自己中心的な生き方から一転、 ご遺族に寄り添った新しい葬儀の形を作る。

【株式会社リコリス提供】遺族にとって理想の葬儀の形とはなんなのか。7000組以上の葬儀に立会った経験をもとに、既存のやり方に縛られず、一組一組にぴったりの葬儀をプロデュースする森井さん。自身の仕事を通して、「もっと愛に溢れる社会にしたい」と考えています。やんちゃだった過去の自分と決別し、人のためにと起業するに至った経緯とは。お話を伺いました。

森井 功介

もりい こうすけ|株式会社リコリス 代表取締役
かながわセレモニーサポートを運営。従来の葬儀に加え、家族葬、海洋散骨、ペット葬などお客さんのニーズにあった葬儀スタイルに幅広く対応している。また、遺品整理やお墓じまい、終活サロンなどのサービスも行っており、自身は厚生労働省認定1級葬祭ディレクターの資格を持つ。
※この記事は株式会社リコリスの提供でお届けしました。

自己中心的だった学生時代


神奈川県藤沢市に三人兄弟の末っ子として生まれました。幼少期はよく父親に連れられ江の島や鵠沼の海へ。海が好きになりました。両親は共働きで、年の離れた兄と姉は一人暮らしをしていました。寂しさを紛らわすため、両親が帰ってくるまで、外で友達と遊びまわっていました。そんな私を気遣い、姉は、たまに実家に帰ってきて私に会うと、「あなたにさみしい思いをさせてしまって申し訳ない」といつも優しく声をかけてくれました。また、祖父のことも大好きで、家が母親の勤め先の近くにあったこともあり、よく遊びに行っていました。祖父の膝の上はいつも従兄弟と取り合いになっていた思い出があります。

小さい頃からスポーツをすることも大好きでした。小学校から中学まではサッカーに夢中で中学ではサッカー部副キャプテンとしてキャプテンを支え、リーダー的存在に。中学の部活引退後は、親友に誘われサーフィンに夢中になりました。サーフィンの雑誌に出たこともあります。また、10代後半は波を求めて一人で海外に行ったりもしていました。

遊んでばかりで、勉強は全然していません。中学卒業後は、家から近くて学力的に手が届きそうだった工業高校に進学。知り合いは一人もいませんでしたが、学外に交友関係を広げ、バイト先の先輩に海外へ連れて行ってもらったりと、ますます遊びまわるようになりました。

人に言えないようなやんちゃなこともしていて、そのたびに父から怒られました。大概のことは許してくれましたが、約束を破るとか、物を大切にしないとか、人として当たり前のことをしなかった時は、徹底的に追及され、叱責されました。そんな父が煩わしく、反発していました。

それでも、道を踏み外さなかったのは、母が側にいてくれていたからだと思います。母はスナックを経営しており、「外で遊ぶならうちの店で遊びなさい」と言ってくれていました。友人とはスナックで飲み食いすることが多く、他の飲食店でハメを外すことが少なかったです。また、常連さんと仲良くなり、「お袋に迷惑かけんじゃねえぞ」とか、いろんなアドバイスをもらったこともよかったですね。

進む道を決めた、お客さんからの感謝


高校卒業後は、姉の旦那さんが経営する水道屋で働き始めましたが、1年経たずに辞めてしまい、その後はとび職として働いていました。

とくにやりたいと思うようなこともなく、なんとなく仕事をしていた19歳の時、大好きだった祖父が突然亡くなりました。なくなる2、3ヶ月前、たまたま家に遊びに行っていたのですがその時は元気そうでした。しかし、体調を崩し、入院したという連絡があり、大丈夫なのかなと心配していたのですが、しばらくすると「危ない状態です」と病院から突然呼び出されました。私が夜、駆けつけたとき、まだ息はあったのですが私たち家族の呼びかけには答えられず、苦しそうな様子でした。私は何度も泣きながら祖父の名前を呼びましたが、意識が戻ることはなく、そのまま息を引き取りました。

そんな経験から人の死について考えるようになり、同時に、ご遺族に対して何かサポートしてあげられることはないのかと葬儀の仕事に興味を持つようになりました。たまたま妻の父が葬儀会社の専務をしていたので、自分が興味を持っていることを伝えると、「それなら働いてみるか?」と聞かれ、葬儀会社で働き始めることにしました。

私が勤めた葬儀会社では、一組のお客さんに一人の担当者がつく仕組みでした。打ち合わせから式の手配、運営まで全て一人で行うので、式に関わる全ての知識を持たなければなりませんでした。短い研修を受けてすぐ、私も一組のお客様の担当を任されました。右も左もわからず不安でいっぱいの中、家族を亡くしたご遺族の方々と打ち合わせをするという極限の状況に陥ったわけです。

とにかく一生懸命、教えられた通りに打ち合わせを進め、自分ができる最大限のサービスを提供しました。すると、全ての段取りが終わり、葬儀場を後にする直前に家族の方から「あなたでよかった、ありがとう」と言われました。本来なら私の方から、「拙い仕事を我慢してもらってありがとうございました」と伝えたかったにもかかわらず、感謝され、葬儀は究極のサービス業だなと感じました。その瞬間、一生この仕事に関わっていこうと決心しました。

また、葬儀会社で人の死を目の当たりにして、「人ってこんなにあっけなく死んじゃうもんなんだ」と驚きました。当たり前ですが、死は誰にでも平等に訪れるもんなんだなと思ったんです。それまで私は、なにも考えず生きてきたのですが、命の儚さを感じ、限りある人生だからこそもっとしっかりと生きていかなければと思うようになりました。

もっと満足のゆくサービスを提供したい


仕事を初めて3年ほど経った頃、第二子が生まれました。上の子が生まれた時以上に感動し、号泣してしまいました。産んでくれた妻に対しても、自然と感謝の気持ちが湧きました。葬儀屋として日々人の死に触れているからこそ、死と生は隣り合わせであると痛烈に感じており、新たな命が生まれた時の感動が大きくなったのです。

それまではどちらかといえば亭主関白でしたが、妻に感謝できるようになり、友人や他の誰かのことも考えられるようになりました。また、何事にも感極まるようになり、ちょっとしたことでも心が動くようになりましたね。

仕事においては、長く勤めるうちに、葬儀業界全体にはびこる会社都合の考え方が目につくようになってきました。式場が空いているからと、お葬式の必要性を感じていないご遺族に対してもわざわざ式を挙げることを勧めたり、料金の内訳が不透明なことをいいことに、プラン全体の料金が上がるようにいろいろなオプションを追加しようとする。そのくせ、マニュアル外のサービスは求められても対応しません。時代の変化と共に、式もお墓も不要で極力費用がかからないようにしたいといったニーズが増えているのに、その声も応えられません。

お客さんから本当に求められ、かつ時代にマッチしたサービスを提供したいと考えるようになりました。勤続10年の節目の年、さらに10年後の自分を想像してみましたが、今の会社でどうなっていたいかビジョンは浮かびませんでした。それで、独立を決心しました。

経営のノウハウはありませんでしたが、それまで7000組以上の別れの現場に立ちあってきた経験から、自分の思い描く理想のサービスはお客さんに求められるはずだと自信がありました。トップスピードで準備を進め、会社を辞めた1ヶ月後には自分の会社を立ちあげました。

事業としては、従来の葬儀のやり方だけでなく、家族葬やペット葬、海洋散骨といった、ご遺族の幅広いニーズに対応できるサービスを始めました。理由としては、当たり前ですが、亡くなる方はそれぞれ、年齢も、性別も、家の中での立場も、何もかも違い、それぞれの家族にとって求める葬儀の形は違うと思ったからです。

業界の関係者には、うまくいくはずがないと反対する人や自分たちのお客さんが取られるんじゃないかと嫌な顔をする人もいましたが、全く気になりませんでした。私は同業他社に対してサービスを提供しているわけではありませんし、お客さんのことしか考えてなかったからです。

ご遺族が後悔しないために


現在は、葬儀関係の他にも、遺品整理や墓じまい、仏壇の販売や終活サポート相談まで幅広くサービスを提供しています。

特に心がけていることは、まず、一組一組に合ったプランを提供すること。そのためには、家族が何を望まれているのかしっかりと耳を傾ける必要があります。例えば、海洋散骨というサービス。私がもともと海が好きだということもありますが、土地柄、海に馴染みのある方も多く、生まれ育った故郷の海に帰りたいと希望する方もいます。宗教的な縛りが薄れてきた現代、新しく望まれるようになってきているサービスだと思います。

また、料金体系を明快にすることも心がけています。最初に、葬儀を行うために必要なすべての費用を含んだ「これっきり価格」というものを提案していて、追加料金が発生しないようにしています。ご遺族は、家族の死に直面し、ただでさえ心の負担が大きいので、せめて経済的な負担は軽くしたいと思っています。

さらに、家族が故人とお別れする時間をなるべく長くすることも意識しています。例えば、告別式が1時間だった場合、お経をあげ終えるとすぐに出棺しなければならず、家族が故人と過ごせる時間はほとんどありません。それが事前にわかるのであれば、式の前に早めに集まってもらい、家族だけの時間をつくります。また、あえて孫世代を呼ばずに、子どもだけの時間を作ってもらい、若かりし頃の家族に戻り、原点に立ち返ってみてはどうかと提案することもあります。家族と故人との関係性を考慮しながら、最高の式を提案するようにしています。

葬儀中、なかなか目の前の死を受け入れられないご遺族も多くいらっしゃいます。そんな方々には、まずは現実をしっかりと認識してもらい、その上では故人に対して最後にしっかり思いを伝えてもらうようにしています。ありがとうなのか、お疲れさまなのか、かける言葉は人によって違いますが、しっかりと伝えられなければきっと後悔すると思うのです。

今後は、葬儀のサポートにとどまらず、終活のお手伝いもしていきたいと考えています。自らの死について考えるということは、人生の棚卸しをするということ。そこで初めて気づく家族への気持ちもあるでしょうし、自らがやり残したことに目を向けることで、残りの人生でやりたいことをやろうと前向きになれるのだと思います。終活をするには若すぎるということはなく、むしろ30代40代のうちから自らの死について考えておくことで満足の行く生を歩めるのではないかと思います。

お葬式自体はもちろん大切なものですが、儀式はしなくても、ご縁や思い出などを改めて感じることはできます。あえてお葬式をしないことも自分らしさです。既存の枠組みにとらわれず、一緒にご自身の死について考えていければと思います。

また、葬儀を通じ、地域の人々に改めて家族への感謝や愛を感じてもらうことで、愛の溢れる社会にしていきたいです。それが、これまで自分勝手に生きてきた私が、生まれ育った土地にできる恩返しだと思っています。

2018.05.31

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