生産者・製造者・消費者の全員を幸せに。 引き算のチョコレートで創る未来。

カカオ豆の仕入れからチョコレートを板チョコにするまでの全ての工程を一貫して行う、「Bean to Barスタイル」のチョコレートを製造・販売する山下さん。コンサルティング会社を退社後、チョコレートに出合い、起業します。事業を始めた原点、そしてチョコレートを通して実現したい未来とは。お話を伺いました。

山下貴嗣

やました たかつぐ|新しいチョコづくりで未来を変える
株式会社βace代表取締役。カカオ豆から板チョコの加工まで一貫して行うBean to Barスタイルのチョコレートブランド「Minimal -Bean to Bar Chocoalte-」を手掛ける。

なんでも1番になって認められたい


岐阜県岐阜市で生まれました。幼い頃からリーダーシップをとるのが好きなガキ大将でした。勉強も運動も得意で、なんでも1番にならないと気が済まない性格でした。

小学生からはサッカーに打ち込み始めました。運動神経の良さには自信があったのに、サッカーをして遊んでいたら、こいつには絶対負けないと思っていたやつにドリブルで抜かれたんです。それが悔しくて、地域のサッカーチームに入り、のめり込んでいきました。

中学校でもサッカー部に入部しました。強いチームだったので、センスのない自分では普通にやってもレギュラーになれそうもありません。どうしたら必要とされるか、自分の役割について深く考えるようになりました。

たとえば、全員がメッシのように得点力のある選手でも試合には勝てません。だったらメッシを目指すのではなく、自分だけの価値を発揮できる役割を目指そうと思いました。そこで狙ったのが、運動量で相手の攻撃を潰し、味方の攻撃の起点となるボランチです。目指すものが決まると身に着けるべきスキルが明確になり、練習の仕方も変わっていきました。

高校でもサッカーを続けました。2年生でキャプテンになり、県大会ベスト4まで勝ち進みました。3年生で引退すると、サッカーに傾けていた情熱を勉強に向け、学力の世界で日本一の東大を目指すようになりました。

しかし、結果は僅差で不合格。親や先生から「次は絶対受かるから一浪しろ」と勧められました。

特に浪人を強く勧める父とは大喧嘩しました。「おまえの人生、学歴があればすごく楽になる」という考えからアドバイスしてくれたんです。

しかし僕は、「1度受けて受からなかったのだから、実力がないことを認めて潔く諦めるべき」という美学を持っていて、浪人する気持ちは一切ありませんでした。そのため、親に自分の人生を左右されたくないと怒ってしまい、父とは2年間口をきかなくなりました。

結局、すべり止めに受けていた都内の私大の商学部に進学することにしました。ビジネス書に触れた影響で、自分が目指すべきはビジネスの世界だと漠然と考えたんです。

成果が全てのビジネスの世界


大学1、2年はバイトとサークルに明け暮れ、3年からはビジネスコンテストにも参加し始めました。高校のときに漠然と興味を持った「起業」に触れてみたいという軽い気持ちからです。実際に取り組んでみて、楽しさも感じましたが、起業を通してやりたいことが明確にならず、まずは一般企業へ就職することにしました。

就活では自己成長出来るかという点を重視していました。大企業の内定をいただきながら、最終的には未上場の人材コンサルティング会社を就職先に選びました。敵わなそうな先輩がたくさんいて、自分が最も成長できると感じたからです。父からは「お前をそんなところに就職させるために大学行かせたわけじゃない」と反対され、また喧嘩になりました。しかし、大学進学と同じように、自分の志に従ってその会社に就職しました。

入社後は厳しい生活が待っていました。いきなり新規事業の部署に配属されて、取引先の開拓から納品まで全てを行わなければいけなかったんです。週7で会社に行き、1日100件テレアポをかけました。朝から晩まで働いているのに、なかなか成果が上がりません。

毎日会社を辞めたいと思いながら、全事業部の達成率がランキングで発表される年末の総会に向けて、死ぬ気で働きました。それでも、結局、所属する事業部の達成率は20%に届きませんでした。

総会当日、最下位として掲載されるのも恥ずかしいなと思いながら発表を待っていました。しかし、ランキングが発表されてみると、僕たちの事業部の名前は見当たりませんでした。

記入漏れだったんです。

衝撃的でした。同期が新人MVPとして表彰されているのを横目に、辞めたい、逃げたいという思いをこらえて毎日一生懸命仕事をしていたのに、僕らの事業部は発表さえされない。正直、最下位と発表されるのも恥ずかしいなと思いながら見ていました。でも、発表されないときの衝撃は凄まじかったです。「あ、僕は何者でもないんだな」と痛感しました。

商社や広告会社に就職した大学の友人から仕事について聞かれたときも、見栄を張って活躍してるとウソをついて。そんな自分が嫌いでどんどん飲み会も行かなくなって。

自分を全部犠牲にして仕事をしているのに、ビジネスの世界では結果を出さなければ何者にもなれない。悔しくて涙が止まりませんでした。こんなに悔しくて涙が止まらなくなったのは初めてでした。

自分に向いていた矢印が他の人に向く


1年半が経ったとき、ようやく事業部として月間目標を初めて達成できました。みんなで戦略を考え、知恵を共有してきたからこその結果でした。入社してから自分はなんでもできると思っていましたが、自分一人では何もできないことにようやく気が付きました。

新規事業の部署で3年ほど過ごした後は、大手企業の人材開発・組織風土の変革などを行う担当になり、グローバル人材の育成に関するテーマを扱いました。

特に日本人は欧米人と比べて会議で発言できていない点が指摘されていました。実際に会議を見に行くと、たしかに、日本人の発言数は多くありません。しかし俯瞰してみた時に、文脈を読まずに自分の言いたいことを言う人が多い一方、日本人は意見をきちんと聞きながら、空気を読んでいい発言をする人がたくさんいるんです。この「きめの細やかさ」は日本人しかだせない良さだと考えるようになりました。

その後、プレイヤーからマネジメント側に移りました。最年少での抜擢で期待が大きかったので、成果が出ないことをとても恐れていました。そのため、部下の仕事の細かい部分までチェックして、できていないと怒鳴りながら理詰めで注意していたんです。鬼軍曹と呼ばれるほど怖がられていました。部下も自分も疲弊し、半年間全く成果があがりませんでした。

そこで、上司にどうしたらいいか聞いたんです。すると「チームはメンバーそれぞれの特性をどう生かすかが重要だ。お前は監督としてチーム全体を俯瞰すべき役割なのに、プレイヤーのつもりで自分で点をとって守ろうとしている。そんなんで勝てるはずがない」と言われました。

このとき、やっと他の人に興味の矢印が向きました。それまでは、自己成長を重視してきたので、ベクトルはいつでも自分に向いていました。部下1人1人に興味を持つようになって、こいつは細かいことはできないけど突破力がある、あいつは営業は苦手だけどお客さんと丁寧に接することが得意だ、というようにそれぞれの特性に気付きました。そうすると、部下をどのように配置すれば効果的かわかってきました。

さらに、怒ることは無駄だと気づきました。失敗して自分で落ち込んでいるときに、さらに怒られたらよりしんどさが増すだけで、意味がないとわかったんです。それからは部下の弱みを鍛えるのではなく、強みを思いっきり伸ばすようなマネジメントスタイルに転換しました。その結果、成果も上がっていきました。

マネジメントもできるようになり、戦略を考えるような立場に立つことも増えて、仕事がどんどん楽しくなっていきました。しかしあるとき、コンサルタントはどれだけ仕事ができるようになっても部分的にしかプロジェクトに関われないことに、ふと違和感を覚えました。

クライアントと共にプロジェクトを完成して達成感を共有しても、契約が切れるとその会社とは全く関係がなくなります。成果を出すまで伴走できるとは限らないことに、寂しさを感じました。

そんな時29歳の誕生日を迎え、来年30歳かと気付いた瞬間、直感的に会社をやめようと思いました。この先の人生を俯瞰した時に、自分自身の力でもう一度やってみたい。さらに、グローバル人材の育成について関わったときに気付いた日本の良さを活かしながら、外貨を取って、この国の生活を豊かにしていきたいと考えたんです。

退社を決意してすぐ、父と話す機会がありました。きっと「反対を押し切って入ったのに、ちょっと成果を残して辞めるなんて意味がわからない」と怒られるだろうなとびくびくしながら、会社をやめることを伝えたんです。

しかし父は「次はなにやるんや。がんばれよ」と言うだけで、微塵も怒りませんでした。

僕は拍子抜けして、怒られなかったことを母に話しました。すると母から「ここだけの話、お父さんはとっくにあなたのこと認めてる」と言われたんです。父が「社会人になってあいつの表情や発言が明らかに変わった。自分の経験から出たものだとわかるから、もう何も言うことはない。いい会社入ってよかったな」って言っていたと。

号泣しました。それまでずっと、父に認められたいというコンプレックスがどこかにありました。認めてもらうために、勉強でもビジネスでも他人に勝ってナンバーワンになりたいと思っていたんです。でも、すでに認められているとわかったことで、自分を縛っていた鎖から解放されたような気がしました。誰かと比べて1番にならなくても、自分ができることを達成していけばいいんだと思えたんです。

「引き算のチョコレート」との出合い


退社までの間に、ビジネスの構想を練りました。日本人の良さであるきめの細やかさを活かして、日本という国のために外貨も取れる、かつ手触り感のあるビジネスをやりたいと、漠然と考えていました。そして、メッセージ性のあるものが好きだったので、ブランドに関わりながら世界観を作っていきたいとも考えていました。

そんな時、知り合いのシェフが趣味で作った、カカオ豆を選ぶところからチョコレートをバーにするまで一貫して1人の人が作る「Bean to Barスタイル」のチョコレートを食べました。とても衝撃を受けました。カカオの味わいや香り、ざくざくとした触感。自分の知っているチョコレートと大きく違ったんです。

これがカカオだけでできていると知ったとき、すごく日本人的だと感じました。余計な加工をせずに、素材の良さを引っ張って、素材をシンプルに楽しむ。他のものを加えず、むしろできるだけ余計なものを引いていく「引き算のチョコレート」だと思いました。日本人のきめの細やかさが活かされたものだと感じました。

そして、これは文化になるかもしれないと感じました。苦手な人が少なく世の中に受け入れられやすいチョコレートで新しいブランドを作ったら、とても面白いんじゃないかなと直感が働いたんです。

海外に留学することも考えていましたが、Bean to Barとの出合いが忘れられず、チョコレートで起業しようと腹をくくりました。僕の苦手分野であるITや経理を担ってくれる友人を誘って4人で起業しました。

まずは、海外のカカオ農園に足を運び、農家と共にチョコレートつくって、農家に自分の豆がチョコレートになるまでの過程を実際に体験してもらいました。実は人生で初めてチョコレートを食べる農家の人も少なくなく、自分が作っているカカオ豆がこんなに美味しいチョコレートになる事に驚き、目の色を変えていました。

その時に、敢えて品質の良いカカオ豆から作ったチョコレートと、品質の悪いカカオ豆から作ったものとを食べ比べてもらいました。すると農家は初めてカカオ豆の品質に興味を持ち、「どうしたら自分のカカオ豆を美味しくできるのか?」と熱心に聞いてきてくれました。

僕は、大手バイヤーとカカオ農家が契約しているのを、安値で買いたたかれていると考え問題視していました。農家が品質の良い豆を作りたいと思っているのを見て、品質に対して適正な価格を提示できれば、僕たちと取引してくれるのではないかと考えました。そのため、自分たちで独自に品質の基準を作り、市場価格に関係なく品質に対して適正な価格を提示して、取引してくれる農家を探したんです。しかし、興味を持ってもらえた事とは裏腹に、なかなか契約には至りませんでした。

僕たちがフェアトレードで大手より高い値段で豆を買っても、大手と比べて注文量は少なくなります。そのため農家は、安くても大手に大量の豆を売った方が儲かるんです。品質に対してきちんと評価をすれば喜んでくれるという側面は当然あるけれど、それ以上に農家にとっては収入が上がって生活が向上することが大事だという当たり前の現実を目の当たりにして、自分の認識の甘さを痛感しました。

それでも、想いをもって農家を回り続けるうちに、徐々に取引をしてくれるカカオ農家も見つかり始めました。ただ、一度契約に至っても大手のバイヤーとの安値な契約に鞍替えして、がんばって生産量を増やせば増やすほど儲かると喜んでいる農家もいました。

そんな中、取引を続けてくれる農家のうち、親族はみな大手に鞍替えしている一方で、僕らとずっと取引をしてくれる方がいました。あるとき、なぜ僕らとの仕事を続けてくれるか聞いたんです。

「当然、富むためにたくさん働くという選択肢もある。しかし、僕は太陽が昇ったら起き、沈んだら寝るという祖父の代から続く生活リズムを守りながら収入を上げていきたい。それを実現する方法をあなたは初めて示してくれた。そしてなにより作ったものをきちんと評価して、作り方を一緒に改善してくれた。だからとても感謝しているし、あなたと仕事をしたい」

そう言ってくれたんです。涙がでました。

この言葉で、自由に生きるとは選択できることなんだと教わりました。彼は大手のバイヤーと契約して富むという選択肢を知りながらも、僕たちと仕事をする方を選んでくれました。同じAという選択肢を選んでいる人でも、Aだけしか知らずにAを選ぶ人と、他にBやCという選択肢があると知った上でAを選ぶ人では、人生の自由さが違うだろうと思ったんです。

この経験で「大手のやり方は良くないからフェアトレードをするんです」というスタンスで農家と向き合うのを辞めました。僕たちの価値観や目指す世界を伝えて、あくまで選択肢を提示するだけ。選ぶのは農家。これが本当に自由に生きることにつながると考えました。

誰も傷つかない未来をつくる


今は株式会社βace(ベース)の代表としてBean to Barスタイルのチョコレート「Minimal-Bean to Bar Chocolate-」の製造・販売を行っています。Bean to Barブランドの確立によって「チョコレートを新しく」するために、生産者の環境、製造方法、チョコレートの楽しみ方の3つを新しくしようとしています。

まずは生産者の環境。現在の量の経済にしばられている環境に質の概念を持ち込んで、働き方を新しくしています。価格の決定権を持たない多くのカカオ豆農家にとって、量をたくさん作れば富めるシステムでは、とにかく生産量を増やさなければなりません。そのために子どもも働かざるをえないという現状があります。

僕らはそこに質の概念を持ち込みたい。そのため、カカオ豆の質を評価する独自の制度をつくって、質の評価に応じて対価を支払っています。さらに、直接農園に足を運んで一緒に豆の質を上げる方法を考えたり、新たなカカオ豆を追究したりしています。将来的には価格の決定権を生産者に戻したいと考えています。

次に製造方法。日本人の「きめの細やかさ」を活かして、製造方法を新しくしています。普通のチョコレートはミルクやバターを加えて「足し算」でデコレーションされていますが、僕らは、旬の素材の味をシンプルに引き出す和食のように、カカオと砂糖だけで素材の良さを表現する「引き算」でチョコレートを作っています。粒子の大きさをマイクロ単位でコントロールするなど新しい製造方法を取り入れて、いろんなカカオの個性を伝える工夫をしています。

これは、日本人の感性でチョコレートを再構築するという事。日本人的な思想で作ったチョコレートが世界に広がれば、結果として日本人のものづくりのブランディングにもなると考えています。

最後にチョコレートの楽しみ方。カカオのザクザクした触感や香りを楽しむ「新しいチョコレート体験」を提供しています。テイスティングによって実際に触感や香りの違いを楽しんでもらったり、チョコレートを作るワークショップなどのイベントを開催したりして、チョコレートの概念や新たな消費の仕方を知ってもらっています。生活に彩りを与えるようなチョコレートの新しい消費スタイルを提案しているんです。

3つの点を新しくすることで、生産者、製造者、消費者の三方よしを目指しています。農家と共に新しいカカオを生産して、日本らしさを取り入れた製造方法でチョコレートを仕上げ、消費者のみなさんに楽しんでもらう。そして、消費するものに応じた対価をいただいて、僕たちは利益を取り、さらに面白いものを作ろうと生産地にお金を落とす。

このエコシステムが広がれば、お客さんはチョコレートの選び方が広がり、生産者からは「あの人の作るカカオを使ったチョコレートは美味しいらしい」とスター農家が生まれるかもしれない。誰も傷つかない未来を実現できると考えています。たぶんこの未来が実現すれば、「チョコレートを新しくする」というビジョンに近づけるはずです。

今、個人でこうなりたいという思いはあまりないんです。これまでは自己成長を求め続けていましたが、今は自分ではなく、関わっている人に意識が向いています。特に一緒に働いてくれている会社の人たちは家族のように大切です。だからこそ、入ってよかった、やりたいことが出来る、と思ってもらえる会社でありたいと思っています。目の前の人たちのために自分は何ができるのか、最近はこのことばかりを考えています。

2018.07.02

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