母の言葉はずっと心に残っていましたが、大学ではどうしても勉強が好きになれず、バイトと趣味のバイクに明け暮れる毎日でした。

大学4年になっても特に将来やりたいことが見つからなかったので、とりあえず大学院に行こうと考えました。その考えを親戚に話すと「大学院は良いけど、お前の母を早く楽にさせてあげたほうがいいんじゃない」と言われてハッとしました。自分の都合しか頭になくて、母の苦労を全く考えてなかったと気づいたのです。

やりたいことがないから大学院に逃げるのではなく、ちゃんと働こうと考えるようになりました。就活を始めたのが4年の秋だったので、採用を続けている企業はほとんどありませんでしたが、選り好みせず受けた結果、電機メーカーのシステムエンジニア職の内定をもらえました。

就職してすぐは、消防署のシステムの担当を任されました。消防署は24時間体制なので、緊急時にはいつでもすぐにシステムの対応に駆り出されました。人命がかかった精神的負担が大きい業務で残業も多かったので、かなりしんどかったです。

そんなとき、より規模の大きい電機メーカーの大量中途採用の募集を知りました。精神的な負担や残業が少ない会社に移りたいと思い、転職を決めました。

新規事業のシステムエンジニアとして入社しましたが、残業や海外出張が多く、前職と遜色ないほど激務でした。9.11のテロが起きた時期だったので、海外に行くのが怖くて、心的な負担も大きかったですね。

仕事のストレス解消に、毎晩飲み歩いていました。結婚して子どももいましたが、飲むのが仕事と言い張って家族サービスを完全に放棄していましたね。申し訳ない気持ちはどこかにありましたが、「自分には父像がないから、良い父親になれなくてもしょうがない」と自分を正当化させていました。