青森県三沢市に生まれました。1歳のときに白血病で自衛官だった父が他界し、母の実家のある静岡県に引っ越しました。母が女手一つで頑張っている姿を見て、苦労をかけないようにとなるべくおとなしくしていました。

母子家庭の支援や遺族年金をもらって生活していたので、母からは「世間様から支援を受ける立場なんだから、一歩引いて生きなさい。目立とうとしないように」と言われて育ちました。そんな教えもあってか、人の顔色をよく見るようになりましたね。

勉強は要領よくできるほうで、高校は地元の進学校に通いました。高校1年生のときはバブル景気の真っ只中で、経済学部を志望していました。しかし、翌年バブルが崩壊し、世間では「働き口がなくなる」と騒がれるようになったんです。

文系の学部よりも、専門性が高い勉強ができる理系の学部の方が就職しやすいかもと思い、2年の秋に理系に転向しました。担任の先生からは「今から勉強を始めても間に合わないからやめとけ」と止められましたが、要領よくこなせる自信がありました。

他の生徒に追いつくため必死で勉強していると、それを見た先生が、推薦で行ける大学を紹介してくれました。しかし、自分に自信があった私は、より高みを目指してその申し出を断ったのです。

迎えた大学受験。できると思って臨みましたが、蓋をあけたら全滅でした。理系に転向してから時間がなかったのが原因だと思ったので、浪人してあと1年頑張ろうと思いました。ただ、母子家庭で経済的に余裕がないのに浪人していることは、みんなに知られたくありませんでした。「母に迷惑をかける息子だ」と思われるのが恥ずかしかったんです。地元から離れた場所に下宿して予備校に通い始めました。

それから1年間はすごく真面目に勉強に取り組みました。その結果、なんとか東京の国立大学に合格できたのですが、そこは1年前、推薦を断った学校でした。この1年のお金と時間は何だったのだろうと落ち込みましたね。

ただ、そのことを母に告げると、「その大学に行く運命だったんだよ。1年余分に頑張る経験ができて良かったじゃない」と言われ、すごく心が救われました。母がこんなに優しい言葉をかけてくれるのは、母自身も父がいなくなってから物事を前向きに捉え直して生きてきたからなのかもしれない。そう思うと、言葉に重みを感じました。