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1+1を無限大にする「絆(ヘレンガ)」の経営。最高のパートナーと出会い、僕らは企業の「本質的価値」を再構築する。

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企業や個人の本質的な価値を発掘し、戦略的デザインで具現化する株式会社HERENGA。

代表を務める内山さんは、大手企業でのトップセールス、MBA取得、副業での成功と、華々しい経歴の持ち主です。

しかしその原動力の裏には、少年時代の父の倒産、実家の喪失、そしてラグビーでの挫折という「這い上がるための物語」がありました。

なぜ彼は安定を捨てて起業したのか。そして、父への恩返しとは。内山さんの人生の軌跡と、未来への挑戦を伺いました。

内山 貴之

うちやま たかゆき|株式会社HERENGA 代表取締役

東京都出身。立教大学卒業後、ソニー株式会社に入社。放送局向けの法人営業に従事し、トップセールスとして活躍。在職中に早稲田大学大学院(MBA)を修了。2023年に株式会社HERENGAを設立し、独立。「個別化」をキーワードに、企業のブランディングや事業開発支援を行う。会社経営の傍ら、大正大学での非常勤講師及び駒沢大学体育会ゴルフ部で助監督を勤める。

「差別化」の時代は終わった

現在、私は「株式会社HERENGA(ヘレンガ)」という会社で、企業やサービスが持つ固有の価値を磨き上げ、世の中に最適化して届ける仕事をしています。

私たちが掲げているのは「差別化」ではなく「個別化」です。

今の世の中、似たようなデザインや訴求方法が溢れかえっていて、他社との違いを出そうとすること自体が、もはや埋没する原因になっています。

だからこそ私たちは、クライアントの中に眠る「らしさ」の解像度を極限まで上げ、その企業にしかないストーリーや価値観を、Web、映像、SNS、社内コミュニケーションなど、あらゆる手段を使って再構築します。

例えば、ある清掃会社さんの事例では、「3K(きつい、汚い、危険)」と思われがちな業界のイメージを覆すため、そこで働く社員の方々を主役にしたスタイリッシュなブランディングを行いました。

その結果、Webサイトを見た映画関係者の目に留まり、社員の方をモデルにした映画『PERFECT DAYS』が生まれ、カンヌやアカデミー賞で評価されるまでのムーブメントに繋がりました。

私たちは、単に依頼されたものを作るだけの制作会社ではありません。経営戦略からクリエイティブまでを一気通貫で担い、クライアントと並走する「ブランドパートナー」でありたいと考えています。

父の背中と、失われた「日本橋のビル」

私のビジネスに対する執着心の原点は、父にあります。 私は日本橋の呉服問屋の次男として生まれました。

幼少期は比較的裕福で、何不自由なく育ちました。父が47歳の時に私が生まれ、そのタイミングで、日本橋浜町に5階建ての自社ビルを建てた経営者でした。

子供心に、そんな父の姿を誇らしく思っていたのを覚えています。

しかし、私が中学2年生の頃、呉服業界の不況の波に飲まれ、父の会社は倒産しました。

住み慣れた家を追われ、会社の上の階に住むことになり、やがてその会社も失いました。思春期の真っ只中で「家がなくなる」という強烈な体験をしたのです。

その後、母方の実家がある巣鴨に移り住みましたが、私の心にはずっと消えない炎が灯りました。「いつか父を超えたい」。

そして、「父が手放さざるを得なかったあの日本橋のビルを、自分の手でもう一度」。それが、亡き父への一番の恩返しであり、供養になると信じているからです。

父がビルを建てたのは47歳の時。だから私も47歳までに、あの場所をもう一度手に入れる。それが私の人生の裏テーマであり、ビジネスマンとしての強烈なドライバーになっています。

ラグビーが教えてくれた「役割」と「絆」

もう一つ、私の人格形成に大きな影響を与えたのがラグビーです。 高校からラグビーを始め、大学でも体育会ラグビー部に入部しました。

しかし、そこで大きな挫折を味わいます。大学3年の時、新しく就任した監督と折り合いが悪く、それまでレギュラー争いをしていたのに、一気に5軍まで落とされてしまったのです。

理不尽な扱いに、正直、腸が煮えくり返るような思いでした。でも、そこで腐って辞めるのは簡単です。

私は「圧倒的な努力しかない」と腹を括りました。 自分には何ができるか。強みは何か。

実は大学時代、ニュージーランドへラグビー留学をした経験があります。

そこで学んだのは、言葉が通じなくても、誰よりも早くグラウンドに行き、準備をし、ひたむきにプレーすれば信頼は得られるということ。

そして、ラグビーは体の大きい人、足の速い人、キックが上手い人、それぞれ全く違う個性を持つ15人が、一つの目的のために体を張るスポーツだということです。

私は、与えられた環境で泥臭く努力を続けました。

その結果、4年生の開幕戦でようやくメンバー入りを果たし、当時、日本一になった強豪・早稲田大学との試合でトライを決めることができたのです。

あの時の歓声と、仲間と抱き合った感触は一生忘れられません。

この経験は、今のビジネスにも通じています。自分一人でできることなんてたかが知れています。だからこそ、自分とは違う強みを持った人間とチームを組む。

お互いの凹凸を補い合い、個性を尊重し合うことで、1+1が2ではなく、3にも10にもなる。

社名の「HERENGA」は、マオリ語で「絆」を意味します。ニュージーランドで感じた、多様な個性が結びつく強さを、私はこの会社で体現したいのです。

ソニーという大企業で出会った「異能」

大学卒業後は、「どうせなら一番厳しい環境で自分を試したい」とソニーに入社しました。最初の配属先では厳しい指導を受ける日々でした。

しかし、そこでも「なにくそ」という反骨精神で食らいつき、やがてトップセールスの成績を残すことができました。

最後にはご指導いただいていた先輩からも「お前には勝てない」と言ってもらえるほどになりました。その先輩とは今でも交流が続いており、高い熱量で仕事について語れる間柄です。

ソニーでは多くの素晴らしい出会いがありましたが、最大の転機は、現在のビジネスパートナーである清水との出会いです。

2020年、コロナ禍の真っ只中でした。

銀座のプロジェクトの現場で、ふと喫煙所に行くと、デザイナーとは思えないラフな格好をした若者がいました。それが入社2年目の清水でした。

話してみると、彼は社内の人間でありながら、すでに個人で映像やWebの仕事をバリバリこなし、圧倒的なスキルを持っていました。

一方の私は、MBAを取得し、不動産投資などの副業で成果を出していましたが、クリエイティブを作る手腕はありません。

「俺が案件を取ってくるから、お前が作れるか?」 「作れますよ、何でも」

そんな居酒屋での軽いノリから、私たちの共闘関係は始まりました。 私はビジネスの戦略を描き、彼はそれを圧倒的なクオリティで具現化する。

性格も得意分野も全く違う二人ですが、だからこそ、お互いがリスペクトし合える。まさにラグビーでいう「適材適所」のベストパートナーを見つけた瞬間でした。

副業時代、私たちは多くのプロジェクトを成功させました。

私は副業収入が1億円、サラリーマンでゴルフのクラブチャンピオン、この2つを達成したらソニーを辞める決断をしていました。そして、そのタイミングが2024年にきました。

「自立した個」が集まる場所へ

HERENGAは、私と清水、そして信頼できる仲間たちで構成されています。私たちは、「10年後に笑って解散しよう」と話しています。

それはネガティブな意味ではありません。10年後には、会社という枠組みに依存しなくても、それぞれがプロフェッショナルとして独立し、どこでも生きていける「個」になっていよう、という約束です。

これからの時代、会社に守ってもらうのではなく、自らの名前で勝負できる力が不可欠です。HERENGAは、そんな自立したプロフェッショナルたちが集い、化学反応を起こすプラットフォームでありたい。

お客様に対しても同じです。型にはまったパッケージを売るのではなく、その企業だけの価値を見つけ出し、輝かせる。それが私の使命です。

かつて父が失ったビルを再び手にするその日まで、そしてその先も、私は仲間と共に走り続けます。泥臭く、けれど最高にクリエイティブに。それが、内山貴之の生き方です。