走り続けて見出した、窮屈な社会からの出口。
世界中どこででも仕事ができる自由と幸せ。

日本に窮屈さを覚えてニューヨークに渡り、好きだと感じたPRや広報の仕事を始めたかみむらさん。帰国しフリーランスとして活動していましたが、経営者だった家族の影響から目指していた起業を、29歳で決意します。自分と同じように窮屈さを感じている人に出口を示したいと考えていた、かみむらさん自身が見つけた「出口」とは。お話を伺いました。

かみむら ゆい

株式会社itty selection 代表取締役CEO
2016年に株式会社itty selectionを設立。東京・ニューヨーク・ハワイの日系企業やブランドなどのPRをサポートする。PRライターやPRプランナーの養成講座を開くほか、ニューヨークやハワイを介したキャリアアップ支援も展開。

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経営者になりたい


フリーランスになってから、PRプランナー、PRライターとして活動していました。「かみむらさんのように自分の名前で働きたい」という相談が増えたことを受けて、PRライターの育成も始めました。ありがたいことに仕事は途切れず、個人でやっていく自信がつきました。

あるとき、経営者の父と話をしていると、「人生は1回きりなんだから、どうせやるなら社長になって、社員の人生を背負う責任を負ってみなさい」と言われました。人の人生に責任を持ったことで、父も人生が変わったんでしょうね。経営者一家で生まれ育ったこともあって、幼い頃から経営者には憧れがありました。父の言葉を聞いて、フリーランスの次のステップとして、本気で経営者を目指すことにしました。

ニューヨークにいたころから現地の先輩方のもとで経営の勉強をしていましたが、日本でも経営陣の友達を作り、考え方やスタンスを学びました。同年代の経営者はどういう感覚で働き、オフィスを持って、人を雇って売上をあげようとしているのか。彼らと一緒にいるうちに、徐々に経営感覚が身につきました。
フリーランスから法人化するのは難しいと思っていましたが、だんだん自分にもできそうだと思えてきたんです。人を雇ったり、オフィスを構えたりするにはどれほど売上が必要か算段がつくようになったし、社長の働き方もイメージできるようになりました。

加えて、育成しているPRライターも、初めからフリーランスを名乗るより所属先があった方が、顧客からの信頼性が高まり、働きやすいのではないかと考えました。そこで、フリーランスになって2年経った29歳の頃、PR、キャリア、海外の3つの軸で人々や起業の選択をサポートする株式会社itty selection(アイティセレクション)を設立しました。

世界中、どこででも仕事できる


ところが、起業してみると疎外感を感じるようになりました。フリーランスの時は多くの人が助けてくれたし、フリーランス同士横の繋がりもあったのですが、会社化したことで嫌がらせや噂話が増えたり、経営者という肩書きがあることで疎遠になる人が増えたんです。自分は変わらないのに周囲の評価が変わってしまったようでした。もちろん、変わらずに仲良くしていた友人もいましたが、東京にいるのがしんどくなりました。

同じ時期に、同棲していた彼と別れ、住み続けるのが辛くて家を引き払いました。仕事でもプライベートでも落ち込んでいて家を探す気力がわかず、ホテル暮らしを始めました。東京にいるのが辛かったので、奈良の実家にも月1週間ほど帰るようになりました。徐々に東京にいなくても、リモートで仕事できるコツを掴むようになりました。

どこでも仕事ができるなら、海外でもいいじゃんと思い、3カ月間ハワイに行くことにしました。ニューヨークに住んでいた頃から、いつかハワイに住んでみたいと思っていたんです。でも、もしこれで仕事がなくなったら、会社はやめてもいいと覚悟をしていました。

ハワイに行くと気持ちが落ち着き、だんだんと幸せを感じられるようになりました。そんな気持ちをSNSで発信したところ、予想外にたくさんの人からメッセージが届いたんです。「東京で待ってるよ」と言ってくれたり、「友人を紹介するよ」「ハワイにうちの支社があるよ」と助けてくれたりする人が現れました。そんな人たちのお陰で、ハワイでも仕事をいただけるようになっていきました。

そのとき、「どこに行っても仕事ってできるんだ」と体感し、本当の意味で自由を感じたんです。東京で無理やり頑張らなくても、世界中どこででも働ける。今いる場所が100%幸せだと思えないなら、別のところにもっと大きな幸せを探しに行けばいいんだと思い出したんです。

これまでは、違う土地に行ったらせっかく東京で積み上げたものがゼロになってしまうから怖いと思っていました。でも、大切なものは何も無くなりませんでした。築いてきた信頼関係や努力はどこにいっても助けてくれるんだ。だからもう、自分はどこに行っても大丈夫だと自信がつきました。自分にとっては、どこでも働けることが、窮屈な世界からの「出口」だったのだと気がついたんです。

出口を見つけるサポートをしたい


自分自身が出口を見つけ自由になったあと、より一層「そんな風に働きたい」「どうすればできるんですか?」という声が増えました。そこで、そんな子たちが自分でビジネスを作り、どこに行っても仕事ができるためのサポートや、フリーランス育成を進めていきました。

PRプランニングとPRライティングの基礎を伝えるほか、マーケティングやブランディングの視点も養い、企業のPR施策の上流から実践で携われるようにしました。加えて、多他拠点で働いたり、海外で仕事をする方法も積極的に伝えています。自分が経験したからこそ、彼女たちにできるアドバイスが増えましたね。

起業した時から、いつか父が言ったように、人の人生を背負う経験をしたいと考えていました。しかし、彼女たちを社員として雇う形にはしませんでした。雇ってしまったら、会社に依存させてしまうかもしれないと思ったんです。私にとっての「人の人生を背負う責任」とは、社員として雇って固定給を払うことではなく、彼女たちが自立して生きていけるようにすることだと思いました。

実際に、サポートしている子の中にもフリーランスとして活躍する子が出てきました。複業家として活躍している子も多いです。彼女たちが「ここに所属してから、すごく自由になった」「人生って、年を重ねるごとに楽しくなるものなんだと思えるようになった」と言ってくれるのをよく聞くので、日々、大きな達成感があります。「窮屈さを感じている人に出口を示したい」という夢を、叶えられたと実感しましたね。

100%幸せな毎日を続ける


今は、株式会社itty selectionの代表取締役CEOを務めながら、国内外を行き来して自由に働いています。

5年前に考えていた「窮屈さを感じている人に出口を示したい」という思いは1億パーセント達成できたと感じているし、他の夢も片っ端から叶えてきたので、今は絶対に達成しなければ後悔するというような目標はないんです。大好きなPRの仕事はずっと飽きずに続けていくと思いますが、これ以上望むものはないくらい幸せな気持ちですね。経営者としても自分が目指していたところまではやり切った実感があるので、会社もいずれ、やりたい子に譲ってもいいと思っています。

今後は、夢を叶えたあとの人生をどう楽しんでいくかが大事だと考えています。刺激を求めるというより、価値観の合う人たちと一緒に美味しいご飯を食べて、遊んで、仕事をする日々を大事にしたいですね。いつ死んでも後悔しないと言い切れる毎日を続けていきたいです。

2019.05.08

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