高校は地元の進学校へ通い、相変わらず読書はよくしていましたが、中学校から続けていたバレーボールにも打ち込みました。真剣に打ち込むことでチームワークで何かをするのも悪くないと思うようになりましたね。

高校卒業後は地元の国立大学へ進学し、機械工学を学びました。当時流行りだった内燃機関の分野に進んだものの、実際に勉強してみると興味をあまり持てず、大学での勉強が嫌で仕方なかったです。そのせいか将来のことは考えずに遊んでばかりいて、ウインドサーフィン、飲食店でのアルバイト、女の子とのデート、この3つばかりしていました。

結局、7年かかって大学を卒業したものの、やりたいことも見つかりませんでした。長男だし地元に残ってなんかやるんだろうな、という程度でしたね。就職先を適当に探し、地元の建設会社に就職することになりました。ですがこの会社は2年ほどでつぶれてしまいました。

その後、福岡にある外食産業の会社に入社しました。学生時代も飲食店でアルバイトをしていたので、飲食の仕事は好きだったんです。年中無休で働いて、休み時間も本を読んで専門用語を学ぶ日々。料理人はもちろん、周りで働く人はみんな飲食に関するプロだったので、勉強せざるを得なかった面もありましたね。そうしているうちにスキルアップしていて、なんとなくですが努力の仕方がわかってきていました。かなりのハードワークでしたが、努力を続けるうちに取締役になっていました。

働くうちに、東京へ行きたい気持ちが芽生えてきました。「田舎の三年、京の昼寝」ということわざがあります。田舎で3年一生懸命勉強するよりも、都で1年遊んだほうが知識が身に付くという意味です。この言葉を知って都である東京に行くことを決意し、仕事をやめて東京の友人宅に行きました。ひと月半ほど居候し、結局はその友人の働くIT企業に入社することになりました。30歳の時のことです。

このIT企業では営業の担当になりました。ところが飲食業界からの転職だったのでIT関係の専門用語の知識がなく、打ち合わせなどの時、みんなが何を言っているのかわからないんです。あるお客さんとの打ち合わせ中、自社のエンジニアから「永用さんも会話に参加できるようになるといいね」と言われました。

その言葉で「勉強するしかない」と強く決意し、外食産業のときと同じく本を読んだりしてひたすら努力しました。自分の中に、何かを成し遂げたいという小さいマグマが沸き起こっているような感じがしましたね。最短距離で成長するため、視座を高くしようと社長になったつもりで一生懸命働きました。結果、その会社でも取締役にまでなりました。

しかし、取締役になって色々な意思決定をできるようになっても、社長ではないので最終決定者ではありません。そこで、さらなる高みを目指すため、自身が社長になれる独立の道を選びました。