全力で戦うからこそ、お客さんを魅了できる。プロレスを通じて元気を与える存在でありたい。

大日本プロレスへ入団し、これまで多くのタイトルを獲得した岡林さん。一時は自衛隊体育学校でウエイトリフティングのオリンピック選手を目指していた岡林さんが、プロレスラーになるまでの背景とは。お話を伺いました。

岡林 裕二

おかばやし ゆうじ|大日本プロレス所属プロレスラー
高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。自衛隊体育学校でウエイトリフティング選手としてオリンピックを目指す。インターハイで最高6位という成績を残し、体育学校を卒業。その後1年間自衛隊として働き、2008年に大日本プロレスに入団。2015年、関本大介を破り、BJW認定世界ストロングヘビー級王座を戴冠。

派手なプロレスの世界にどハマり


高知県南国市で生まれました。小さいころから外で思い切り遊ぶ活発な性格でした。ただ、スーパーファミコンが出た時は、外に出ずに家の中でずっとやってました。ハマるととことんやる、凝り性な性格だったんです。

小学3年生の頃、近所の広場でかくれんぼしていたら、たまたまプロレス雑誌を見つけました。顔にペイントした、筋肉隆々の男たちが載っていて、何かよくわからなかったけど派手でかっこいいと感じました。

それからプロレスが気になるようになり、父に見たいとせがむようになりました。これまで縁もゆかりもなかったプロレスを急に見たいと言いだした私に、父は驚いていましたが、試合のビデオを借りるため、レンタルビデオ店に連れて行ってくれました。

なかなか扱っているお店がなく、5軒探してやっとプロレスのビデオを置いているお店を見つけました。見つけたときはテンション上がりましたね。様々な種類がある中で、外国人レスラーの派手なコスプレや逞しい肉体といったビジュアルに目を奪われ、アメリカの団体の作品を一番最初に借りました。

それからは、何度もプロレスのビデオを借りたり、お小遣いを貯めて定期的に専門の雑誌を買うくらいプロレスにドハマりしていました。

もっと上を目指すように


その頃、父が監督を務めていた影響もあって相撲をしていましたが、勝ち負けに対する欲がなかったんですよね。朝から大会があると早く帰りたくてわざと負けていました。当然、父親にめちゃくちゃ怒られます。友達にも悔しくないの?って聞かれましたが、全然悔しくなかったんですよね。

学年が上がってくると後輩ができて、負ける姿を笑われるようになりました。それが恥ずかしくて、これじゃいかんって自分を奮い立たせ、試合で負けないように練習を頑張るようになりました。勝つために練習に臨むようになってからは勝ちたい、強くなりたいといった感情が徐々に芽生えて、小学5年生で県大会3位になりました。プロレスを見る時もビジュアルだけでなく、戦い方に興味を持つように変わっていきました。父が仕事の関係で監督をやめる事になったので、私も小学5年生で相撲をやめました。

中学生になると、先輩たちから絡まれ、意味もなく馬鹿にされるようになりました。それが悔しくて、強くなりたいと柔道部に入部しました。相撲をやっていたおかげで体つきがよく、3年生のときには県大会3位になりました。

高校でも柔道を続けたくて、柔道部がある高校を受けました。しかし全然勉強してなかったので、不合格に。結局、一番行きたかったのとは別の高校に進学することになりました。志望校に行けなかった気持ちから気分が落ち、柔道へのやる気も冷めてしまいました。

特にやりたいこともなく毎日を過ごしていた時、担任の先生が「身体つきがいいからウエイトリフティングでもやってみれば」と声をかけてくれ、顧問の先生に僕のことを紹介してくれました。以来、顧問の先生から、入部してほしいと何度も誘われるようになりました。

あまりにもしつこく誘われるので、しょうがないなってくらいの気持ちでウエイトリフティング部に入部しました。やってみると、どんどん持ち上げられる重量が上がっていき、自分のレベルが上がっていく感覚が楽しくて、もっと上を目指したいという気持ちが湧いてきました。それからは部活にハマり、毎日一生懸命練習しました。

高校3年生でインターハイで5位になり、大学と自衛隊からウエイトリフティング選手としてスカウトをもらいました。特に自衛隊の担当者は熱心で、自衛隊体育学校に入らないかと強く勧誘されました。最終的には、お金をもらいながらオリンピック出場を目指して練習できるところに魅力を感じ、大学のスカウトは断って、自衛隊に行くことに決めました。

精神的強さを身に付ける


入隊後の半年間は、ほふく前進や銃の扱いなど一般的な自衛隊の教育を受けました。自衛隊の訓練は非常にキツく、特に、「あと何回やれば終わり」といったゴールがないところが精神的にすごくしんどかったです。腕立て伏せを始めたら、終わりと言われるまでずっとやり続けなくてはいけません。おかげで、精神的にタフになり、かなり我慢強くなりました。

基礎的な訓練を終え、念願の体育学校に入ってからはウエイトリフティングでオリンピックを目指していました。5年目のとき、持ち上げる重量も上がっていたので、次は全日本選手権で優勝できると確信していました。しかし、全日本選手権の2週間前に大学生の大会が行われ、その結果を見ると5人程自分より良い成績を出している人がいました。

自分より年下の強い人たちが一気に現れたことは衝撃で、これまで培ってきた自信は打ち砕かれました。結局、全日本選手権では優勝できませんでした。長い期間かけて一生懸命練習した集大成だっただけに、もう無理だなと落ち込み、ウエイトリフティング以外の道に進むべきかと考えるようになりました。

そこで、大会が終わったあと監督と話し合って、5年間いた体育学校を卒業することにしました。これまでウエイトリフティングに夢中で他に考えることがなかったんですが、時間が空いたので、何の気なしに久しぶりにプロレスの雑誌を見てみようと思いました。そしたら、たまたま読んだ雑誌の一面に見覚えのある、大日本プロレスの選手が特集で載っていたんです。

名前は関本大介さん。年齢は僕の2つ上で同じ高校に通っていた友人から体の大きさや力の強さについて噂は聞いていました。私が高校生のとき、ニュースでプロレスラーになると報じられ、なんとなくそのことは覚えていました。だから雑誌を見たとき、こんなに有名になったんだとびっくりしたのと同時に、負けるもんかって気持ちになり、やる気が湧いてきました。

すぐに隊長と面談し、プロレスラーになりたいから自衛隊をやめたいと伝えました。自分のプロレスへの想いを伝えると隊長も応援してくれました。そして一年後には自衛隊をやめ、大日本プロレスの入団試験を受けることに。結果は無事合格。憧れの先輩がいる団体に入ることができました。

超えられない先輩との差


入団して2カ月でデビュー戦をすることになりました。もう、早く終わって帰りたいって思うくらい、試合をするのが嫌で、ガチガチに緊張していました。その結果、酷い試合内容で負けてしまいました。プロレスは勝負ではあるものの、お客さんを楽しませるエンターテインメントです。なのに力任せに戦って、観てる人が楽しめない、エンターテインメント性が一切ない試合になってしまいました。先輩たちからも激しく怒られました。

それから次の試合に向けて練習をするのですが、何度注意されても、先輩たちのアドバイスをすんなり飲み込むことができませんでした。自分にはウエイトリフティング部で鍛え上げた力があり、勝てると思っていたので。

それから1年後、憧れていた先輩とシングルマッチで対戦することになりました。その試合の中で、戦いやすいといったらおかしいですが、なんとなく戦っていてしっくりくる感覚を味わいました。こっちのやりたいことを理解し、引き立ててくれるんですよね。おかげで自分の実力以上の力が出せ、自分の自慢の力を存分に活かした、思い切った試合ができました。たった2年しか年齢は違わないのに、エンターテイナーとしての魅せ方のうまさを感じ、すごく高い壁だと思いました。

その試合を終えてから、この人を超えるにはどうすればいいかを考え出しました。勝つための戦い方だけではなく、魅せるための戦い方を研究するように。また、憧れの先輩を超えるためには、ただ真似するだけではダメなので、自分ならどうすべきかを常に考えていましたね。

それから練習を重ね、初対戦から6年後、ついに憧れだった先輩に勝つことができました。しかし、超えたとか追いついたという感覚は全然持てませんでした。むしろ試合中も、キャリアの差を先輩の何気ない所作の一つ一つで感じました。絶対にいつか追いついてやると燃えましたね。

お客さんを元気にするプロレスを


現在は大日本プロレスに所属し、ストロングスタイルを主軸としたプロレスラーとして活動しています。

私が所属する大日本プロレスにはデスマッチとストロングの二つのスタイルがあります。簡単にいうと、デスマッチでは凶器を使ったりと色々な演出がありますが、ストロングでは何も道具は用いません。肉体のぶつかり合いの迫力でお客さんを魅了できるところにやりがいを感じています。

プロレスは戦いで観客を魅了するエンターテインメントです。ただ単に戦うだけなら2人だけで戦えばいい。そこにあえてお客さんがいるからこそ戦いを通して楽しんでもらうための工夫が必要なのだと思います。100%の戦いがあるからこそ、お客さんを100%魅了できる。だから戦うこと、魅せることはどちらも全力で行うように意識しています。

さらに僕は試合終了後にお客さんと話すことをすごく大事にしています。試合についてどう思っているか聞けますし、何より「岡林さんの試合を見てすごい元気になりました」って言われるとすごく嬉しくて、やりがいを感じます。入門してすぐは、強くなりたいって気持ちが強かったんですが、お客さんの声を聞くうちに、見ている人に元気を与えられるようなプロレスがしたいという気持ちに変わっていきました。

今の目標は、体力の許す限りプロレスの選手として、お客さんに元気を与える存在であり続けることです。もちろん将来はチャンピオンになったり、他団体のベルトをとりたいという気持ちもあります。しかし僕にとって何よりも重要なのは、自分の戦いを通してお客さんを元気にすること。そのために自分の得意を活かした戦い方を磨き、もっと魅せる試合ができるようになりたいです。

2018.12.17

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