【12月4日イベント】Sunday Morning Cafe〜あなたの未来を変える生き方〜 ゲスト:平将明さん
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「あの人もがんになったのだから、大丈夫」
そんな存在になるために、再び描く未来。

鈴木 美穂さん/テレビ局報道記者・がん患者向け施設運営準備

はてぶ

テレビ局で報道記者として働く傍ら、がん患者と支える人たちのための相談支援センターの設立に取り組む鈴木さん。仕事もプライベートも一番楽しい時期だったという24歳の時にがんを患い、一度は目の前が真っ暗になったと話します。そんな鈴木さんが現在の活動に至るまでにはどのような背景があったのか、お話を伺いました。

スーパーウーマンのような仕事

東京に生まれ、横浜で育ち、小さい頃からクラスの活動の司会をしたり、イベントを企画したりすることが好きな活発な性格でした。

そんな性格の私に合うと考えたのか、小学5年生のクラスの担任の先生から、「テレビニュースを見たことがある?向いていると思う!」と突然言われたんです。

正直、テレビで見るのはドラマくらいだったので、ニュースは見たことがなかったのですが、先生の薦めもあり、実際に番組を見てみると、テレビを通してみた現場からニュースを伝える記者の女性の姿に、強烈な憧れを抱いたんですよね。

世の中のことを沢山知っていて、その中の部分を切り取ってテレビで伝える姿は、まるでスーパーウーマンのように見えました。
その日以来、私はテレビ報道の世界を目指すようになったんです。

その後、親の仕事の都合で小学6年生からはシカゴに住むことになったのですが、いきなり行くことが決まったこともあり、英語はもちろん話すことが出来ず、現地の学校に行ってからは本当に苦労しました。

それまでは、周りに常に友達がいたのに、転校したては周りとのコミュニケーションも取れず、1人でいるところを見られたくなくて、泣きながらトイレでご飯を食べることもありました。

そんな環境でも、「自分はテレビ局で記者になるんだ、そのためには英語も頑張らなくては」という思いが自分を支えていましたね。結局、ものすごい勉強の末、やっと学校に馴染んできたタイミングで帰国をすることになりましたが。(笑)

その後、中学3年生で日本に帰ってからは、受験を控えた時期だったのですが、私は、テレビ局に入りやすい大学のランキングを調べ、学校の校風に惹かれたことも加わり、慶應義塾女子高等学校に進学することに決めました。

高校では自由な雰囲気の中、行事やイベントに本気で取り組んで、充実した生活を送っていましたね。そして、大学の進学を控えた年には大学3年生向けにテレビ局が運営する就職活動のセミナーに、1人だけ高校の制服で参加するというほど、目標へのこだわりは変わらず続いていました。

「がんになったら死ぬんだ」