人生をよりドラマチックに。 人の選択肢を広げられるedutainerになる。

【Teach For Japan提供】「ドラマチック指数」という独自の指標を設定し、生徒たちの人生をよりドラマチックに変えたいという岡本さん。物事を斜めに見て反発し、やりたいことがなかった子ども時代を経て、教育の道に進んだ岡本さんが目指す教育者としての在り方とは。お話を伺いました。

岡本 多永

おかもと たえ|人生をドラマチックにする
新卒で専門学校を運営する学校法人に就職。その後英語の勉強をするために単身渡米。現在はTeach For Japanのプログラムにて中学1年生の英語教師兼3年生の副担任を担当。
※この記事はTeach For Japan(http://teachforjapan.org/)の提供でお送りしました。

魅力を感じないものはやらない


大阪で生まれました。小学校の時からじっとしていられない性格で、通知表にもよく「落ち着きがない」と書かれていました。人から言われたことをやるのが嫌で、担任の先生から何か勧められても、絶対にやりませんでした。本当はクラスをまとめることも、目立つことも好きだったのに、優等生的な立ち位置になるのが嫌だったんです。どこか物事を斜めから見ていました。

中学に入ると、女子と群れるのが嫌で一人で行動するようになりました。授業中は先生の話を聞かずに、友達とベラベラ話していましたね。先生から泣きながら「授業聞いてくれへん?」と言われても、「だったらおもしろい授業やってもらっていいですか」と平然と言い返していました。特に英語については、全然できなかったにもかかわらず、学校で教えていることは偽物だと思っていました。先生の発音が綺麗ではなく、「日本語をカタカナにしただけやん」とか思ってましたね。

全然勉強ができなかったので、親の教育方針で地元で有名な進学塾に入れられました。そこで学力がつくと、今度は、「悪いことするけど頭がいい」というブランドに憧れるようになりました。

好きなものはとことん


人の言うことを聞かない一方で、自分が認めるものについてはすごく崇拝していました。例えば、一度だけ英語の指導助手として学校に来てくれた、青い目にブロンドの髪の外国人の先生。英語の発音がすごく綺麗で「ザ・アメリカ人」という感じで、これが本物なんだと衝撃を受けました。

また、カリスマ性のあった塾の先生にも絶大な信頼を置いていました。どんなに怒られても決して歯向かったりせずに、言われた通りに勉強。そのせいか成績はどんどん上がって行き、志望した高校に合格することができました。

高校でも、友人とベタベタせず、一匹狼だったので、周りからは怖くて気が強いやつだと思われていました。学級誌に「裏ボス」と名前を挙げられたこともあります。みんなから慕われる人気者になったほうが楽しいとは思っていましたが、弱い部分を見せたくなくて、周りに関心がないふりをしていました。

ある時、体育祭の応援団の団長に女性はなったことがないという噂を聞き「ほんならなったろか」とやってみることに。ところが、部活に入っているわけでもなく、一匹狼でグル―プに所属しているわけでもなかったので、やってみると団員をまとめることができませんでした。自分ではできると思っていたのに、「なんでこいつらついてこーへんのかな」と悩みました。人間関係に違和感を覚えるようになりましたね。

不安な気持ちを抱えつつ迎えた体育祭当日。その日はみんな盛り上がっており、ドラム缶の上に立って煽ると全校生徒からものすごい歓声が返ってきました。あまりの盛り上がりに、全身鳥肌が立ちました。自分が人の上に立って何かをしたとき、うまくいくとこんな一体感を得ることができるんだと、その高揚感が忘れられませんでした。

大学受験の時期になると、塾の先生から紹介された大阪府内の3つの大学の中から、自分の成績で入れそうな大学を目指して勉強することに。結果、現役時代は不合格でしたが、一浪して何とか合格することができました。

自分が悪いのかもしれない


大学生になると、もともと音楽に興味があったことと、新歓で面白い人が多いなと思ったことがきっかけで軽音楽部に入りました。その軽音楽部では、個人個人が交渉してバンドを組む相手を決める仕組みでした。そこで私も上手い人と組もうと思って声を掛けたのですが、誰にも組んでもらえなかったんです。周りから人がいなくなり、自分より人格的にも、技術的にも劣っていると思っていた人が周りからちやほやされている状況に、すごく落ち込みました。そこで、もしかしたら自分のやり方に原因があるのかもしれないと考えるようになりました。

そこで周りを観察してみると、自分が勝手に見下していた人が実は努力していることがわかってきました。例えば、とある先輩は飲み会に必ず行くようにしていて、いつもニコニコして、時にはバカな自分を演じていたり。自分はそんな努力を知りもせずに先輩を嫌って、その努力ができもしないくせに「あいつなんか」と考えていました。努力を知ろうともせず、勝手に相手をジャッジしていたのは自分。そのことに気づき、反省しました。

それからは、人気のある人の真似をするようになりました。先輩に対して「今日、なんか全然違いますね、かわいいですね」とか言ってみる。そこから飲み会に呼ばれるようになり、大学の2年くらいから部活がすごく楽しくなりました。おべっかだし嘘かもしれないけれど、言ってみると、人がハッピーになり、どんどん周りに寄ってくるように。これまではプライドが高く、へりくだった態度を取ることができなくて人間関係がうまくいきませんでしたが、良好な人間関係を築くことができるようになりました。

もっと早く出会っていれば


大学3年生になると就職について考えるようになりました。働くことにモチベーションがなく、定時に帰って、お酒を飲みながらライブハウスに居られる仕事がいいなと思いました。その実現性を考えた時、公務員だなと思い、公務員講座に通うようになりました。

そのため民間就活はする気がありませんでしたが、たまたま友人に誘われて合同説明会に行くことに。大手企業の話を聞いてみると、表面上いいことばかり言っていますが結局何をやっているのか分からず、求める人材についてもみんな「クリエイティビティが大事」みたいな話をしていて、全然特色がないなと思いました。そんな企業なんか受けないと思って帰ろうとしたとき、専門学校を多数運営している学校法人から誘われて話を聞いてみることに。聞くと、初めて「おもろそうな会社だな」と思いました。他の会社と違って、やっていることがリアルに伝わってきましたし、ビジョンにも惹かれるものがありました。

特に、学校法人であっても自分たちのことを営利企業だと言い切っているところにすごく惹かれました。ボランティアで社会貢献するよりも、お金をもらって社会貢献した方がもっとできることがある、だから利益を確実に追求していくんだという姿勢でした。そんな考え方に惹かれて、事業内容や配属先は特に気にせずエントリーし、内定をいただくことができました。

入社して2日目で、40人学級の担任として配属されることに。実際に生徒たちを見た時は衝撃を受けました。赤や金の髪、悪い目つき、しかも全員が、学生時代に苦手で自分から距離を置くようにしていた女子。もともと学校の先生にあまり良い思い出もなかったので、一番なりたくない職業になってしまったと後悔しました。

入社して1週間ほど経った頃、オープンキャンパスのスタッフの募集を任されることに。参加する生徒たちにとっては完全にボランティアで昼食しか出ないような仕事だったので、やりたいという生徒はほとんどいませんでした。先輩職員がボランティアの素晴らしさを綺麗な言葉でプレゼンしましたが、生徒は誰もやる気になりませんでした。

そこで、翌日、今度は私がプレゼンを行いました。まず、「あんたら、明日から社会人になりますって言われたらできる人、手挙げてみ」と問いかけました。誰も手を挙げないのを確認したあと、「それなら絶対ボランティアやったほうがいい。親や外部への対応が学べるし、高校生へのおもてなしの心も身につく。社会人になって使う能力が全部ここで学べるから。」とボランティアの良さを力説。さらに「金出してでもビジネスマナーを学ぶ世の中やのに、無料で学べてしかも昼飯まで出してもらえる。こんないい機会あると思うか」と畳みかけました。すると、最終的にはクラスの生徒全員が「やる」と手をあげたんです。こんな自分の言葉でも、生徒たちに影響を与えることができるのだと、やりがいを感じました。

それから4年ほど子ども達の成長を間近で見る中で、教育の可能性を実感するようになりました。ただ同時に、「もっと早く出会っていれば、みんな全然違う人生だったやろな」とも思うように。生徒たちにとっては、専門学校に入った時点である程度、将来の選択肢が決まってしまっているからです。大学に行った方が良いと思っても、専門学校の教師という立場上、それを伝えられないもどかしさもありました。もっと早い段階から子どもの可能性を伸ばせるような仕事がしたいと、なんとなく考えるようになりました。

自分の言葉の影響力を広げるために


専門学校で働くうちに、教員研修などの際に教務について話す機会をもらえることが増えてきました。200人以上の教員の前で、自分のクラスのことや教育について話す中で、自分の言葉の力を信じられるようになりました。誰かに何かを訴えかけたり、共感を得たり、議論をしたり、言葉にはすごい影響力があると実感したんです。

そのうち、いまは日本語だから日本人にしか通じないけれど、英語を学べば全世界の人たちに向けて言葉の持つ力を使えるかもしれないと思うようになりました。自分の言葉の可能性を、日本だけじゃなくて世界に広げたいと思ったんです。やるならとことんやろうと、学校法人を辞め、アメリカの語学学校に通うことに決めました。

初めての海外です。渡米して最初の二カ月は、ずっと泣いていましたね。子どものころ英語の先生の発音が偽物だと感じてから、発音には注意していたので、自分ではある程度英語が喋れるつもりで行ったんです。なのに行ってみたら、洗濯機の使い方の説明すら理解できなくて。

それでも、入れ替わりが激しい語学学校の生徒たちの中でなんとか自分の存在感を出そうと努力したり、外国人の彼氏に自分の思いを伝えたいと思ってしゃべるうちに、どんどん英語は上達していきました。勉強をしたというよりは実践で培った感じです。

卒業が近づいてくると就職先を探すことになりましたが、情勢が不安定な時期で、そもそもビザが降りなくてアメリカでの就職が難しい状況でした。不安で焦っていた時、たまたま高校の時の友達から紹介されたTeach For Japanを思い出しました。Teach For Japanのプログラムは、教員免許の有無にかかわらず、既定の研修を受けたのち2年間、常勤講師として小中学校に赴任することができるというものでした。前職時代に、もっと早い段階の教育に関われないかと考えていたこともあり、受けてみることに。エントリーした結果、無事に合格をもらうことができました。

ドラマチック指数の高い人生に


現在は福岡県の中学校に勤め、1年生の英語の授業をするほか、3年生の副担任をしています。学校法人で働いて学んだことや、アメリカで培った人脈を生かして生徒と関わっています。

私は生徒達に対していつも、英語を教えに来たわけではなく、人生をドラマチックにするために来たのだと言っています。学生時代に無気力だった私は、たくさんの人と出会い、その出会いをきっかけにいろいろな経験をして、今の自分になりました。アメリカに行ったり、教育に関する国際的な会議に出席させてもらったり、あの頃の自分では考えられないようなドラマチックな人生になったと思うんです。だから、たくさんの人に出会い、いろんな経験をしなさいと生徒に伝えています。

どれほどドラマチックになったのかをわかりやすくするために、ドラマチック指数という独自の指標も編み出しました。「ドラマチック指数=出会う人の数×経験値」。ドラマチック指数が高くなると、やりたいことがどんどん生まれて、人生がキラキラしていく。良いことばかりじゃなくて挫折したり後悔したりすることも増えるかもしれないけれど、そんな辛い経験もプラスに変える力が身につくと思っています。

そう考えた時、英語は出会う人の数や体験できる出来事を増やすために必要なツールだと教えています。

しかし、私が勤務している中学が田舎にあることもあり、頑張ってもなかなか多くの人に出会うことができません。そこで、英語の授業中に、自分が出会ってきた海外の人たちをインターネットでつないだり、近くの大学から留学生を呼んだりして授業を行っています。生徒たちを引っ張り回してアメリカに連れていくことはできないので、授業の中でどれだけ生徒たちが知らない人に出会い、知らない世界を経験できるかということを意識しています。

また、中学の時に授業がつまらないと感じていた経験から、自分の生徒たちにはそんな思いをさせたくないと思っています。そこで授業自体を活動的で魅力のある、エンターテイメント性の高いものにするよう心がけています。寝たくなくなるような授業というか、友達から話しかけられても「うるさいねん、聞きたいねん」と言わせるぐらいの授業ができるようになりたいです。だから、教育者とエンターテイナーの要素を兼ね備えた、「edutainer(エデュテイナー)」になりたいと思っています。

私には学生時代、何もやりたいことがなく、人生を無駄に過ごしてしまった後悔があります。だからこそ、やりたいことがあるのに諦めてしまっている生徒には「絶対にできる」と全力で言います。そう言うと綺麗事のように聞こえてしまいますが、事実、中学生の時点で知らない世界はいっぱいあって、夢を叶える選択肢は思っているよりたくさんある。だから大丈夫やでって言いたいですね。

まだやりたいことが見つからない子には、なりたい自分を見つけた時に、そうなれる力を身に付けさせてあげたいと思っています。私自身「edutainerになる」というビジョンが見つかったときに、英語が話せてよかったなとすごく思ったんです。だから、行動力とか語学力とか、基本的な力を、必要な時に使えるように生徒に身につけさせたいですね。

今後は、そういう自分の想いを実現するために、自分自身の影響力を高めていきたいと思っています。教師になるのか、ほかの仕事をするのかはまだわかりませんが、もっといろんな経験を積んで、世界中どこにいても教育に関する仕事の電話がかかってくるような人になりたいですね。私と同じような後悔をさせないよう、子どもたちの人生の選択肢を広げてあげられる、立派に胸を張って「edutainerです」と言える自分で在りたいです。

2018.10.01

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