パソコンを買ったおかげで、ネットを通じて横浜市民病院で人工肛門を閉じる手術ができると知りました。前の病院の医者には一生人工肛門だと言われていたので、びっくりして。半信半疑で横浜市民病院に行ったら、手術を受けられることになり、無事成功しました。

もしこういう手術があることを知らなかったら、一生人工肛門のままだったかもしれない。情報を掴めてよかったと思いました。そしてなにより、「手術をしてくれたイケてる先生のおかげでハッピーになれた」と思ったんです。

この出来事をきっかけに、医者になろうと決めました。僕を治してくれた先生みたいなゴッドハンドの医者が増えれば、たくさんの人が幸せになれると考えたんです。自分のような潰瘍性大腸炎の患者さんのために生きようと思いました。

医学部受験に向けて、まずは半年間自宅学習をしました。学力も体力も全くないところからのスタートです。参考書を読んでもわからなかったので、どうしようかと思って。その時、学力が低いところから勉強して成績が上がった人が書いた本を何冊か読んだら、全員がノートに書きまくるという勉強法をしていることに気が付きました。だから真似しようと思い、新聞の社説などをひたすら書きましたね。

その後、体力がある程度つくと予備校に通い始めました。全然わからなくてつらい思いをしましたが、人生で初めて持った夢だから、ちゃんとやらないと悔いが残ると思って。自分に合っている勉強法、自分にできることだけに絞って学び、少しずつ成績を上げました。2年間の予備校通いの末、無事高知大学の医学部に合格することができました。

入学した時は、もう5年くらい人とまともにコミュニケーションをとっておらず、体力もない状態でした。でも、外科医というのはコミュニケーションの職業と言われるくらい人との関わりが大切ですし、体力も必須です。この2つを持っていないのは致命的だと思ったので、大学時代にはこれを養おうと思いました。

まず体力がつきそうだからとラグビー部に入部。そして、コミュニケーションに関する本を読んだり、知らない人に話しかけるといった努力をしました。最初、医学部に自分みたいなやばい経歴の人間はいないだろうと思っていましたが、色々な人と出会ううちに自分より変な経歴の人もたくさんいることに気づいて。ここなら自分のすべての過去が受け入れられるのではと思いました。実際にみんなに認められて、暗い過去がポジティブに変わっていきました。だんだん、「自分は生きててもいいのかな」と、生きる価値を見出せるようになりました。

それから、大学では泣けるくらい何かに打ち込んで、今までしてこなかった青春をしたいと思いました。そこで学園祭でのイベントを運営に携わり、ダンス部の友人のためにステージの後ろで流す映像を作ったり、フライヤーを作ってまいたりとさまざまな活動をしました。自分ではなく、他人のために全力で頑張る経験を通して、利害関係なしに誰かのために自分を燃やしきれることが青春なんだな、と実感しました。