結婚を機に人生が動いていった人の人生まとめ3選

結婚は大きなライフイベントですが、それによって人生が動いていった方をご紹介します。







大学卒業後、人材系の企業に新卒1期生として入社しました。設立3年目、社員数も20名程度の、
パートタイムの人材派遣に特化したベンチャー企業です。
オフィスワークで働いていた経験をパートというスタイルで働きたいという既婚女性と、
コストを抑えて優秀な人材を採用したいという企業のマッチングをしている派遣会社でした。

私自身、就職活動にはかなり苦労したのですが、
ありのままの自分を受け入れてもらえた唯一の会社であること等から、入社を決めました。


その会社で5年半程働いたタイミングで結婚をしました。28歳の時です。

夫がシンガポールで働くことになったため、
結婚を機に私自身もシンガポールに渡ることに決めました。

先入観もなく、ワクワクした気持ちで移住したシンガポールでしたが、
東京と比べると、私のように海外に住んだことも、英語力も高くない日本人が働ける業界や職種は非常に限られており、
ましてや自分がキャリアとして積んでいきたかった広報の仕事は日本人の転職マーケットにはほとんど出てこない特殊な仕事でした。

妊娠した喜びと同時に、シンガポールでの出産、子育てについて、
あまりにも分からないことだらけの不安な日々がスタートしました。
ただでさえ人生で初めての妊娠。シンガポールで出産を経験した友人はいませんでしたし、
妊娠初期は、先が見えない不安でいっぱいでした。

病院のこと、出産の費用のこと、保険のこと、産休のこと、
出産後については職場復帰後の子どもの預け先のことなどなど。
日本語で手に入る確かな情報がなかったので、情報はとにかく人づてで足を運んで集めました。
すると、皆さん初めて会った方にも本当に良く頂いてして、不安が勇気に変わったり、
子どもが産まれてくる楽しみに変わって本当にありがたかったんです。



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しかし、3年ほど修行していたある日、右半身が麻痺してしまい板前を諦めざるを得ない状況になってしまいました。
せっかく持てた夢だったのですが、また諦めることになったんです。

この後は、また職を転々としていましたね。
インドネシアで人材派遣会社の設立に携わった時には、
自分に1000万円の生命保険がかけられていることを知ってまた人間不信になったり、
自分で飲食店を経営したんですが、廃業してしまったり、ホストなんかもしたりして生計を立てていました。
飲食店経営に失敗してからは地元で働くのが難しくなり、
東京に出て来て、半年くらいは小学生からの同級生だった友人の家に居候もしていました。

そして21歳の頃に結婚してから、人生をやり直そうと思いました。
結婚相手は自分とは全く真逆の人生を歩んできていて、
両親も公務員の暖かい家庭で育っていて、すごく純粋で無垢だと思ったんです。
この人と一緒にいたら自分は幸せになれるんじゃないかと感じて、結婚に踏み切ることができました。

そしてここからはフリーターではなく、昼の仕事をしたいと思ったのですが、
仕事に関して知識もなく、将来経営をすることを見越して経理が必要と考え簿記の資格を取ったりもました。




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その後、バスケットを引退してからまず最初に考えたのは、

「追われることなく、普通に過ごしたい」

ということでした。

名門校の出身だったこともあり、学校の名前だけで勝手に評価をされることも多く、
「一人の人間として生きていきたい」という感覚があったんですよね。

そのまま所属している会社のOLになり、
遅くまで仕事をして、同僚と飲みに行ったり、週末の連休を満喫したり、
それまでできなかったこと全てが新鮮でしたね。

ところが、結婚をし30歳を目前に、「もっと人と接する仕事がしたい」という気持ちが強くなったんです。
2年後に夫が転勤をするタイミングだったこともあり、
今やるしかないと考えるようになったんです。

そう考える中でたどり着いたのが、「栄養士」として子どもに携わることでした。

学生時代、貧血で過呼吸など苦しい思いをしていたんですよね。
ひどい時は1日おきに注射も打つほどでした。

そんな中、ある栄養士の方との出会いで、原因が分かったんです。

「なんで私だけ」

と思っていたのが、すごく救われた気がしました。

そんな経験があったからこそ、同じ経験をしているような子どもの役に立ちたいと考えるようになり、
栄養系の短期大学に進学することを決めたんです。



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2014.10.22