日本人はなぜ疲弊しているのか。マニラのスラムで知った豊かさの矛盾に向き合い、社会の仕組みの変革を目指す
新卒で入社した大手企業を経て、単身での海外語学留学、スタートアップでの海外拠点立ち上げと、常に自分の心に従ってキャリアを切り拓いてきた高橋さん。現在はサステナブル・ラボ株式会社の執行役員兼COOとして、環境への配慮や働きがいといった企業の見えない価値をデータで可視化し、社会の仕組みをより良くする事業に挑んでいます。
また2026年3月より、学校・自治体・企業向けの主体性やウェルビーイング向上支援の場づくりを提供する「Wellbeing Commons」という団体も立ち上げ、活動されています。
「マニラのスラム街で見た景色が、僕の人生の向きを変えました」と語る高橋さんが、社会の仕組みと個人の幸せに伴走する人生を歩むようになるまでの軌跡を伺いました。
高橋 浩太郎
大学を卒業後、大手保険会社での代理店営業、米国での語学留学を経て、スタートアップ期の株式会社ユーザベースに参画し、その後シンガポールに渡り海外事業展開を牽引する。退職後、英ロンドンへ渡りMBAを取得する。その後社会課題をテクノロジーで解決する社会起業の準備中に、当時創業後間もないサステナブル・ラボの代表と出会い、経営メンバーとして参画、現在はCOOを務める。2026年3月より、学校・自治体・企業向けの主体性やウェルビーイング向上支援の場づくりを提供する「Wellbeing Commons」を立ち上げる。国際コーチ連盟(ICF)認定プロフェッショナルコーチ(PCC)。
10年なんて待てない。自分の意思で選んだ海外への道

私は北海道で生まれ、5歳から高校を卒業するまでは秋田県で育ちました。親が釣り好きだったこともあり、週末はよく釣りに出かけていました。
また、音楽にも熱中し、小学生でピアノ、中学生でアコーディオンを始め、高校や大学でもバンド活動に没頭していました。ビートルズやクイーンなど、70〜80年代の洋楽ロックをよく聴いていましたね。
大学を卒業してからは、「色々な業界の人と関わりたい」という思いから、新卒で大手保険会社に入社しました。しかし、入社2年目で福島に配属されていた頃、ひとつの転機が訪れます。
当時の話ではありますが、海外赴任を希望する人向けの研修に参加した際、海外で活躍している先輩たちが皆、35歳を超えているという事実を知ったのです。その時私は24歳。「海外に行くには、あと10年も待たないといけないのか」と、強い葛藤を抱きました。
「10年も待つより、自分で出たほうがいい」。自分の親しい友人仲間も海外に飛び出し始めたという影響もあり、自分の意思で自由に動きたいという思いが次第に強くなり、会社を辞めて単身でロサンゼルスへの語学留学に飛び立ちました。
マニラの摩天楼とスラム。突きつけられた豊かさの矛盾
留学から帰国後、当時40名強の組織であったユーザベースに入社しました。先進的なプロダクトを開発するユーザベースは当時成長期のど真ん中で、事業も従業員数も倍増し、大変でしたが刺激的な日々を送る事ができました。入社して3年目には、念願だった海外駐在の切符も掴み取りました。
シンガポールをベースにしつつ、アジア各国の事業展開に奔走する日々を送っていましたが、フィリピンのマニラに初めて訪問した際の事は記憶に残りました。中心部にある高層ビル街の一端で、現地クライアント向けのプレゼンを終え、エレベーターを降り、そして数ブロック歩くと、そこにはスラム街が広がっていたのです。
それまで日本で生まれ育った私としては初めての光景であり、同時になぜここまで(格差が)極端な構造になってしまっているのかと、大きな衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えています。
その後真剣にアジア各国の発展の歴史などを調べるようになり、アジアだけではなく世界的に、これまでの行き過ぎた資本主義や経済合理性が、凄まじい格差を助長して来た事を学びました。一方で、当時出会ったマニラのローカルの方々は非常に明るく、人間らしさや温かさすら感じたのです。
経済的に豊かなはずの日本のビジネス街ですれ違う人々は心身が疲弊し、幸福度も決して高そうには見えない。世界幸福度を測るレポート等でも、日本の幸福度は先進国の中ではそう高くはない(※図り方や定義については諸説あります)などとニュース記事もよく目にすると思いますが、経済的な豊かさと心の豊かさは、必ずしも相関するわけではないのだ、と当時痛感させられた瞬間でした。
それからというもの、この掛け違えたボタンを直す方法はないのだろうか?と悶々とした思いを抱き、考えるようになりました。
対症療法で社会は変わらない。テクノロジーを武器に、仕組みの変革を
テクノロジーを武器に社会課題を解決する社会起業家のような道を志したいと考えた私は、事業が軌道に乗っていた会社を辞め、ロンドンへ渡ってMBAを取得することにしました。 そこで学んだのは、社会課題をシステム(構造)として俯瞰的に捉える視点です。例えば、イギリスで深刻だった公衆衛生の課題。実は、個人の不摂生だけが原因ではなく、構造的な要因が潜んでいます。
都心のスーパーには健康的なサラダが並ぶ一方で、郊外の店には安くて高カロリーなピザやドーナツばかりが陳列されている。安価なものを選ばざるを得ない環境が、結果として人々の健康を損ない、巡り巡って国の医療財政を圧迫している。すべての問題は、目に見えない糸で繋がっているのだと痛感しました。社会に良い方向へ変えていくには、川下の対症療法ではなく、金融や投資の判断基準といった上流の仕組みから変えていく必要があると確信しました。
そんな中、環境領域のビジネスモデルを構想して投資家を回っていた頃に、サステナブル・ラボの平瀬CEOと出会いました。彼らには壮大なビジョンがあり、私にはプロダクトの構想がありました。「お互いの武器を合わせれば、ビジョンを実現できる」と直感した私は、MBAの卒業式にも出ずに急いで帰国し、ジョインを決めたのです。
優しさと強さを両立させ、一人ひとりの幸せに伴走したい
現在、私たちが事業として取り組んでいるのは、企業の働きがいや女性活躍、多様性といった財務諸表には表れない非財務的価値が、企業価値(財務)にどう貢献するのかを詳細なデータとして可視化することです。
この取り組みは大手企業や投資家向けに留まりません。地方銀行と連携して全国の中小企業が自社の価値を可視化できる仕組み作りを主導したり、私の原体験の地でもあるフィリピンの政府機関と連携してアジアにもデータ基盤を広げたりするなど、多角的に事業を展開しています。
社会課題を解決するには、優しさだけでなく、既存の資本主義のルールの中で勝ち抜く強さ(経済合理性)が必要です。あらゆる経済活動の意思決定に非財務的な判断基準をデータとして実装することで、資本主義の仕組みそのものに変革をもたらしたいのです。
そうした事業を展開する一方で、私はシンガポール時代に出会ったコーチングを本格的に学び、今もプロのコーチとして個人の人生設計に向き合う活動を続けています。なぜなら、社会という大きな仕組みを変えたとしても、最終的にそれを実現し幸せを感じるのは人だからです。日本人には、自分がどう生きたいか、何が本当の幸せかというライフデザインについて考える機会が少ないと感じています。
投資や融資の基準を見つめ直し、資本主義という社会のインフラに優しさを埋め込んでいくこと。そして、関わる一人ひとりの内発的な変化の思考パートナーとして伴走し続けること。社会というマクロと、個人というミクロの両輪からアプローチしていくことが、今の私自身の生きがいだと思っています。

“対話と内省”から始まる、新しい社会へのアプローチ
そして最近では、こうした「社会の仕組み」と「個人の内面」の両方に向き合う取り組みとして、新たにWellbeing Commons(ウェルビーイングコモンズ)という任意団体も立ち上げました。
これまでサステナブル・ラボで取り組んできたのは、非財務データを通じて企業や資本市場の意思決定を変えていく、いわば“社会の上流”からのアプローチです。一方で、その意思決定を行うのはあくまで一人ひとりの人間であり、その人自身が「どう生きたいのか」「何を大切にしたいのか」に向き合えていなければ、本質的な変化は起きないのではないか、という思いも強くなっていきました。
ウェルビーイングコモンズでは、学校・自治体・企業といった現場に入り、対話や内省の場を通じて、個人の主体性やウェルビーイングを育む機会をデザインしています。単なる研修や一過性のワークショップではなく、異なる立場の人たちが交わりながら、自分自身や社会のあり方を見つめ直す“共通の土台(Commons)”をつくることを目指しています。
マニラで感じた「経済的な豊かさと心の豊かさの乖離」という問いに対して、ひとつはデータと仕組みで社会を変えること。そしてもうひとつは、人の内側から変化を生み出すこと。この二つは別々のものではなく、本来はつながっているものだと考えています。
だからこそ私は今、社会の構造を変える仕事と、一人ひとりの人生に伴走する活動の両方に取り組んでいます。どちらか一方だけではなく、この両輪を回し続けることが、これからの時代における本当の意味での「豊かさ」につながっていくのではないかと感じています。