鹿児島県の奄美大島で生まれました。父が銀行員で3年ごとに転勤があったので、鹿児島市、熊本市、串木野市(現いちき串木野市)と引っ越しを繰り返していました。引っ越すたびに、なんとなくよそ者扱いされるのがつらかったですね。せっかく慣れたと思うと、また転校が待っていました。

小学校4年生のときは、串木野から1時間くらいかけて鹿児島市内の塾に通っていたので、移動中に本を読むのが習慣でした。小説や戦国の偉人伝を読んで、人の人生を追体験するのが楽しかったです。中学から鹿児島市内の私立校に入り、寮で暮らすことにしたので、そこからはようやく一つの場所に落ち着きました。

高校2年生で文理選択をする頃、進路について考え始めました。父を尊敬していたので、金融や経済に興味がありました。父の部屋にあった経済の本を読んでも理解できないことが多くて、本の内容を理解できるようになりたかったんですよね。いずれは、経済などの仕組みをつくる仕事をしたいと思っていました。

でも、家族には地元で医者になってほしいと言われていました。理系から文転する方が楽だと考えてとりあえず理系に進みましたが、受験までずっともやもやしていました。成績は医学部に受かるライン上でしたが、自分の行きたいところに行くべきなんじゃないかという気持ちがあったんです。でも、面と向かってはなかなか言えず、ある日出がけに玄関で、思い切って「医学部に受かっても行かないよ」と母親に言いました。

すると母は「医学部に入って、医者になってから次のことを始めたって遅くない。24歳になってもやりたいことがあったら、その時進路を変えてもいいんじゃないの」と言ったんです。「医者になってから他の仕事はできるけど、その逆は難しい」と。

その時の自分は、確かにそうだなと思いました。目の前の受験のことだけ考えていたら、自分の可能性を狭めてしまうかもしれないなと。やりたいことをするのは24歳になってからでも遅くないし、そのときにまだ金融をやりたかったら、それからでもいいんじゃないかなって。そう思ったら、医者の仕事にも興味がわいてきました。

それで、鹿児島県の大学の医学部に進学することに決めました。