生の時に、母にバスケットボールをやってみたいと頼んで、バスケのクラブチームに入りました。コーチが厳しく、県大会での優勝を目指すほど強いチームでした。

クラブチームに入ってからは練習時間以外にも母と2人でシュートの練習をしました。母はコーチに負けないくらい厳しく、学校を休んで近くの公園のバスケットコートに行って練習をしたり、小学校に許可を取って朝3時から7時までの4時間、校庭で自主練したり。泣きながら練習して、何度もやめたいと口にしていましたが、母は「自分でやりたいと言ったんだから最後までやりなさい」と絶対にやめさせてくれませんでした。

小学4年の頃、やっと試合に出られるようになりました。それまではひたすら練習するだけだったので、試合ができることでバスケが好きになりました。高学年の頃には、厳しいシュート練習の甲斐あって、ポイントゲッターとして活躍できるようになりました。

レギュラーになれて嬉しい反面、辛いこともありました。ミスをするとコーチにひどく怒られることが多々あって、試合後毎回、具合が悪くなり吐いていました。精神的なストレスを感じていたんです。

ですが、その甲斐もあって6年の頃には、地区の代表選手に選ばれて、九州大会に出場。2位になって、とても嬉しかったですね。

中学に入っても、バスケは続けていました。しかし、あれほど練習熱心だった母は、練習に付き合うことがなくなりました。というのも、中学にあがるタイミングで父と母が離婚し、母は働きに出るようになったんです。

母との特訓が無くなって1年が過ぎたある朝、兄と2人でご飯を食べている時に、不意に「あ、もうバスケやめよう」と思いました。急に、なんかもういいやって思っちゃったんですよね。その日から学校も行かなくなりました。学校に行かずに、友達と近くの公園やショッピングモールに行って、ずっと他愛もない話をしていました。兄や仲のいい友達も学校に行っていなかったので、抵抗はなかったですね。母から厳しいことを言われることもなくなって、段々と反抗的な態度を取るようになりました。

中学3年の頃、兄の影響で高校への進学を考え始めました。中学校に行ってなかった兄ですが、親の勧めで進学していました。高校に通う兄がとても楽しそうで、僕も行きたいと思ったんです。そこで、受験して兄と同じ高校の芸能コースに通うことになりました。

高校への入学は決まっても、相変わらず母に対しては反抗していました。手をあげることはありませんでしたが、汚い言葉を吐いていましたし、連絡せず朝帰りすることが日常茶飯事でした。

そんなある夜、家で母が身体中に湿布を貼っているのを見かけたんです。それを見た時に、母はだいぶ弱っているんだなと思いました。バスケの特訓をしていた時のパワフルな母の姿とは全く違っていたんです。これまで僕がいくら反抗して汚い言葉を吐いていても、母は毎日必ず朝ごはんを作っておいてくれました。湿布だらけの背中を見て、苦労をかけて本当申し訳ないなと思いました。その時、高校生になったら学校はちゃんと通おうと、気持ちを新たにしました。