1. >
  2. >

海外進出支援で、大好きな日本を変えたい。
17歳から歩み始めた、納得を持って生きる道。

兒嶋 裕貴さん/日本企業向け、海外進出支援事業プラットフォームの運営

はてぶ

日本企業向けに、現地法人の設立や販路の開拓などを行う進出支援企業を紹介するプラットフォームというカタチでの海外進出支援事業を行う兒嶋さん。父親の死を機に、自分が納得のいく生き方をしようと考えて歩み始めた17歳から、日本を変えたいという思いを持って起業する現在に至るには、どんな背景があったのでしょうか?お話を伺いました。

死を身近に感じ、生きるが輝きだした

東京に生まれ、小学校からお受験戦争の中で育ち、 中学からは私大の付属校に入学しました。
しかし、幼少期から型にはまったものには馴染まないタイプで、
「右向け右」的な考えや風習に、違和感を感じていましたね。

そんな思いを感じながらもエスカレーター式に高等部へと進み、
高校生活を送っていた17歳の時、父親が亡くなってしまったんです。

突然訪れた死という逃げようの無い事実に、
僕は、改めて「生きる」とは何だろうと考えるようになりました。

そうやって考え始めると、改めて自分が今の生き方に納得感を持てていないことに気づき、
学校のルールや受験など、周りに習って納得もせずに行動しているような雰囲気にもすごく気持ち悪さを感じたんです。

そこで、大学に入ってからは好きなことをしようと決め、
幼いころから好奇心が旺盛だったこともあり、関心を持っていた海外を見てみようと考えるようになりました。

それはまるで、「死」を身近に感じて、「生きる」が輝きだしたように感じました。

そんな思いから、大学1年の夏、1カ月タイを訪れました。
最初の印象としては、とにかくショックでしたね。
「こんなんで国が成り立つのか?」 という感覚でした。
昼間から道端でおっさんが寝てるし、マリファナも合法同然のように売買されている。
そんな非日常に衝撃を受け、それからは休みの度にアジアを中心とした海外を周るようになりました。

そんな大学生活を過ごし、3年生を迎えると、周りでは急に就職活動が始まりました。
しかし、僕はそこにも納得ができなかったんですよね。
皆一様に自身の進路を決めていく様に、「なんなんだろうこれ?」という違和感がありました。
海外を見て回っていたからこそ、「日本」に対する違和感もありましたね。

しかし、周りの中でほぼ自分だけが就職活動をしない状況に、
片親で大学に入れてもらいながら申し訳ないという気持ちもありました。
そんな悩みを抱えながらも、最終的には、 やはり自分には確固たる方向性が無いということにたどり着きました。
納得しないままに何となく決めるなんて無理だという感覚があり、
もっともっと色々なものを見てから決めようと思い、再び海外に足を運ぶことに決めたんです。

異国の地でたどり着いた「日本を変えたい」という思い