クリエイティブの力でプチ社会問題の解決を。 日立と東京、デュアルライフの新たな可能性。

デザイン会社の代表として、東京と地元茨城の2拠点で活動する鈴木さん。地元で多様な人々がつながるシェアスペースの企画や、クリエイターの育成に取り組む背景には、どのような想いがあるのでしょうか。お話を伺いました。

鈴木 潤

すずき じゅん|デザイン会社代表
企業のコーポレートツールやIRツールを提供するデザイン会社「インクデザイン合同会社」代表。東京と日立の2拠点での事業展開と、地域活動としてクリエイターの集まるシェアオフィス・イベントスペースなどの運用を行う。

Macとの出会いが人生を変えた


茨城県日立市で生まれました。小さい頃からこれといって夢中になったものはなくて、本や漫画を読んだり、ゲームをしている普通の少年でした。小学生になってから、学校という場にフィットしていないような違和感がありました。周囲から少し浮いているような感覚でしたね。

小・中学生の頃に一番記憶に残ったのは、テレビゲームの『ドラゴンクエストⅢ』をやったことでした。物語の最後に辿り着いたのが、シリーズ一作目の物語の始まりだったという展開に衝撃を受けたんです。三作目から一作目に時系列がつながるなんて、こんな面白いものがあるのかと、すごくワクワクする体験でした。そういう体験もあって、自分も何かものを作れる人になりたいと、漠然とした思いを持つようになりました。

高校卒業後は地元を出たいと考えていました。親元を早く離れたいと思っていたので、埼玉県にある文系の大学に進学しました。

大学の授業はつまらなかったです。部活には行っていましたが、授業に出ず、起きたら麻雀やパチンコをして、夕方になると飲みに出かけて。「こんなことをしていていいのだろうか」と、頭の片隅では思いつつも、なかなか止められませんでした。一方で、何か表現をしたいと、小説を書いたり、お笑いをやってみたりしましたが、特に結果は出ず。だらだらと過ごすうちに2回留年してしまいました。

自分の中でスイッチが変わったのは、5年目に入った情報系のゼミで、Mac(Macintosh)と出会った瞬間でした。初めてMacを触ったとき、そのデザイン性や機能の独自性に脳天をかち割られるような衝撃を受けたんです。このパソコンが普及したら、世の中が変わると直感しました。

すぐにのめり込んで、パラパラ漫画を作ったり、WEBサイトを作ったり、友達とパソコン通信で交流したり。Macを使えばデザインの仕事ができると知り、アルバイトで貯めたお金でMacを購入し、スクールにも通いました。

自由にデザインできる仕事をしたい


大学卒業後はデザイン会社に入りたかったのですが、大学でデザインを学んだわけではないので、入ることはできませんでした。そこで、紙面のレイアウトなどをデザインする仕事もある、印刷会社に入社しました。

しかし、僕が担当したのは、行政の報告書など文字しかないような印刷物でした。写真や文字の配置や配色を自由に表現するようなデザインとはかけ離れていて、がっかりしてしまいました。

要は、印刷会社はかっこ悪いと思っていたんです。それで、入社して5年ほど経つ頃には転職も考えはじめ、アートディレクター養成講座に通ったりもしました。ただ、大手で活躍している人の話を聞いても、自分がなりたい姿かというと、ピンとこなかったんですよね。それに、自分のスタンスを周りに伝えるわけでもなく、「印刷会社かっこ悪い」と言ってるだけの自分の方が、よっぽどかっこ悪いのではないかと感じるようになりました。

そこで、思い切って「もっと自由なデザインをしたい」と社長に訴えました。社長は「それなら自分で仕事をとってこい」と言いました。そのまま勢いで「分かりました!」と言って、営業を始めることにしました。

ただ、飛び込み営業をやってみたものの、結果は100戦100敗。「デザインやりませんか」「チラシつくりませんか」と声をかけても、1社たりとも反応は返ってきませんでした。やり方が間違っているのだと思い、知り合いに何かできることはないか訪ねて回るようになりました。

すると、学生時代に学んだコーディングの知識が役立ち、WEBサイト制作の仕事を頼まれるようになりました。ちょうど、どこの会社もWEBサイトを作り始めるタイミングだったんです。また、WEBサイトだけでなく、IR向けの資料のデザインをするようになると、IR業界で口コミが広がり、IR系の仕事が増えていきました。

家族との時間を大切にするための独立


僕が担当した事業の業績は右肩上がりで、たった一人で始めた仕事も、社内の4、5人が参加してくれるようになりました。ただ、WEBを中心としたデザインの仕事を増やそうとする僕の考えと、印刷物を増やして印刷機の稼働率を上げたいと考える周囲の考え方とは、ずれが生じてきました。事業計画を周囲にプレゼンしても、なかなか受け入れてもらえません。若干腐り始めていて、独立するしかないと考えるようになりました。

同じ頃、東日本大震災が起きて、時間の使い方を見直すことになりました。ちょうど子どもが生まれたばかりでしたが、僕は早朝から夜中まで働き詰めで、子どもと接する時間はほとんどありません。家族との時間をもっと大切にしたい。そのためには、今の会社で働き続けるよりも、独立したほうがいいのではないか。そんなことを感じていたんです。

独立することに不安や迷いはありました。家族を養うだけの仕事を作れるのだろうかと。ただ、いざとなったらアルバイトをすればなんとなかるだろうとも感じていました。40歳までには次の動きを決めたいと思い、39歳の誕生日に、会社をやめることを伝えました。

やめると決めた瞬間、それまでの心のモヤモヤは一気に吹き飛びました。「あ、空ってこんなに青かったんだな」と久しぶりに視界がひらけたような感覚でしたね。

自分で立ち上げたデザイン会社では、「デザインで社会を変えたい」と思っていましたね。デザインって、社会的に弱い立場にいる人や困っている人たちの背中を押してあげられるものだと考えていたので。

ただ、やりたい仕事と、現実的にお金を稼ぐための仕事の折り合いをつけることには苦労しました。もともと独立自体がゴールになっていて、その後の地道な事業の基盤作りをイメージできていませんでした。同時に、組織を出てはじめて、外の世界には凄い人たちがいることを思い知らされたんです。自分がまだ至らないことへの恥ずかしさや焦燥感、他の人間の活躍に嫉妬心を抱くこともあって、ストレスの多い日々でしたね。

現実のギャップに負けてしまわぬよう、自分たちの行動指針として、「PINK PUNK INC」という言葉を掲げました。同調圧力に屈しないパンクな心で、自分たちの信念に従い動くことを大切にしようと。目の前の仕事に全力を注ぎながら、少しずつ事業を軌道に乗せていきました。

地域には東京にはない面白いつながりがある


会社を立ち上げてから、4年ほど経った頃、地元の茨城県と日立市が県外のデザイン会社やクリエイティブ関係の企業を誘致することを知りました。頭の片隅で、東京だけで働くよりも、たまに地元に帰って仕事ができたらいいなと考えていたので、サテライトオフィスを持つチャンスかもしれないと考えました。

それで詳細を見てみたら、物件が実家の近くにあり、そこは子どもの頃から思い出のある場所だったんです。直感で何か運命的なものも感じて、問い合わせをした結果、その拠点に入れることが決まりました。

オフィスを開く準備のため、懐かしいなと思いながら、十数年ぶりに思い出の街にやってきました。ところが、目の前の光景に愕然としてしまったんです。通りには人がいないし、商店街の店は閉まっていて、それまで記憶していた街の活気はありませんでした。こんなに寂れてしまっていたのかと、ショックを受けましたね。これはなんとかしないといけないんじゃないかって、使命感みたいなものをがこみ上げてきました。

拠点となる物件は思っていた以上に広く、他の事業者にもシェアオフィスやイベントスペースとして使ってもらえば、家賃も浮くし、人が集まることで面白い展開ができると考えました。それからは、他の事業者との出会いを求めて、地元の交流会やイベントにどんどん顔を出しましたね。そこには、東京や海外からUターンし、日立を盛り上げようと活動する若者たちがいました。彼らと意気投合し、イベントを一緒に開催していくうちに、さらにつながりが拡がっていきました。

東京では、面白い人はたくさんいても、人が多い分階層化されていることで、自分と違った階層にいる人と交わる機会は少ないと思います。ところが、ここは人が少ない分、階層を分けないまま様々な人と出会えるんです。大学生と一緒に遊んだり、地元企業の社長さんたちと話したりできます。東京にはないような面白いことをしたいと、いろいろ取り組んでいるうちに、2拠点化はどんどん進んでいきました。

自分の表現でプチ社会問題の解決を


現在は「インクデザイン合同会社」の代表として、東京と日立の2拠点で活動しています。「より良い社会をデザインする」をミッションに掲げ、15年以上に渡って企業のコーポレートツールやIRツールのディレクションを行ってきた経験を元に、企業の方向性を理解したコーポレートツールの提供を行っています。

また、「プチ社会問題を解決する」という思いで、いくつかのサービスを展開しています。たとえば、「世界に一枚しかない名刺」は、一枚ずつデザインが違う名刺を作るサービスです。僕のように人見知りで話すのがあまり得意ではない人でも、一枚一枚デザインの異なる名刺を渡せば、相手とコミュニケーションが取りやすくなります。

また、「自走できるパンフレット」では、修正しやすい形でパンフレットのフォーマットを作ることで、内容の修正や更新はお客さんができるようにするサービスです。他にも、「理念を共有するポスター」「交流会で邪魔にならないパンフレット」など、僕自身が普段生活する上で感じる、ちょっとした問題、プチ社会問題をデザインで解決するサービスを展開しています。

やっぱり、困っている人や、何かに一歩を踏み出そうとしている人のために、デザインを使いたいですね。それは、日立のような地域の課題解決にもつなげられると思うんです。

東京と日立では、まだ仕事の規模に大きなギャップがあります。地方では人口が少なく市場も小さいことや、デザインの仕事に対する認知度の低さから、どうしても仕事の単価は低くなってしまいます。それを改善するためには、もっとたくさんの人とビジネスを街に集めなければいけません。都心と日立の2拠点で活躍できる人が増えたり、街にクリエイターが集まることで、少しずつ仕事ができ、クリエイティブの力がビジネスをまわす仕組みができるのではないかと考えています。そのためにも、他地域での事例を参考に、自分たちの拠点の新たな利用方法を考えています。

日立の拠点は「クリエイティブ公民館」というコンセプトのもと、日立を盛り上げようと活動する人々やクリエイターが集まり、企画が生まれるための環境づくりを進めています。日立の周辺にはエンジニアやものづくりのプロフェッショナル、それらを学ぶ大学生もたくさんいます。ただ、クリエイターはまだまだ少ないのが現状です。地元でクリエイティブのスキルを学び、それぞれの活動や事業に生かすことができれば、やがては地域活性につながってくれるのではないかと思います。

デザインの仕事も地域での活動も、ベースにあるのは「面白いことをしたい」というシンプルな想いです。今は、そんな僕の想いに共感してくれる仲間と出会い、つながりがどんどん拡がっていることを実感しています。

これからも自分らしく、クリエイティブの力で、プチ社会課題の解決に貢献していければと思います。

2018.04.12

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