人類をアップデートしたい。
「個としての限界」のその先へ。

ベンチャー企業でライン業務から離れた「フェロー」として働きつつ、個人投資家としても活動していた山口さん。そのすぐ後に、独立のため、勤めていた会社を退職します。しかしその後、共同代表という形で再度会社に所属することに。その背景にある想いとは。お話を伺いました。

山口 豪志

株式会社54代表取締役社長
2015年株式会社54を創業。常時約30社のスタートアップ企業のアドバイザーとして事業戦略策定、BtoBアライアンス支援等のコンサルティングを行う。2017年7月よりプロトスター社へ参画し、代表取締役COO。


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順調な個人投資家としてのキャリア


フェローとして働いていた会社は、個人投資家の活動に専念するため30歳で退職。ベンチャー企業への投資・支援事業一本に絞って取り組むことにしました。

個人投資家としてやっていくつもりでしたが、クライアントへの信用を担保し、お付き合いできる会社の幅を増やすため、31歳のときに株式会社54を設立。

独立してすぐは、ベンチャー企業支援事業を行うかたわら、尊敬している世界的なベンチャーキャピタリストの方のオフィススペース活用を任されて取り組みました。

具体的には、ベンチャー企業同士が情報を交換しつつ一緒に仕事ができる、ベンチャー企業専用のコワーキングスペースを作ることに。

イベントの定期開催も行い、テレビに取り上げられるなど順調に知名度を伸ばし、利用希望者も増えました。また、入居企業の業績も伸び、スペースを共有することの価値も出せるようになりました。

コワーキングスペースの運営業務についてはボランティアで取り組んでいましたが、本業でコンスタントに稼いでいたので資金的には困りませんでした。それに、会社員時代に比べて自由で、ベンチャー企業の支援というやりたいことができ、最高の生活だと思っていました。

個としての限界にぶち当たる


自分が満たされると、今度は自分以外の人たちも満たしてあげたいと思うようになりました。自分の周りの人たちにも、もっと自分のやりたいことが実現できるようになって欲しいと思ったのです。

しかし、一緒に仕事をする中で伝えられるクライアントの数には限りがあります。もっと普遍的に広く自分がこれまで蓄積してきたノウハウを還元するにはどうすればいいのか考えた結果、本を出すことに。携わってきた業界にも恩返ししたいという気持ちもありました。

合わせて、対面での支援でも、もっと関わる人の幅を増やそうと考え、全国47都道府県を回り、フリーランスや起業家を対象とした事業立ち上げのノウハウを共有する「事業スタートカンファレンス」という大掛かりなイベントキャラバンのプロジェクトを開始しました。

平日は個人投資家やコンサルタントとしての通常業務に取り組み、週末になると全国各地を飛び回る生活でした。

ところが、活動を始めて見ると、当初立てていた見積もりが甘く、手持ちの資金だけでは全国を回れないことが発覚。スタッフの人件費や移動・宿泊費、会場代と想定よりも多くの費用がかかったのです。慌てて資金繰りに奔走しました。

また、体力的にも非常に大変でした。自分も他のメンバーも別の仕事があるため、イベントは週末に寄せる必要があります。日中にイベントを開催し、終わったらすぐに隣の県に移動して、同日の夜には二カ所目のイベント開催するなど、売れないバンドマンみたいな過密スケジュールで動いていました。

その中でも特に辛かったのは、カンファレンス参加者のモチベーションの低さや柔軟性の無さでした。例えば、とある参加者からもらった質問に対しての回答で、最初に先方の事業の構想を聞き、まずは実際に思い描く世界観が実現できるのか、手近なところから小さい規模で始めてみたら、とアドバイスします。しかしその参加者は頑なに自らの構想通りに最初から数億円規模の建物を建てて進めていきたいという自案にこだわり、私のアドバイスに聞く耳を持たないというものでした。

また、カンファレンスの参加者として僕らのイベント会場の真ん前の席に座って袋をおもむろに出し、エンドウ豆かなんかのヘタ取りとかを始めるおばあちゃんもいました。わざわざここでそれをやるの?と驚きましたね。

様々な種類の苦労して進めているのにもかかわらず、今自分がやっていることは全く意味のないものなのかもしれないという不安が募りました。

精神的にも体力的にも追い込まれていきましたが、相談できる仲間がいなくて、プレッシャーは募る一方でした。動悸が激しくなったり、眠れなくなったりと体調に異常が見られるようになり、何をするにもやる気になれず、予定がない日は布団から出たくないと思うようにもなりました。

それでも、途中でプロジェクトを諦める選択肢はありませんでした。自分との約束を破るワケにはいかないし、何よりも投資し支援する起業家に「諦めないこと」を求めているのに、自分が途中で放棄してやり遂げないワケにはいかないと思ったのです。

予定していた全国50箇所を回りきったときは、達成感よりも、やっと終わったという安堵の気持ちでいっぱいでした。

この活動を通じて、個の限界を強く感じました。イベントのサポートスタッフも数名いましたが、基本的には僕が発起人でありメインの責任者。課題感を一人で抱え込んでしまい、悪くなる状況を改善することもプロジェクトをよりスケールさせることもできませんでした。「急いで行くなら一人で行け、遠くに行くならみんなでいけ」という有名なアフリカのことわざが腹落ちした瞬間でした。

理想の世界を実現するには個人では限界がある。どうすればスタートアップ企業の支援を拡大することができるのか、尊敬する先輩経営者の方に相談しました。すると、同じような志を持ってスタートアップの支援をしている人達と一緒に活動したらどうか、と誘われました。その2名とは以前から面識はあり、理想とする世界観も自分と近しいものを感じていました。

そこで、代表取締役COOとしてその2名が経営するプロトスター社へジョインすることにしました。

人類をアップデートする


現在は、株式会社54とプロトスター株式会社の両方で、ベンチャー企業の育成や支援を行なっています。

株式会社54では、私一人で対応可能な顧問や社外取締役など小規模なコンサル案件や、書籍出版などスピーディに形にできるプロジェクトに取り組んでいます。プロトスター株式会社では、メンバーとともにチームで時間や手間がかかっても取り組む価値のある大型案件に取り組んでいます。まさに「急いで行く」ための取り組みは54社で、「遠くに行く」ための取り組みはプロトスター社で行なっている感覚です。

どちらの会社でも、投資や支援先を決める際に重視しているのは、儲かるかどうかよりも、社会的に意義のある事業を行なっているかどうか。儲かる事業がいけないと思っているわけではありませんが、儲かる事業への投資は放っておいても自分以外の誰か他の人がやってくれるだろうと思っているので。

これまでは、研究者やベンチャー企業の経営者など個人を成功させたいと思って、支援してきました。しかし最近は、他者へ貢献したい欲求が高まった結果、貢献したい相手が個人や組織という規模から人類全体へと広がっているのを感じます。

生物種が繁栄するということを言い換えると、個体数の増大と生息域の拡大です。地球の資源には限りがあり、このままではいずれ地球というもの自体が人類の進化への制約条件になってしまうので、地球以外の資源を使えるようにしたり、地球の表面以外に住めるようにしたいということも考えています。

そのためには、人類皆が協力し合える世の中を作ること(=その結果としての世界平和)と、更なる科学技術の発展が必要だと考えています。特に科学技術を発展させるためには、短期的には儲からない研究にも目を向けなければならないと思います。例えば、僕が専攻していた昆虫の分類学で「ナントカというテントウムシのこういう行動が調査できました」という新たな発見も、短期的にはお金にはなりません。しかし、人類全体からすると「新しい知を得る」という点でとても有益なことだと思うのです。

アートも同じです。音楽、映画、絵画や小説などは、なくても生きていくことはできます。しかし、それらがあることで感性を高め、心理的な気づきを広げることができ、心を豊かに暮らしていくことができます。
そういう想いを具現化すべく現在、自身で集めたアート作品のコレクション展を開催すべく取り組んだりしています。

今後も、理想を掲げ続け、賛同者を増やしながら人類のアップデートに向けて活動していきたいです。

2019.01.18

取材・執筆・写真撮影 | 種石 光
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