体育の日ということで、体育の先生の経験がある人の人生まとめ

あいにくの台風直撃ですが、体育の日にちなんで、体育の先生をしていたことのある人の人生を紹介します。








その後、知り合いの紹介で社会人の強豪チームに参加してプレーを続けながら、
地元少年団のコーチとして子どもにサッカーを教えたりするようになりました。
正直、チームではあまり活躍できないことばかりだったんですが、
大学卒業の頃には「プロになりたい」と思うようになっていました。

結局、頂いていた内定は辞退して、大学卒業後はサッカーのプロになるための専門学校に通うことにしました。

24歳の頃、知人の紹介で、専門教員免許がなくても先生になれる「市担教員」になる機会をいただくことができ、
全校生徒11人の山の中にある小学校で1年間働くことになりました。

山の学校と聞くと、わんぱくで運動をしている子どもを想像するかと思いますが、
山間部は車での移動が多いので肥満児も多いんです。
その子どもたちは、あまり運動が得意ではなく、運動は好きじゃなかったんですよね。

ところが、自分がコツを見せていくうちに、その子たちが運動ができるようになって、
どんどん運動好きになっていったんです。
今までできなかった事ができるようなった瞬間の子どもたちの嬉しそうな表情が、
めちゃくちゃ好きになりましたね。



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社会人になってからの大会では、100mの日本ランキングで2位という所まで成果を出せたんです。
そこで、この成績ならどこでも雇ってもらえると思い、思い切って2年間務めた役場を辞めることに決めました。

ところが、勢いよく飛び出していったものの、どこも雇ってくれなかったんですよね。
段々と危機感を感じ始め、本格的に就職活動を始めました。


結局その会社では、5年間陸上選手として日本一を目指しました。
大会にも精力的に出場し、日本選手権では最高で3位という成績も残すことができました。
しかし、日本一になることはできないまま、引退を決めていたレースを迎えたんです。

最後のレースの決勝の前、僕はトイレで泣いていました。

競技人生を通じて、自分を信じることができなかったんです。

「1位になれない」

と、自分で思っていたんですよ。

でも、そんな思いで涙を流した後は、どこか気持ちが吹っ切れたような気がしました。
そのまま、自分を信じて最後のレースに臨み、現役の選手生活を終えました。

現役を引退した後は、漠然と陸上を教えたいと思うようになりました。
「それならば選択肢は教員しかない!」と思い、高校の教員になることにしたんです。

実際に専任教師として働き始めると、希望どおり陸上部の顧問になることができました。
それからは、部活で陸上を教えることに熱中しましたね。

ところが、ある放課後、いつも通りすぐ部活に向かおうとすると、
他の先生から、

「とりあえず、30分ぐらいここに座って待っててください」

と言われたんです。
他の先生から見た時に、私が部活だけに熱中しているように見えるのを避けるためだったんですよね。

その時、

「陸上を教えるために教員になってよいものなのだろうか?」

と考えるようになってしまいました。



菅野 優太さんのインタビュー全文はこちら

2014.10.13