互いに協力し、喜びも悲しみも全て分かち合う。伝統の教え「コモンライフ」を次世代へ伝える。

ネパールの首都カトマンズ郊外のコカナという集落で暮らす、教師のクリシュナさん。2015年のネパール大地震で、人々の暮らしは一変しました。幸せとは何か。震災を経た今、クリシュナさんが子どもたちに伝えようとしている、伝統的な「コモンライフ」の教えとは?お話を伺いました。

Krishna Bhagat Maharjan

クリシュナ バガ マハラジャ|学校教師
ネパールの首都カトマンズにて学校教師として働く

伝統文化の中で感じてきた幸せ


ネパールの首都カトマンズの南方にある、コカナという集落で生まれました。コカナは農業地帯で、米をはじめ、野菜、豆、香辛料などが生産されています。美しい田園風景に囲まれた平和な集落で、私は両親と姉、二人の兄と一緒に暮らしていました。

子どもの頃はとてもシャイな性格だったと思います。集落に1つある学校には、当時黒板や机もありませんでした。石のプレートとチョークを学校に持参して、先生と一緒に読み書きの練習をしていました。おもちゃや遊具はありませんでしたが、みんなで歌を歌ったり、ゲームをして遊んだりして、とても楽しかったですね。

私の家族は先祖代々農業をしていて、私も学校の合間に田植えや収穫を手伝っていました。互いに協力して生きるという、伝統的な教えがあったので、農業を手伝うことは全く苦ではなく、むしろ誇らしことだと思っていました。

コカナはとても古い歴史と文化を持つ集落です。5000年以上前に、ここに移り住んできた私たちの先祖は、ジャングルだった土地を開拓して農業を始めました。食べることが何より大事だったので、土地のほとんどを農地にしました。残りの小さな土地に、住居が繋がった集合型の建物を作り、それぞれの家族が住むようになりました。

先祖は、私たち一族がずっと幸せに暮らすことを願って、農業以外にも民族衣装や歌やダンス、祭りの文化をつくりました。ともに生きる中で、互いに助け合い、悲しみも喜びも分かち合う「コモンライフ」、つまり他者と人生を共有するという教えを、一族は大切に受け継いできたんです。

たとえ食べ物が十分になくても、お金がなくても、家が小さくても、人とのつながりの中で大きな幸せを感じられる。私たちはだれよりも幸せな暮らしをしていると思っていましたね。

エンジニアを諦めて教師へ


義務教育が終わり、17歳で大学に入りました。そこでは科学と人類学を学びました。当時、ネパールでは多くの若者が医者やエンジニアになることに憧れていました。私もエンジニアになりたかったんですが、それを学ぶためにはすごくお金がかかります。経済的な事情で、その道は諦めるしかありませんでした。

仕事を見つけることができず、大学を卒業してからの2年間は、実家の農業を手伝っていました。野菜や米を育てて収穫するだけでなく、家畜の世話まで含めて、ありとあらゆる農作業をしていましたね。

しかし、集落での農業は自分たちの食べる分がやっとで、それだけで十分な収入を得られるわけではありません。農家一本で食べていくには、広い土地を持ち、大量生産をしていく必要があります。ですが、それは私たちが先祖代々守り続けてきた農業技術とは合いませんでした。

結婚して、自分の家族を養うためには、なんとしても他の仕事を見つけないといけません。そういった状況の中、家族の勧めで集落にある学校の教師として、子どもたちに数学と科学を教えることになりました。ネパールでは、教師になることはそこまで難しくはありません。教えることに興味はなかったのですが、他に選択肢はないと思い、教師になることを決めました。24歳の時でした。

最初は退屈に感じていた教師の仕事も、徐々に楽しくなってきました。毎日たくさんの子どもたちを見ていると、彼らが一人一人個性が異なることに気がついたんです。教えたことをすぐに理解できる子がいれば、なかなか理解できない子もいるので、教え方をいろいろ工夫していきます。最後にみんなが理解してくれたとき、すごく嬉しくて。時に、理解力が違う子どもたち全員が分かるような教え方ができると最高です。長年働く中で、教える喜びを感じるようになっていったんです。

ネパール地震で再認識した助け合う心


2015年に、ネパールで大きな地震が起こりました。集落にある100年以上昔の建物の多くが倒壊し、たくさんの犠牲者が出ました。のどかで美しかった私たちの集落は、一瞬にして変わってしまいました。

家の上の階にいた80歳の母や他の家族は、地震の衝撃で外に投げ出されました。私たち家族はなんとか助かったものの、あたりの惨状をみて、ただ泣くことしかできませんでした。大切な家族や家を失った人々の悲しみは、私にとってもつらく悲しいものでした。

多くの人たちが家を失い、仮設のシェルターで暮らしはじめました。私たちの家も大きなヒビが入り危険な状態だったので、6ヶ月間シェルターで暮らしました。これまで集落のみんなが同じ建物の中で家族のように暮らしてきた分、シェルターでの暮らしは、コミュニティの伝統やつながりから切り離されるようで、とてもつらいことでした。

しばらくして、様々な国の組織や人々が支援にきてくれました。その中で出会ったのが、フランスのSecours Populaire Français(SPF)という、国や文化の枠組みをこえた支援活動を行う組織でした。彼らは集落を訪れ、被害状況を見て回りました。その後、サポートの中で、私たちの学校を立て直してくれたんです。

さらに、学校の生徒と私を、彼らが開催する国際交流キャンプに招待してくれました。このキャンプは、国や民族など様々な枠組みを超えて、世界中の子どもたちが集まり、協力し合う心を育てることを目的としています。

私も子どもたちも、こんなにも違うバックグラウンドを持つ人々と交流するのは初めてでした。言葉が通じなくても、子どもたちが一生懸命ボディランゲージで伝え合っているのは、嬉しい光景でしたね。ネパール、フィリピン、フランス、日本、みんな話す言葉は違っても、喜びや楽しさを共有しようとする。その姿を見て、私たちが先祖から教えられてきた大切な価値観を改めて認識しました。協力し助け合う心が育まれていると感じ、とても嬉しい気持ちになりましたね。

伝統的なコモンライフの教えを次世代へ


現在も、私はコカナで教師をしています。子どもたちに教えることを通して、自分も日々学び続けているのだと思いますね。学校の仕事以外の時間は、コミュニティでのボランティア活動を行っています。地域で受け継がれてきた素晴らしい文化を残すために、自分が教えられてきた伝統の音楽を、コミュニティの子どもや若者に教えています。

他の多くの国や地域と同じように、コカナの集落も西洋文化の影響を受けて近代化が進んでいます。人々の暮らしも急速に個別化が進み、互いに助け合いながら生きる「コモンライフ」の教えもどんどん失われています。

しかし、助け合う気持ちは忘れてはいけないものです。これからは先祖から大切に受け継がれてきた伝統と、そこにある素晴らしい価値観を次世代に伝え残すような活動をしていきたいと考えています。それが、私が今後実現したいことです。

もう一つの夢は、子どもたちの夢を実現させることです。私には2人の子どもがいて、一人は将来、外国に留学してITを学びたいと願っています。今は経済的な事情で義務教育の費用を出すまでがやっとで、大学まで出してあげるのはかなり難しいです。でも、なんとかしてその夢を叶えてあげたい。子どもたちの人生は私の人生であり、子どもたちの夢は私の夢でもあるからです。

人は、人に囲まれて生きることで幸せを感じられるのだと思います。互いに協力し合い、喜びも悲しみも全てシェアする。人とのつながりの中で幸せを感じて生きること。それが人生なんだと思います。これからも家族のため、コミュニティのために、できることを精一杯取り組んでいきます。

2017.07.25

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?