私は東京で長女として生まれました。

両親は教育熱心で、私がやりたいことはなんでも応援してくれました。
文化教養学園という文芸に力を入れている幼稚園に通っていたので、モダンバレエ、バイオリン、絵画などに取り組み、
習字、エレクトーン、ピアノ、水泳、英会話など、興味が湧いた様々な習い事をしていました。
ただ、大体1年位続けると、自分に向いているかどうかは分かってきて、
向いていないと思ったものは辞めていってもいましたね。

また、両親どちらの家系も商売をしていたので、自然と仕事は自分で起こすものだと思うようになっていきました。

そして、小学3年生の時、毎日通学中に出会う二人組の女の子の着る制服に憧れて、
私学である白百合女子学園への編入を目指すことにしました。
この時も親は応援してくれて、私はとにかく必死に勉強しました。
それこそ、トイレとご飯以外はずっと勉強していたんです。
その結果、4科目のテストも、30分ほどで終わらせてしまうほどで、無事試験に合格することができました。

そんな風に活発に過ごしていき、高校生になるとアメリカ留学もしました。
テレビで見る海外の生活に興味があり、本当はアメリカの高校に進学したいとすら思っていたんです。
留学を通じて、改めて言語はコミュニケーションの道具で、重要なんだと感じましたね。
それまで日本で勉強していた英語はあまり役に立たず、伝えるためにはどうしたら良いのか、とにかく考えていました。

また、高校3年間は「国語作文教育研究所」にも通っていました。
これは一種の物書き教室で、作文が苦手だった妹が通い始め、その最初の面談の話を聞いて私も行ってみたいと思ったんです。
その面談では、先生がりんごをテーブルに置き「なんだと思う?」と聞いてきて、
「りんごです」と答えると、「本当にこれはりんごなの?ちゃんと見てる?」と言われるんです。
物事は一面から見ても本質は分からない、上から横から中からなど、いろんな視点で見ないと本当の姿は見えてこないと。
そんな風に物事を見れるんだと感動して、その先生の下で学びたいと思ったんです。