「なんでも相談してもらえる医者」を目指して。医者のネットワークで安心の医療を届ける。
整形外科医として働くかたわら、医師同士の実名制相談サービス「Antaa(アンター)QA」を運営する中山さん。医者同士のネットワークを構築することで、どこでも安心の医療を受けられる社会をつくることに尽力しています。中山さんの活動の根底にある想い、理想像とは。お話を伺いました。
中山 俊
なかやま しゅん|整形外科医
翠明会山王病院整形外科医師。アンタ―株式会社代表取締役CEO。
医者になってからでも遅くない
鹿児島県の奄美大島で生まれました。父が銀行員で3年ごとに転勤があったので、鹿児島市、熊本市、串木野市(現いちき串木野市)と引っ越しを繰り返していました。引っ越すたびに、なんとなくよそ者扱いされるのがつらかったですね。せっかく慣れたと思うと、また転校が待っていました。
小学校4年生のときは、串木野から1時間くらいかけて鹿児島市内の塾に通っていたので、移動中に本を読むのが習慣でした。小説や戦国の偉人伝を読んで、人の人生を追体験するのが楽しかったです。中学から鹿児島市内の私立校に入り、寮で暮らすことにしたので、そこからはようやく一つの場所に落ち着きました。
高校2年生で文理選択をする頃、進路について考え始めました。父を尊敬していたので、金融や経済に興味がありました。父の部屋にあった経済の本を読んでも理解できないことが多くて、本の内容を理解できるようになりたかったんですよね。いずれは、経済などの仕組みをつくる仕事をしたいと思っていました。
でも、家族には地元で医者になってほしいと言われていました。理系から文転する方が楽だと考えてとりあえず理系に進みましたが、受験までずっともやもやしていました。成績は医学部に受かるライン上でしたが、自分の行きたいところに行くべきなんじゃないかという気持ちがあったんです。でも、面と向かってはなかなか言えず、ある日出がけに玄関で、思い切って「医学部に受かっても行かないよ」と母親に言いました。
すると母は「医学部に入って、医者になってから次のことを始めたって遅くない。24歳になってもやりたいことがあったら、その時進路を変えてもいいんじゃないの」と言ったんです。「医者になってから他の仕事はできるけど、その逆は難しい」と。
その時の自分は、確かにそうだなと思いました。目の前の受験のことだけ考えていたら、自分の可能性を狭めてしまうかもしれないなと。やりたいことをするのは24歳になってからでも遅くないし、そのときにまだ金融をやりたかったら、それからでもいいんじゃないかなって。そう思ったら、医者の仕事にも興味がわいてきました。
それで、鹿児島県の大学の医学部に進学することに決めました。
自分の努力で人を救える仕事
大学ではバスケに夢中で、勉強には熱心ではありませんでした。医療の勉強を自分ごとだと感じ始めたのは、実習に行き患者さんを担当するようになった5年生の頃です。
実習では、小児科で白血病の子どもを担当しました。僕と同じ名前の、8歳の男の子でした。その子は、抗がん剤がつらくても「退院したらみんなに追いつかないといけないから、勉強しなくちゃ」と言うんですよ。学生ながら、その子が退院できないことはわかっていました。それでも、退院した先の未来を見ているんです。
結局、その子は亡くなりました。とてもつらかったですが、同時に、医者として自分のできることは何だろうと考えさせられました。今は医師免許がないので、何もすることができない。だけど、医者になれば、自分なりに考えて、患者さんのために何かができるかもしれない。努力次第で、この子と同じような病気の人を治すことができるかもしれない。
医者ってすごくやりがいのある仕事なんじゃないか。そんな想いが芽生え、心を入れ替えて、勉強するようになりました。
また、どんな医者になりたいかも考えるようになりました。僕の理想は、患者の困っていることに幅広く対応できる医者でした。僻地や離島の医者のように、地域の人たちの困りごとに対応できて、信頼されて、なんでも相談してもらえる。そんな医者になりたいと思ったんです。
理想に一番近いのが、総合診療医でした。そこで、総合診療に強い東京の病院を研修先に選びました。地元で医者になることを希望していた両親も、自分の想いを話すと「気のすむまでやってみなさい」と応援してくれました。
2年の研修では想像通り幅広い経験ができ、研修が終わった後も、そのまま総合内科に残ろうと思いました。しかし、医者2年目の夏、自分は骨折を全く診れないことに気づいたんです。骨折の治療は、災害など何か緊急事態があったときに絶対必要になりますし、専門じゃなくても診る機会が多いんです。しかし、整形外科の研修では救急対応する機会があまりなく、骨折の治療方法を学べませんでした。また、手術の経験も少なくて、そのまま内科医になったら、外傷が診れない医者になってしまうと不安に感じました。
そこで、総合内科ではなく、整形外科に進むことに決めました。幅広く診れる医者になるためには、整形外科も学ぶ必要があると考えたんです。
このままでは患者を殺してしまうかもしれない
そこから2年間、整形外科で骨折をはじめ、外傷の治療を学びました。しかし、ふと気が付いたら今度は、整形外科以外を診れなくなってしまいました。研修医が終わる頃は全般的な知識があったのに、いつの間にか整形外科のことしかわからなくなってしまったんです。
専門外のことでも、基礎知識があれば調べたり、誰かに聞いたりできますが、わからないことが増えすぎてそれすらできません。たとえば、交通事故などで整形外科に運ばれた患者さんで、血圧が急激に落ちている場合に、看護師に、血圧を上げるための薬を指示しなければいけないんですが、言葉が出てこないんです。薬の量、比率、投与の時間など、以前は細かく指示できたはずなのに、それが出てこない。緊急のとき、それらを一つ間違えたらアウトです。このままだと患者さんを殺してしまうかもしれないと、強い危機感を持ちました。
医者はなんでも知っていると思われているかもしれませんが、全ての医療知識を記憶しているわけではありません。覚えているに越したことはないですが、専門性が高くなるにつれ専門外の知識は抜けていってしまいます。最新情報もどんどん更新されていきますから、すべての分野の情報を常に追い続けることは現実的に不可能です。昔は本やメモで答えを探していましたし、今はウェブで検索する人もたくさんいます。
しかし、ネット上には出所が不確かな情報も多くて、必要な情報になかなかたどり着けません。専門外の医者でもわかるような方法で、正しい情報に素早くアクセスできる必要性を感じました。インターネット上に医者のための情報があれば、専門外の患者に対しても、正しい治療ができると考えたんです。
しかし、自分で医療の記事を書くには限界があります。だったら、他の医者から情報をもらって、自由に参照できるようにしたらいいと考えました。どの医者も、勉強会用に自分の専門分野についてまとめたスライド資料を持っているものです。それを集めて、医者同士でシェアしようと思ったんです。
医者同士のネットワークをつくる
医者の資料を共有するサービスを始めましたが、「なんでお前に資料を渡さなくちゃいけないんだ」と言われることも多く、協力者がなかなか集まりませんでした。知人からは、「人に何かをしてもらう前に、自分から先に価値を提供しなきゃいけないんじゃないか」という指摘を受けました。
そこで、「24時間365日、整形外科のことなら5分以内でなんでも答えます」というサービスを始めたんです。内科医100人にくらいにSNSの連絡先を教えて、相談が来たらすぐに返信しました。
1日1回くらいは連絡が来て、いろいろな相談がありましたね。レントゲンが送られてきて骨が折れているかどうか相談されたり、「鎖骨が折れてるけどこれは今すぐ整形外科に送った方がいいですか、それとも明日でも大丈夫ですか」「ギブスと三角巾、どちらで固定するほうがいいですか」と相談されたり。そういった質問に答え続けていると、実際に会った時に「何か困ったら聞いてください」と言ってくれたり、僕がやろうとしていることに共感してくれる医者が増えてきました。
そこで、整形外科だけでなく、医者同士で相談できるサービスを作ろうと考えました。さらに、将来を見据え、質問に自動回答してくれる機能をつけることにしました。エンジニアとチームを組み、開発を始めるタイミングで、IBMの人工知能「Watson(ワトソン)」を使った新規事業立ち上げプログラムの募集があったので、応募することにしました。幸運にも採択され、そのタイミングで会社を作り、本格的に医者と起業家のパラレルワークが始まりました。
実際に開発を進め、いろんな分野の医者に話をきくようになると、質問に対して自動回答するWatsonのサービスは一筋縄ではいかないことがわかりました。専門性や個別性が高くて、定形の回答が難しいんです。そこで、もともと僕がやっていたことの延長線上で、医者の質問に対して別の医者が答える実名制の相談サービスとして、「Antaa(アンター)QA」を立ち上げました。
いい医者であり続けるために
現在は週の半分弱は病院で整形外科医として働き、残りの時間は起業家としてサービスの普及や改善に取り組んでいます。
AntaaQAは現在、1000人以上の医者に利用してもらっています。たとえば先日は、内科医の先生が夜中に「腹痛の患者が産婦人科っぽいんですけど」と書き込むと、7分後に一人、10分後にもう一人別の産婦人科の先生が答えていました。これでその患者さんは助かるんです。
実名ということもあって、みんな丁寧に対応しています。答えてもらった後のフィードバックやディスカッションも盛んに行われています。会ったことのない医者同士でも、サービス上でやりとりをした後に会うと「あのときはありがとうございました」となり、リアルの医者同士のつながりも生まれています。
これまで医者は、自分の専門外の治療が必要だった場合、自分の分かることはやるけれど、わからないときは「専門の先生に診てもらってください」という対応をすることがほとんどでした。様々な専門医がいる大きな病院ではいいかもしれませんが、小さな病院や夜間救急では、一人で判断を下さなければならないこともあります。医者にとって、専門外のことに対して緊急の判断をするのは、迷いもあります。そんなとき、AntaaQAがあれば、専門の医者の意見を聞くことができます。現場の医者の不安は減りますし、患者さんもより安心して診てもらうことができます。
今後はもっとユーザーを増やして、いろいろな領域の疑問に答えられるようにしたいです。「困ったときはお互い様」で助け合っているコミュニティなので、いろいろな分野の医者が参加してくれることで、サービスが向上します。
いろんな先生と会うので知識は増える一方、現場に立つ時間が減っているので、現場での対応力やちょっとしたことに気づく力が成長していないように感じ、一人の医者として怖さもあります。ただ、AntaaQAは、自分だけではなく、医者のみんなでつくっているサービスです。このサービスが社会インフラになる日を目指して、やり続けたいと思っています。
今は、医者の人数不足や診療所の偏在などで、医療に不安を感じる人が多く、離島じゃなくて都会に住むとか、車で何時間もかけて専門の科がある病院に行くとか、患者が医者を選んでいる状態です。しかし、AntaaQAが社会のインフラになり、医者がネットワークでつながるようになれば、一人の医者のバックには何万人もの医者が控えている状態を実現できます。そうなれば、地球上どこにいても、安心して医療を受けられるようになると思っています。
「この先生に話せば大丈夫」と患者に信頼される医者に、みんながなったらいいですね。それが、僕の理想とする医者の姿であり、あるべき医療の形だと思います。
整形外科医もAntaaQAも、両方とも自分がいい医者であり続けるために必要なこと。理想の医者像を実現し、患者がどこにいても安心して医療を受けられる社会をつくります。
2018.06.06