それでもあきらめない 50歳からの夢|渡邉 二郎/JIRO WATANABE

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現在の活動内容を教えてください

2017年11月 安定した大手電気メーカーを退職し、日本の文化でありアートである工芸を中心に体験できる場、工芸カフェを2018年4月オープンに向け準備をしています。

今の活動を始めたきっかけを教えてください

高校時代、何も取り得が無く将来への不安ばかりがありました。その頃、アルバイト先で出会った美大生の作品を見てその凄さに感動しました。それから、私も同じような絵がかきたいと考えるようになり、美大を目指しました。しかし、当時の美大の倍率が高く結局2年浪人してやっと、大学に入れました。当時、3人兄弟で母親一人で家計を支えていました。とても浪人生活費を負担させるわけにもいかず、私は住み込みで新聞配達しながら予備校に通いようやくつかんだ大学生活。大学ではほぼ全員が大学院に進学し作家になるのが当たり前でした。私もとうぜんそうなると、考えていました。しかし、大学3年に母ががんになり、その冬に他界しました。突然のことで何も考えられず、大学4年の秋に。残された兄妹に相談したら、やはり家計は厳しいので就職することにしました。就職から現在までとても素晴らしい生活をさせて頂きました。しかし、やはり大学の頃にやり残したことがあると感じ、アート、工芸を通じて貢献したいという思いが膨らみ、工芸カフェをオープンすることにしました。

人生の転機・現在に繋がっていると思う出来事を3つ教えてください

ひとつめの出来事を教えてください

母の”がん”による突然の死から大学院の夢を捨てるです

それはいつのことですか?

大学3年(20歳)の春

具体的な出来事について教えてください

2浪してようやく入学できた大学。大学院へ進み学びたいと考えていました。しかし大学3年の春、母ががんと診断されました。当時私を含め3人の子供を母一人で育てていました。それまでの苦労が病気につながったのかもしれません。通院、治療の効果なく3年の早春、母は他界しました。今まで苦労ばかりかけ、何も恩返し出来ていない悔しさで、毎日悔んで過ごしていました。気が付けば4年の秋。私は大学院へ進みたい思いを捨てられず現実逃避。しかし経済的にも大学院に進める余裕がないことは、わかっており、就職の道を選びました。その学年では私一人だけが先学校を去ります。悔しくて送別会で涙が止まらなかった事を今でも鮮明に覚えていま。

それを通して考えたことや、変わったことはありますか?

大学院に心を残したまま就職した私は、気持ちも中途半端で上手くいくはずありません。それでいてプライドだけはある、ダメな新入社員でした。しかし、就職先の先輩方は丁寧に仕事を教えてくださいました。就職先は、照明器具メーカーです。照明器具を使って快適な空間をデザインする仕事。食べ物がおいしい光のデザイン。屋外の広場で安全な光ののデザイン。野球場のライトアップデザイン。劇場の光のデザインなど、多くの仕事を通じてデザインとロジカルシンキングを学びました。そして客様の喜ぶ姿やデザインしたものが雑誌や表彰されることで、少しずつ自信が持てるようになりました。

ふたつめの出来事を教えてください

またも大切な家族、家内の”がん”から、大学院への入学を決心です

それはいつのことですか?

家内も”がん”に(48歳)

具体的な出来事について教えてください

32歳で結婚し3人の子供にも恵まれました。そして憧れていた日本を代表する電気メーカーへの転職も果たし、主任、マネージャー、シニアマネージャーと仕事も順調でした。その頃突然妻ががんと診断されました。またしても大切な家族を。私の妻でもあり、子供の母親である妻を死なせる分けにはいきません。もう大学3年の辛い思いは絶対したくない。子供にも辛い思いをさせたくない。何より一番つらいのは妻です。妻と一緒に必死になりがんと向き合い家族全員で戦いました。手術と2度の抗がん剤により髪は抜け落ちた妻。辛い治療に耐えがんを克服したのです。本当にうれしかった。家族が全員いる喜びと死生観を考えるようになりました。

それを通して考えたことや、変わったことはありますか?

死生観を真剣に考えるようになりました。私も母が亡くなった年齢になりいつ死んでもおかしくない。自分はこのまま死んで後悔はないのか?問い続けた時、自分らしく生き、そしてもっと社会に貢献したいという思いが強くなりました。しかし日本経済は停滞している。どうするか迷っていた頃、経営大学院の存在を知りました。私に欠けている知識、経営やマーケティング、アカウンティングやファイナンス、HRなどを体系的に学べる。そして何より「志」を問い発見できる。自分らしく生き社会に貢献するために知識を学び、何をすべきか志を明確にするために大学院入学を決めました。24年ぶりの大学院入学の夢をかなえたのです。

みっつめの出来事を教えてください

日本のアートである工芸を世界に届けたいという思いです

それはいつのことですか?

2016年1月 大学院入試のエッセイ執筆にて(49歳)

具体的な出来事について教えてください

大学院入学試験ではエッセイと面接が必要でした。エッセイのテーマは今までの自分を振り返り強み、弱み、失敗したこと、それらを踏まえ大学院で学びたいこと。学んだ後に何をしたいのかでした。そのために幼少時代からの自分を振り返りました。そこで書いた事は、日本は2020年まではオリンピック効果で景気は良いだろう。しかし、その後何もしなければ、衰退してしまう。労働人口の減少、新興国に対する労働賃金の高さ。技術的優位性の衰退。それらを考えると新たな強みが必要です。希少性であり模倣困難性を有し、世界に優位性のあるもの。それはもしかしたら、日本の文化であり、文化の一つであるアート・工芸ではないかと考えました。

それを通して考えたことや、変わったことはありますか?

大学院に入学し1年が経過し、基礎クラスは学び終え、経営戦略、マーケティング、思考系、人系についての基礎は学び、経営についての基礎知識は得はじめていました。2020年以降に向けて、日本の文化であるアート・工芸を新たな日本の強みにし世界に発信したいと考えました。年齢も50歳となり人生100年時代の節目。母や妻のがんのように自分もいつ死んでもおかしくない。であればジョブズが言うように、今日死ぬとしたら何をすべきか自分に問い、自分の大切な事、好きな事であり、得意な事で世の中に貢献したい、エッセイに書いたことを実現する時期だと判断し、退職を決意しました。妻や子供にもわがままな選択を謝罪し理解を得ました。

将来やりたいことや、ありたい姿を教えてください

2017年11月末にお世話になった会社を退職し、世界に向けて日本の文化・工芸を伝えることで、日本や世界に元気にできる人や事に貢献できればと考えています。そのためには、2020年に向けて海外からくる多くの方に日本の文化・工芸を知ってもらい興味関心を持ってもらう必要があります。日本人が好きでないと、海外の方に自信を持って推薦できません。ですのでまずは日本向けに活動し、2020年以降、世界に向けて発信できるよう準備したいと考えています。

その中で、3年以内に実現したいことがあれば教えてください

2018年4月に立川市及び立川商工会議所の支援を受け、テストマーケティングを1年実施し、その結果を検証、集成し戦略や戦術を検討します。
・2018年4月  東京都立川市でテストマーケティングのための店、工芸カフェReaLenceを開店
・2020年以降 日本及び世界に

好きな言葉を教えてください

自分の価値観を知り、価値観に正直に生きる

キャッチコピーをつけた理由を教えてください

22歳で母の死。そして大学院進学をあきらめた。でもすべては夢を追うために必要だったのです。

略歴

東京藝術大学 美術学部卒業
GLOBIS経営大学院入学
ヤマギワ照明 TLヤマギワ研究所
NECデザイン&プロモーション(株)
AIS代表
ReaLence代表

作成日2018年02月27日

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